カテゴリ:研究論文 > 名盤50

夢の途中
来生たかお
キティ
1995-07-21


ミックスが素晴らしい。

カツーンとしたピアノに、粘り気のあるシンセ、RI:Cycle(リ・サイクル) [CD]もだいぶこの音を参考にしたかな。

ボーカルも、聞き手の想像を邪魔しない感じで、それは一つの技術。それで売れたのは曲のクオリティが高いってことなのだろう。

二曲目と、三曲目が好き。

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PICTOGRAPH
こじまいづみ
ブラントンミュージック
2007-05-01


こういうアルバムが作れたら死んでもいい。

このアルバムを受け入れられないヤツは死んだ方がいい。

…いや、死ななくてもいいが、俺の目の前に表れないでほしい。

それだけ、現代人の心は荒んでいるのだ。

意識してなかったが、RI:Cycle(リ・サイクル) [CD]はこのアルバムの影響をたぶんに受けているかもしれない。

こじまいづみ、天才、愛してる!!!

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M.I.U. / L.A. Album
Beach Boys
Capitol
2000-07-29


ビーチ・ボーイズの名盤は数あれど、

結局はこの盤に収束してゆく。

え!?だって?

じゃあ逆に問うが、お前の連れ添ってる奥さんは、完全無欠の人間か?

そうではあるまい。

少し腹が出てたり、シミがあったり、性格が悪かったりするだろう。

そして、そういうところに、いとおしさを感じるのだろう?

音楽だってそうだ。

名盤を名盤というのは簡単だ。美人を美人というのが簡単なことと同じことだ。

美人でもない、何かよくわからないけど、惹かれる、

そういうものを持てる方が、どれだけ幸せか。

お前が愛しているものが、どれだけ、自分で選んだものでないものか、

よーくお前らは考えたほうがいい。

ブライアン・ウィルソンが精神病のリハビリを受けて復帰してしばらくした作品。

ほとんどの曲で作曲しているが、プロデュースまで完全に仕切ったのは2曲のみ。

その曲の、完全無欠さ…。

でも、それが全編にわたっていたら、きっとこれほどの名盤になっていなかっただろう。

他の曲は、ブライアンの曲をメンバーで何とか形にしようと頑張ったものがほとんど。

その「ゆるさ」だけどど、根本の「才気」はゆるぎない。

その二つの要素が混ざりあい、

何とも不思議な魅力を発していることか。

全盛期のビーチ・ボーイズは確かに素晴らしい。しかし、切れ味が鋭すぎる。

このアルバムは、メンバーによってオブラートに包まれている、

それがいい。

こういう響きを持ったアルバムは、これ一枚であり、とても好ましいバランス感覚を醸し出している。

1990年に一度再発された。しかし、それは、2曲目とラストがミックスが違っている。

オリジナルで行きたい。2000年の再発盤を買うべし。

特にラストのマイクのボーカル、そしてストリングスの美しさ。

そしてコーダに出てくるコーラス、そして、スネアの美しさは涙が出る。

ブライアンの曲ではないんだけれども。

てめぇの感性を信じろ。それだけだ、俺が言いたいのは。

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以前、はっぴいえんどにあまり影響されていない、と書いた。けど、そんなこともないような気がしてきた。

そもそも、はっぴいえんどを聴いてみようと思ったのは、細野さんがビーチ・ボーイズが好きだ、という文章を見かけたからだった。自分は芋づる的に興味を広げるので、きっと 細野(晴臣)さんの音楽は、ビーチ・ボーイズが好きな自分にも楽しいものだろうと思ったのだ。

というわけで、名盤とよばれる「風街ろまん」を買ったのです(←)。

最初は「ふーん」といった感じであった。有名曲の「風をあつめて」も「ふーん」といった感じだ。まぁ、これがはっぴいえんどの代表曲ということで、何度か聞いているうちに好きになってきた。

はっぴいえんどは日本語ロックの開祖といわれる。だったら、「日本語ロックの型」というか「コンセプト」というものがどこかにひそんでいるに違いない、そう思いもっとよく聞いてみた。

そうしているうちに、その「コンセプト」が見えてきたのは、細野さんより、むしろ大滝(詠一)さんの音楽の方であった。つまり簡単に言うと3コードの徹底ということである。

当時の僕は単純なので、3コードこそがロックなのである、という思想を得るにいたった。そうして、僕は大滝党(つまり「ナイアガラー」ですか)へ24.5センチの第一歩を踏み出すことになる。

じっくり論じると、肩が痛くなってくるので、そんなに詳しくは書きたくないけれど、大滝さんは、大滝さんの考える「ロックの型」というものに自分を当てはめて「抱きしめたい」という曲を書き上げた、のではないか、ということを今現在思う。

そういう「鋳型」に自分を押し込んで、むしろ「この鋳型は何か?」ということを聴衆に問いかける音楽というのは、全く体験したことのない音楽であり、当時は分からなかったが、とにかく脳味噌がぐちゃぐちゃになってしまうほどの混乱と熱狂を若き日のワタシにもたらした。

その「ロックの鋳型」にギュッと押し込まれた大滝さんの楽曲の、なんという愛おしいこと!!!
まさに異形の天才である。



最近、内田樹さんが、大滝さんの「えらさ」をとてもわかりやすく紐解いてくれている。この本の冒頭の対談をぜひ読んでみてください。


ベリー・ベスト・オブ・エルトン・ジョンベリー・ベスト・オブ・エルトン・ジョン
アーティスト:エルトン・ジョン
販売元:ユニバーサル インターナショナル
発売日:2002-06-21
おすすめ度:5.0
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なんか、時代が前後しちゃってすいません。

僕がそもそもエルトン・ジョンに興味をもったのは、よーーく覚えています。大学時代だったかな(覚えてないじゃん)、音楽には全く興味のない叔母が「エルトン・ジョンって天才だな」と言っていたからです。音楽に興味がない人が言うんだからか間違いないと、叔母の家からの帰り道、中古屋さんで『ワン』を購入しました。このアルバムのすごさに後々気づくのですが、当時はふーん、と思っただけでした。

でも、叔母の言葉はずっと引っかかっており、後日このベスト盤を買ったのです。そのころはピアノで歌おうなんてことは考えていませんでした。

エルトンの音楽は癖がなくて、必要最小限の品のあるアレンジで、一見そっけないのですが、もともとの音楽が素晴らしいので、その美しさにだんだん気づいてくるという仕掛けになっています。

アレンジが目的になってしまっているような音楽はどうも好きではありません。そういう意味で、エルトンのこの姿勢は心強いです。バンドとソロに印象の乖離がないのもそのせいでしょう。ピアノでのベーシックなアレンジがしっかりしているのです。

それが一つ。

もうひとつ。「クロコダイル・ロック」を聞いたときに、メロディがちょっと長すぎるんじゃないかなと思ったことがあります。もっと短くスパンとまとめてもいいんじゃないかと。

その時、「もしかしたら、歌詞が先にあるんじゃないのか?」と思ったら、これが大正解。エルトンは、作詞家バーニー・トーピンとタッグを組んで、曲を生み出していました。バーニーが先に歌詞を書いて、エルトンが曲を付けるという作業工程です。

ちょうどその時期、盟友、本多広泰君が歌詞を書いてくれるというので、自分らも真似して、曲を生み出して行きました。

しばらく、本多君と曲をざくざく生み出してきましたが、他の詩人の詩や、今の相方、天瀬まゆさんの詩に曲を付けるようになり、自然と自分の生み出すメロディも併せて変わってゆき、「あぁ、やっぱり、歌って詞が一番大事なんだ」と気付かされた次第です。それが「当然」であると確信を持つにいたりました。

そして、テキストの前では、作曲者のエゴを極力消すことがとても重要なんだとも気付きました。

そういう意味で、初期の共同作業の曲は、自分のエゴが残っているメロディを付けてしまったなぁという反省点を感じるものもあります。「一緒に帰ろう」という曲はかなり大胆なカットをしてしまいました。カットをするなんて、本当に作曲者として恥ずべきことです。お詫びとして、最近「一緒に帰ろう≪完全版≫」を完成させたのですが、なかなか披露する機会がありません(笑)。

ですが、本多君との共同作業で、僕の作曲能力、構成力は飛躍的に向上したと思います。本当に感謝してもしきれません。最近書いてないようだけれど、新作、いつでも待ってます。

そして、「詞を先に作曲する」という方法論に気づかせてくれたエルトン・ジョンは、ともすれば、彼のピアノ奏法以上に、私の音楽に影響を与えているのです。

BRIAN WILSON(デラックス・エディション)BRIAN WILSON(デラックス・エディション)
アーティスト:ブライアン・ウィルソン
販売元:ワーナーミュージック・ジャパン
発売日:2000-09-27
おすすめ度:5.0
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ビーチ・ボーイズの頭脳、ブライアン・ウィルソンの初のソロ・アルバム。

僕の一番最初に完成した曲は、この中に入っている「夢で逢いましょう」という曲を超えるべく制作したものでした。なかなか、これも癖のあるコード進行を持っているのだけれど、自分は、しょっぱなからの転調と、ちょっとひねったイントロで対抗した。そして、サビの締めの部分、ベースラインが(確か)ティンパニとなだれ落ちてゆくところを踏襲した。結構いい出来で、いつか復活させたいと思っている。

処女作にすべてが表れているという迷信が本当なら、僕はこの作品を誇りに思いたいと思う。

そのほか「メルト・アウェイ」で新しい-擦離魁璽豹聞圓魍悗咫◆屮Εーキン・ザ・ライン」でベースラインの大切さを知った。

デラックス・エディションに入っている、シングル・オンリー曲も肩の力が抜けていてすごくいい。そうそう「たるんだ体を動かさなきゃ」や「砂糖いっぱい」とかで、3コードを主体に曲作りをしているのを聞いて、「やっぱりそこが基礎なんだな」と意を新たにしたり。それはつまるところ、ブライアンが一番影響を受けたフィル・スペクターの音楽につながり、自分もその影響を知らず知らず受けていたということを後で知ることになるのだけれど、それはまた今度。

電子楽器を主体に、厚塗りを重ねた音作りは、たぶん時流からはずれていたのかもしれないけれど、ブライアンのその「狙い」に気付くと、このアルバムの魅力はおのずと見えてくる。最新のテクノロジーに関して2歩も3歩も後れを取ってしまったと自覚していたにもかかわらず、ブライアンは自分の美意識を信じて、このアルバムを一枚を作り上げたことに、尊敬の念を抱かざるをえない。そして、その試みは成功しているとこの時点から断定しても間違いではないと思う。

僕にしてみては、このころに作ったデモは、まったく言っていいほどこのアルバムのサウンドの踏襲です。

Friends/20/20Friends/20/20
アーティスト:The Beach Boys
販売元:EMI
発売日:2001-03-27
おすすめ度:4.5
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ビーチ・ボーイズは『ペット・サウンズ』と『ラブ・ユー』だけしようと思っていたけれど、よくよく考えると、『フレンズ』や『ブライアン・ウィルソン』とかも無視できないと思いだしました(こうしてゆけば50いくかな?)。

『フレンズ』の曲はかなりぶっ飛びですよ。サウンドが柔らかいのでなかなか気付かないですが、コード進行だけ見ると、ぶっ飛んでます。

『ラブ・ユー』はかなり理論的な作曲になっているのですが、『フレンズ』は天衣無縫。という意味で『ペット・サウンズ』にも匹敵しますが、それを生み出したあとに、「気楽に面白い事をやってみよう」というリラックス感、余裕がうかがえます。ワルツが出てきたのもこのアルバムがはじめてだったでしょうか?

これは、「ピアノに触るのが楽しいな」と思える時期に、たくさん触った人だけが生み出せる作曲だと思います。ちょうど、作曲熱中時代にこのアルバムをせっせとコピーしていたため、見事にシンクロする部分があり、大いに音楽の糧となりました。

これを聴くと、もうね。ぶっちゃけて、音楽なんて、なにやったっていいんだと。前例がないなんて尻込みしちゃダメ、前例がないから楽しいんじゃん。「歌詞に曲を付ける」という作業が主になってきてから、そういう気持ちをだんだんと失ってきたけれど、最近ぶくぶく復活してきたよ!

海のYeah!!海のYeah!!
アーティスト:サザンオールスターズ
販売元:ビクターエンタテインメント
発売日:1998-06-25
おすすめ度:5.0
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このシリーズ、50もあるのだろうか、まぁいいや。

中学生の時、チャゲアス派かサザン派かでクラスが分かれてました。

そのころ僕は一途な人間だったので、チャゲアスをひたすら頑固に聴き通してましたが、サザンっていいなぁと、実はすごくものすごく聞きたかったのです(笑)。その反動で、もう今はジャンルごちゃごちゃに聴くようになってしまいましたが。

サザンを本格的に聞き始めたのは、大学生のころ、カラオケのレパートリーを増やしたいがために。だんだんね、メロディの覚えが悪くなってきたのを実感したのもこのころ(笑)。

わーーっと作ってる初期の曲は別として、どの曲も、同じことは二度とやらないという厳しさを感じる。それでいてポップで愛されている。このバランス感覚はすごいと思う。

多層性のある歌詞や、抒情味溢れる歌詞は、とてもじゃないけれど真似できない。こんな歌詞が自分にも書けたら…。

やっぱり歌は詞じゃないのかな?

それと。

「自分たちがきちんと演奏できる曲」を作っていることの大切さ。それは、作曲工程の最上流、「ギター一本で弾き語りができるか」ということにも繋がって来る。だからキーも優しいものが多い。

つまり「身体からの躍動」が曲に宿っている、ということ。これは、自分は聞けば分かるのだけれど、言葉じゃ伝えられないなぁ。

グルーヴといってもいいかもしれない。グルーヴは「生きた作曲」には必ず宿る要素だし、宿らなきゃならないものだ。

他者と他者の「リズムの葛藤」が「グルーヴ」なのだ。ドラムマシンにコードを乗っけてみました〜という曲が増えて来たけど、なんてのは、とてもじゃないけど作曲とは呼べない。

ちなみにnote'n notesの歌姫は実は超グルーヴィだよね(笑)。

ちょっと、書き足りないと感じたもので(笑)。

昨日述べましたように、ブギもブルースも知っておりながら、その様式を柔軟に変えてしまうのが服部良一先生の音楽です。

ですが、その融通性が、のちの日本の音楽界に曲解して伝わっていってしまいました。

日本は「書道」を例にとるまでもなく、先人の素晴らしいものを模倣したり、型を重んじたりする、素晴らしい文化がある国ですが、音楽においてはどうもそうはいかなかったようです。これは本当になぜなのでしょうか?

これは私の推測ですが、日本がここまで先端技術に通ずる国になったのは、前述の文化と無関係ではないと思います。ですが、音楽に関しては、自分たちの土俵へなぜか引きずり込みがちです。これは、宗教や食に関しても言えることかもしれません。

感情が入り込む余地があるもにになると、そちらが優先されてしまう情緒的な国民性なのでしょうか。

そこで、服部良一先生の話にもどりますと、たとえば「東京ブギウギ」。オーケストレーションはR・コルサコフ直伝、そしてデューク・エリントンばりのスィング感を持ちながら、メロディはとことん日本的という、「西洋を無理なく情緒的に解釈」した音楽が「東京ブギウギ」であり、あらゆる意味で、終戦直後の日本人の心を勇気づけたのではないでしょうか。

戦争に負けても、日本人としてのアイデンティティは≪このように≫残すことができるのだ、と服部良一先生の音楽は語っているような気もします。そして、言うまでもなく、その姿勢が以後の日本の音楽の主流になっていったのは歴史が証明しています。

話は少し変わりますが、私は一番尊敬する大滝詠一師匠は「書道的」なミュージシャンということもできましょう。もしかしたら、日本の音楽はこちらの方向に進んで行く可能性もあったかもしれないと、僕は思っています。

僕は大滝詠一師匠の音楽に出会って、自分の「血統」を証明したいと思いました。それがまずないと、音楽を世に問う資格はないと思ったのです。大滝詠一師匠もそうだったのではないでしょうか。だからこそ、その「血統」を何枚かのアルバムで示したあとに、はじめて大衆に自分の音楽を問う自信が芽生えたのではないでしょうか?(「A Long Vacation」のことを言っているのです)

日本の音楽では「ネタばれ」と言って、あまり元ネタを明かすことを好まない傾向があるようですが、それは正直おかしいと思うのです。元ネタをしっかり把握していないと、ろくな音楽なんて書けないはずなのです。どれだけ豊富な元ネタがあるのか、そこでまずは実力を測られるものではないでしょうか。どうもそのあたりはうやむやにして「オリジナル」と言いたがるところに、歩んでしまった日本の音楽の歴史が垣間見えるような気がします。

まとめます。歴史が「こちらがわ」に歩んできてしまった以上、服部良一先生は間違いなく「キング・オブ・J−POP」なのです。

最終認識だけ私は世論と意見が合致するのです(笑)。

服部良一生誕100周年記念企画 僕の音楽人生服部良一生誕100周年記念企画 僕の音楽人生
アーティスト:服部良一
販売元:コロムビアミュージックエンタテインメント
発売日:2006-09-27
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ブギの女王 全曲集ブギの女王 全曲集
アーティスト:笠置シヅ子
販売元:コロムビアミュージックエンタテインメント
発売日:1992-10-21
おすすめ度:5.0
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専門的な話になりますが、僕は短調の曲でハーモニック・マイナー・スケールをテキトーに使っていました。それに気づき、しばらく短調作品をお蔵入りさせていたことがあります。

その、しがらみから解き放ってくれたのが服部良一先生でした。

服部良一・・・・指揮者、朝比奈隆と同じ師、メッテルからR・コルサコフ直伝の管弦楽方を学んだという、他人から見たらのどから手が出るほど輝かしい経歴の持っています。でも、その音楽はまったく庶民的で、そこがすごく素敵なんですが。

で、話を戻すと。服部良一先生の曲を研究していた時に、なんと、短調の曲で、いくつかハーモニック・マイナー・スケールを用いてないもの、ナチュラル・マイナー・スケールが散見されるのです。

例えば有名な「雨のブルース」。島倉千代子がカバー曲したヴァージョンで研究していたので、オリジナル(淡谷のり子)を聞いたら、それもやはりそうでした。

僕は、理論も何も知らずに作曲をはじめました。それで自然に選び取ったのが、ナチュラル・マイナー・スケール。服部良一先生は、意図的にナチュラル・マイナー・スケールを選んだ。なぜか。それは、ナチュラル・マイナー・スケールの方が日本人の耳になじみやすいと考えたからではないのか?実際自分もそれを自然に選んでいたわけだし。

なんてすごい人なのでしょうか。普通なら理論を盾にしてしまうものなのに。

それからというもの、僕はオオイバリでナチュラル・マイナーを使うようになりました。はじめからナチュラル・マイナーを選んだ自分を誇りました。そして、一つの曲の中に、ナチュラル、ハーモニックが複数が共存する曲も作りましたよ。

音楽は知識で作るものではなくて、やっぱり感性なんだ。それを「知識」を存分にもった人が言うわけですから、これはすごいことですよ。

同じような意味で。「東京ブギ」も「雨のブルース」も全然「ブギ」じゃないし「ブルース」じゃない。ついでにいえば「てんとう虫のサンバ」も「サンバ」じゃない(笑)。

服部良一先生が「ブギ」や「ブルース」を知らないはずがない。やっぱり、この言葉を選ばせたのも「感性」なのだ。だって「東京ブギ」以外のタイトルで、あの冒頭のメロディに乗りそうな歌詞ってあるでしょうか?

こんなに長く書くつもりはなかったのですが(笑)、ものはついでなのでちょっともう少し書いてみます。

正直に書きます。これほどまで敬愛し尊敬している服部良一先生ですが、僕は日ごろ愛聴しているというわけではありません。古臭さを感じざるを得ません。なぜなんでしょうか、僕の貧弱な感性では説明できそうにはありません。たぶん、メロディが当時の流行に合わせて書かれているからではないかと推測しているのですが。

けれど、それを飛び越えて、いつ聞いても感動を誘う作品がいくつもあります。それは和声進行に類稀な独創性を見せるもの、そして、ややはみ出したアイディアがあるものです。前者では「蘇州夜曲」「風は海から」「ヘイヘイ・ブギ」、後者では「買物ブギ」「ホームラン・ブギ」などでしょうか。歴史というのは、やはりはみ出した個性の普遍化が積み重なったものなのだと僕は思っています。

それと、笠置シズ子さんのために書いた作品は、どれもこれも素晴らしいです。笠置さんが超天才歌手だというのもあるのでしょうが、やはり服部先生の曲も、気合いが全然違う気がします。フィル・スペクターにとってのロネッツみたいなものだったのでしょうかね。

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