僕は大瀧詠一師匠から卒業した。

あたりまえながら、学ぶべきところはきっとまだまだたくさんある。

しかし、在籍期間は限られているもの。

いつかは否応なく追い出されてしまうのだ。

追い出されてゆくべきものなのだ。



尾崎豊は「この支配からの卒業」と歌った。

それは、在籍期間からの脱却であって、

実は、卒業は2回あるのでる。

人は2度死ぬように。

もう1つの卒業は、潜在的な支配からの卒業なのである。

かんたんに言えば、俗世からの卒業なのではないか?

俗世的なモラルから自由になるとき、

本当の卒業なのではないか。

もちろん、ルールを守らない、という意味ではない。

そこから自由になるということだ。

それを、僕の筆力で説明する頃は、少し難しいのだが。頑張ってみると。

例えば、ごみの分別をするときに、

「これはプラスチックだから、リサイクルごみ」

と考えるのではなく、

「プラスチックは再生可能だから、リサイクルごみなんだな」

と逆にあたりまえに考える。

同じようで、全然違う。

再生できるものは、どんなものなのか?

そして、再生できるのに、燃えるゴミにルールによって分別されてしまっている資源がある、

しかし、そのルールに疑問を抱きながら、平和そうな顔をしている、

それが、精神的な自由なのだ。

これが芸術だともっと簡単だ。

だから、芸術家は芸術を求める。



自由になることはむつかしい。

心がリミッターを掛けるからだ。

しかし、自由は酸素のように実はどこにでもある。

そのリミッターを少しずつ、しかもモラル以上に、

かんたん(といってもむつかしいが)に外してゆけるのが

芸術であり、

自由になる過程を、きっと鑑賞者は感じながら、

同調してゆけるから、芸術は不滅なのだろう。



まだまだ、がんじがらめの僕だが、

少しずつ、外してゆこう。そして、それはきっと受け入れられるはず。

本当は、みんながそれを求めている。

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