ハイドンのピアノ・ソナタを聞く第5回でしょうか(数えろ)。引き続きピアニストは名手ワルター・クリーン。

ハ短調です。同じ短調ですが、ホ短調の第34番ソナタとは随分趣が違います。より告白的と言うのか、心の葛藤を感じさせるというのか。モーツァルトのK310とK457との違いとも申せませう。

第1楽章はハイドンとは思えないくらい、重い諦めの念が漂います。これはもはや教え子ベートーヴェンの音楽と言った方が信用されそうです。

ハイドンは後年、ベートーヴェンの進歩的な考え方に、段々と影響を受けてきたのではないでしょうか?しかも、とって付けたようなものじゃなく、彼の考え方を理解し、音楽にいかしているような気もします。ベートーヴェンへの尊敬の念すら感じます。

逸していましたが、最後の第52番ソナタの楽章ごとの調関係は「変ホ長調→ホ長調→変ホ長調」なのです。しかも、メロディがドミナントで解決しようとしたり、これなんかもよい例です。

もう50歳も過ぎて、この「新しいものを取り込む」姿勢は人間としても非凡なものを感じます。頭の固い中年、若輩ものに無視を決め込んでる中年、見習ってください。

第2楽章はスケルツォ。スケルツォ!?ほらほら、やっぱりねぇ。軽やかなA主題に対し、B主題ではベートーヴェンばりの太い線のメロディと重厚な和音が音楽を切り開いて行きます。後に再現されるB'は、性格を変え、可憐さをたたえており、素敵です。

第3楽章はメヌエット。これで終わりとは、かなり異例ですな。普通はプレスト、とか快速で終わるのだけれど。ハイドンなりの返礼でしょうか?やっぱりあともう1楽章欲しくなるのは欲張りでしょうか?

でも「これが終楽章」ときくと、なんか悲しみのレクイエムのようにも聞こえてきます。イントロの和音付けなどは当時としては斬新だったのかも知れません。

夏の悲しさ、といったような寂しさを感じました。これも忘れがたいソナタになりそうです。

クリーンは相変わらずいい演奏だと思いますが、腕の振るい所がない感じがしました。クリーンはベートーヴェンは確か弾かないものね。