今年の夏は、海に行ったり、夏の歌を作ったり、庭に打ち水をしつつキーボードでオケを作ったり、比較的に目標通りに過ごす事が出来たと思う。

それで気付いたけど、季節というのは、なんと早く過ぎ去ってしまうものなのか。自分が夏を満喫しようと、もがけばもがくほど、早く季節を食い尽くしてしまう。

「早く暑さが過ぎ去ればなぁ」なんて言うやつは、もはや人間として生きていない。こんな人間はただ浮き草のように生きているだけ。


よろしい!秋も冬も春も、すべて自分が食いつくしてやる。そしてすぐに来年の夏にしてやる。そして今年より早く準備して、骨まで夏を食べ尽くしてやる!

とにかく僕は無駄な時間は一分たりともない。今まで以上に走り続けます。ちょっとダサいか!

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なんじゃこりゃ?


ハイドンのピアノ・ソナタを聞く、第四回。今日は昨日の続きで第35番でハ長調です。このソナタはハイドンのソナタの中では有名なものらしいです。

第1楽章。左手の執拗な3連符がいかにもハイドンらしい。たしかにこれが「ハイドンの味なり」と言われたらその通りかもしれない。

僕は豆腐という食べ物があまり好きじゃないけれど、食べられないわけではない。この楽章は僕にとってはそんな感じである。

もちろん豆腐がだいすきな人にとっては僕はかわいそうな人間に見えるだろうけど、それでよいと考えている。僕も早くこの味が分かるようになりたい。

でも、展開部で情熱的な展開を見せる。第34番の残り香を感じる。展開部の入りは、怒濤の和音の変化で調を変化させてゆく。ベートーヴェンの専売特許かと思っていたが、ハイドンから盗み学び取ったものなのかもしれない。再現部も低音部で再現するなど一工夫が利いている。

第2楽章は歌うアダージョ。このころはフォルテピアノは存在していたでしょうが、イントロはなんとなくハープシコードを思わせます。けれど主部に入ると、これはもうピアノの音楽だなぁと思います。クリーンのロマンチックなピアノが夢心地にさせてくれます。

第3楽章は、構成が凝っています。変則的なロンド形式でしょうか?「ABA-C-AA'」で、最後に「B」が省略されているのがミソです。

一番最後の再現に変奏が加えられており、モーツァルトのような短調への揺らぎが一瞬表れるのが面白いです。その後スッと音楽は終わります。なかなか瀟洒な終わり方です。ベートーヴェンのように、さぁいよいよコーダなり、とはなりません。

これを聞くと、ハイドンはぐだぐた長ったらしい説教とかはしなかったんじゃないかな〜なんて思ったりもします。少なくとも根に残る様な叱り方はしなかったのではないかと思います。まさに紳士です。

現代社会はストレス社会と言われますが、僕はそんなの信じません。どんだけ自分がカワイ〜んでしょーか?ハイドンに良い意味での処世術と、大人の余裕を学びなさいよ。

今の世の中、さして大したことない感情に溺れたいガキだらけ。音楽は別に世界は救わないんだよ。

それを信じたいのなら、まず自分のかかわる世界をきちんと見る事。すなわち、しっかり人と接する事。そのためには処世術。よってハイドン。

分かったか!強引だけど。