2017年12月



(年末までこの記事が先頭に来ます。最新の記事は下にスクロールしてください)

2016年に、私が宮沢賢治の詩に曲を付けた「雨ニモマケズ」をカバーして下さった、伊藤ともんさん。


そんなともんさんが、2017年10月22日、大阪の創徳庵にて「中崎町イーハトーヴ」というタイトルで、宮沢賢治のゆいかりの曲を集めてライブを行いました。その中で、私の「雨ニモマケズ」をカバーしていただきました。

動画は、歌う場面から始まっていますが、ぜひお時間あれば全編ご覧いただければと思います。

ともんさんの歌は、CDよりもさらにグレードアップしている。メロディの意図を、ライブならではの感興で、がっしりと掬い取ってくださって歌われています。それは、自分の賢治解釈にともんさんも共感してくださってることだと思うので、とてもうれしく思います。吉田幸生さんのアレンジもとても素晴らしい。

僕は、歌手というものは、歌が上手ければだれでも名乗る資格があると思っていました。しかし、今回ともんさんのライブを聞いて、それは違うと思いました。

歌手とは、歌の景色を伝える人のことだ、と。

それは、音程があってるとか、声が美しいとかとは、また別の次元のものなのだと。鍛錬すればするほど、そして、歳を重ねれば重ねるほど、それはうまくなってゆくものなのだ、と。

ともんさんの声に、岩手の風土を感じることが出来ました。本当に、賢治のメッセンジャーと化していました。

そして、最後に、こう思いました。「歌っていいな」と。

それは、今まで僕が感じたことのない、歌に対する感情でした。僕の知らなかった世界を見せてくれました。そして、それは、やはり一生をかけてもいいと思えるほどの宝ものなんだと思いました。

とっても素晴らしいライブです。ぜひご覧下さい。

にほんブログ村 音楽ブログ シンガーソングライターへ
にほんブログ村



つねに、アウトサイダーでいたい。

物事との距離が近すぎると、

自分を見失い、自分がもともと何をやりたかったかも

分からなくなってしまう。

そして、物事の方に自分を寄せて行ってしまう。

仕事、趣味、恋愛、すべてがそうだ。

だから、アウトサイダーでいたい、と。

そして、究極には、自分に対してもそう思うようになった。

俺という魂は、自分という入れ物に寄せて行ってしまってないか、と。

自分という入れ物、というのは、外見、脳みそ、内臓、才能・・いろいろがるが、魂以外のすべてを指す。

魂というのは魂だ。

奇麗な声をしている → だから歌手になれるんじゃないか。

奇麗な外見をしている → だから女優になれるんじゃないか。

体がでっかい → 相撲取りに向いているんじゃないか。

それは、みんな、自分という入れ物に、魂を合わせてしまっているのだと思う。

魂もそれを望んでいるのであれば、それは幸せというべきだろう。

nina simoneは、「自分は神に選ばれたの」と言っていたけれど、なんの嫌味も感じない。

魂と肉体が一致しているということが、天才という事なのだろう。

自分という入れ物を、魂が喜ぶように、うまく操作してゆかなければならない。

そういう風に生きてゆきたい。

さて、そうなると、魂がなにを望んでいるかが分からなくてはならない。

それをはじめから知っている人は、とても強い人だと思う。

私は、それすらもわからない。

きっと、今自分にまとわりついてくる雑務をすべて削ぎ落してゆけばいずれはっきりするのだろう。



よし、何もしないで寝る!








たぶん愛、なんじゃないかな。

今年はつくづく来年の準備の期間だったと思う。

むずむずしているが、急いでも仕方がない。

人生は浪費すれば短く、活用すれば十分に長い。

それはきっと病に倒れても、だ。

一日一日を悔いのないように生きてゆく。

それだけできっと何か花咲くものがあるだろう。



にほんブログ村 音楽ブログ シンガーソングライターへ
にほんブログ村

↑このページのトップヘ