2017年07月

僕は大瀧詠一師匠から卒業した。

あたりまえながら、学ぶべきところはきっとまだまだたくさんある。

しかし、在籍期間は限られているもの。

いつかは否応なく追い出されてしまうのだ。

追い出されてゆくべきものなのだ。



尾崎豊は「この支配からの卒業」と歌った。

それは、在籍期間からの脱却であって、

実は、卒業は2回あるのでる。

人は2度死ぬように。

もう1つの卒業は、潜在的な支配からの卒業なのである。

かんたんに言えば、俗世からの卒業なのではないか?

俗世的なモラルから自由になるとき、

本当の卒業なのではないか。

もちろん、ルールを守らない、という意味ではない。

そこから自由になるということだ。

それを、僕の筆力で説明する頃は、少し難しいのだが。頑張ってみると。

例えば、ごみの分別をするときに、

「これはプラスチックだから、リサイクルごみ」

と考えるのではなく、

「プラスチックは再生可能だから、リサイクルごみなんだな」

と逆にあたりまえに考える。

同じようで、全然違う。

再生できるものは、どんなものなのか?

そして、再生できるのに、燃えるゴミにルールによって分別されてしまっている資源がある、

しかし、そのルールに疑問を抱きながら、平和そうな顔をしている、

それが、精神的な自由なのだ。

これが芸術だともっと簡単だ。

だから、芸術家は芸術を求める。



自由になることはむつかしい。

心がリミッターを掛けるからだ。

しかし、自由は酸素のように実はどこにでもある。

そのリミッターを少しずつ、しかもモラル以上に、

かんたん(といってもむつかしいが)に外してゆけるのが

芸術であり、

自由になる過程を、きっと鑑賞者は感じながら、

同調してゆけるから、芸術は不滅なのだろう。



まだまだ、がんじがらめの僕だが、

少しずつ、外してゆこう。そして、それはきっと受け入れられるはず。

本当は、みんながそれを求めている。

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七夕だった。

去年の七夕は何をしていたんだろう。

そんなことを思っては少しむねがくるしくなる。

そんな気持ちを人生の先輩とすこし共有することができてよかった。

しばらく、イベントっぽい日が来ると過去を振り返ってしまうことが続くのかもしれない。

そして、それを何サイクルか繰り返せば、少しずつ忘れてゆくのかもしれない。

無意識は無慈悲に、リアルな夢を見させたりしてくるけど。

目が覚めて、それはそれでしあわせじゃん、とか、夢に返したりするけど、

そのうち、そのうち、夢にも見なくなって、

少しずつ、少しずつ、忘れてゆければいいのかもしれない。

それとは別に、

僕は僕で、新しい方向へ、歩んでいけるように、

着々と準備していて、

少しずつ、少しずつ、自分を取り戻してゆけるように、

まずは、ペットボトルをちゃんと分別しようと、

燃えるゴミに入れてもいいんだけど、

やっぱり後ろめたくて、地球を汚している気がして、

ペットボトル用のゴミ袋をもう一つかけられるように、フックを一つ。

後ろめたいと思うことはもうやめよう。

ヒミツはいい。

後ろめたいヒミツと、

後ろめたくないヒミツがある。

後ろめたいヒミツは自分を傷つける。

後ろめたくないヒミツは未来に繋ぐためのもの。

自分をいじめるのはもうやめよう。

自傷に敏感になってゆこう。

自分にいいことをたくさんしてゆこう。

セルフネグレクト、学生に最近教わった言葉だ。

セルフネグレクトをやめよう、やめてください。

自分を愛せて、その次に、他人が愛せる。

そして、他人からの愛が受け入れられるようになる。

自分を愛してください。


今年の七夕のようになるとは、去年からはまったく想像していなくて。

来年の七夕はどうなっているだろう。

なんかやっているんじゃないのかな?

それがライブだったらいいな。

SH3J0455
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