2017年06月

行ってきました。

シモーネ・ヤングの指揮は期待を裏切らずに、素晴らしかったです。
読響を聞いたなかでは一番感動したかな。

嵐の場面は、いろんな意味で、涙が出そうに。
迫力が怖いほどだったし、一つのクライマックスをそこに持ってきたんだろう。
一斉に音楽を奏でているという奇跡みたいなものなども含めて、
少し泣けてきた。

でも、やっぱり読響の魅力のなさが随所に残念な感じを与えていました。

一番顕著だったのが、日没〜週末にかけてのゆっくりのところ。

ところどころで、シモーネ・ヤングの意図がしっかり浸透している演奏だったけれど、
ここはまったくで、シモーネ・ヤングも盲点だったのではないだろうか。

普通に、歌えばいいだけの部分だろうに、まったく歌がない。
これは、要は、オケに個性がない証拠、
もしくは旋律の普通の解釈というもの
(ふつうはここで対旋律の中声部がふくらんでくるとか、クレッシェンド気味になる、とか)
が、結局、日本人にはできない、難しいということ。

シモーネ・ヤングとしては「言わなくてもできて当たり前」のレベルと思って
スルーしていたことが、この読響というのはできないんですよ〜
というのがあからさまになった場面だったと思う。

そういうのは、ところどころ、ソロでもあからさまになっていた、
シュトラウスの旋律の解釈が、わからないので、どっちにも振り切れずに、中庸に吹いて、
聞いている方にはますますわからない、という状態。
奏者も迷うんじゃ、聞き手はもっと迷う。

これも、シモーネ・ヤングからすれば「知ってて当たり前」な部分。
ね、日本のオケを指揮するのって、こんなに大変なんですよ。
どっかの偉い人が「未曾有」って漢字が読めないようなことが、
日本人がクラシックを演奏する時には頻出するんですよ、と。

それを客演指揮者だけが教育するのは、絶対無理なんだけどね。
「なんか少しへんだけど、楽譜通り弾けてるからまぁオーケー」
と見逃されてきたことが、どんどん大きな障害になってきてるんだね。

でもさ、プライドだけはいっちょ前で。
指揮者に聞けばいいのに。旋律の解釈が分かりません、と。
これが、日本のクラシック音楽の袋小路な現状なんでしょうな。

というわけで、最後の最後で、なんの情感もない場面がずーっと続き興ざめでした。
高校野球で、11対5で、9回裏、ほぼ勝利確定だったのに、
フォアボールを10回出して、負けちゃった、みたいな感じ。
ほんと、とほほだよ。
あと、コントラファゴット、ピッコロ、もう少しちゃんと練習したほうがいい。
持ち替えだからって甘えるな。
あと、弦楽器のパワーのなさはなんなんだろうね。
このウィークポイントがある限り、シュトラウスとか、ワグナーとか、ブルックナーとか、
いつまでたっても無理だと思いますよ、私は。

プロコフィエフのオケはとてもよかった!
ピアノは聞こえなかった。アンコールで弾いた曲で、
このピアニストは、ホールで音をとらえてないなというのがはっきり分かった。
遠くに届かせるピアノではなく、自分の三畳半の中だけで響く音を、
そのままコンサートホールで弾いちゃっいました、という、まぁ、よくありがちなね。
まぁ、まだ若いからね…。名は伏せる、といか知らないのだが。

楽団も、シュトラウスくらいまでは、もう弾いていてもつまらないんだろうな。
そういう気分も伝わってくる。
古典派しかり、そこに、いろいろ盛り込んでゆかなくてはならないのかもしれない。
フルトヴェングラーとか、ワルターとかが頑張って、古典に意味をもりもり盛り込んで、
味があって深みのある演奏していた歴史があるのに、
それを古楽器演奏とかで、一度リセットしてしまったから、
もう大混乱もいいところだろう。
しばらくは、まともな古典派の演奏は聞けないのかもしれない。

プロコフィエフなんかは、音響的にいまだ斬新で、弾いても楽しそうだから、
そういう気分が、演奏にも反映されているのかもしれない。

しかし、この程度の演奏で、僕が芸術劇場を出るときもまだ拍手が続いていてた。
日本のリスナーって、本当に評価が甘いなぁと思う。

まとめると、
「お名前だけおかりします」で読響の指揮の依頼を受けるヘボ指揮者が多い中、
シモーネ・ヤングは、非常に健闘したと思う。思った通りのアーティストだった。
自分の意思をしっかり貫く指揮者だということがよくわかって安心した。
また彼女が来日したら来たいと思う。
出来れば読響以外で振ってほしいのだが…。

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いま火事ですべてが燃えたとしても。

僕はまったく困らないだろう。

火事になった時、何を真っ先に持ち出すか。

それが、あなたの一番必要なもの、と言われるけれど、

僕は、きっと何にも持ち出さない。

自分の命以外思いつかない。

服を羽織って、靴を履いて脱出するだけだ。




本やCDを失っても、

大切な思い出を失っても

ましてや、作ってきた音楽を失っても

何せ自分という人間が生きている。

それだけで、僕は満足だ。




自分の作った音楽は、自分の命より大切?

そんなこと誰が言ったのだ?

自分が生きていることの方が大切だろう。

自分がいれば、また、自分の音楽は作れるのだ。

第一、芸術なんて、つくってしまったら、

そこでもうすべてが終わっているのだ。

出来上がった音楽は、いうなれば、もう死んでいるのだ。

ハードディスク上の死骸が火葬される、

ある意味供養されるかもしれないね。




本当の芸術家は、

その人自身が作品なのだ。

作品は生き方の反映に過ぎない。

だから、作品を生み出さない芸術家が、

本当は一番すごい人たちなのだ思う。

僕は、そこまですごくないので、

今日もせっせとピアノを弾いて、作品を作る。

以上。


ただ、金を失うのは少し困る。

せめて、最小限生活が開始できるだけの蓄えは必要だ。

かっこ悪いが、それは事実です、はい。

note'n notes最後の舞台となる、MusicWaveURAYASU音楽村6が終わりました。ご来場いただいた方々m本当にありがとうございました。

小ホールのトリをつとめました。

・ナカマハーモニー
・頑晴れ
・HappyMaker

の3曲を歌いました。

HappyMakerを歌ってる最中に、天瀬さんが泣いてしまって、ボーカルが落ちてしまったところがありました。

正直、意味が分からないと思いました。

そう思いながら、しばらく自分はハモリのパートを歌っていたんですが、しばらく戻れそうにないと思った僕は、主旋律を天瀬さんと同じ高さで歌いまいた。

その時僕が思ったことは、ボイトレのおかげか、よく声が響くなぁ、ミックスボイスでうまく出てるなぁ、という冷静な気持ちでした。

そのうち、不完全ながらも天瀬さんが復活して、最後まで歌いました。

こうして、われわれの最後のステージは終わりました。

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天瀬さんが解散を言い出したのに、その天瀬さんが感極まって泣くというのは、理解しがたいことです。

でもね、でも、数か月前は、自分がそういう人間だったんです。

去年の8月に、僕は、5年間付き合った女性と別れました。

僕から言い出した別れでした。

でも、短い間ですが、一緒に暮らした家を出るとき、僕は泣いてしまったのです。

向こうからすると、「正直、意味が分からない」と思われていたと思います。

自分が決断したことなのに、なんなんだと。

結局、自分の態度で、相手を操作しようとしていたのだと思います。

つまりは、自分が決断したように見えながら、

結局、相手の態度が変わるのを期待していたのです。

それは、結局、他者に自己決定をゆだねていることとなり、

自分の選択のようでいて自分の選択では全くないのです。

そして、それがかなえられなかった時、

自分がかわいそうに思えてくる。

結局、自分が一番かわいそうでしょ、と思う、他者の視線ありきのつまらない自己愛。

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僕は、そういう経験を経ているから。

天瀬さんが、僕を操作しようとしているのがよくわかりました。

僕も、それを受け止めて、折れればよかったのですが、

まだ、未熟者で、それを包み込むことが出来ず、

さらに、少し前の自分を見ているようで、ものすごい嫌悪感を覚えました。

あなたは僕を操作しようとしている、

自分は絶対変わることはありません、

そう突っぱねました。

それで、天瀬さんは解散を告げました。

そして、天瀬さんが最後のステージで泣いている。

一緒だ。

まったく一緒だ。

きっと僕たちは似たような人間なんだな。

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僕は、残念ではありますが、悲しくはありません。

天瀬さんにも悲しくなってほしくありません。

自分で解散は選んだんだって胸を張って言ってほしいです。

きちんと、自分で、人生を選んでいってほしいです。

僕は、解散を告げられた方だっていう、口惜しさというのはまったくありません。

僕は誇りをもって、色んな事を提案したし、ベストを尽くしたから。

もし、3度目の再結成があるのならば、

きっと、もう解散はないはずです。

そうでないと困る。

そのためにはお互い、自分で人生を能動的に選んでゆくしかありません。

再結成がなくても、

天瀬さんは、弱いものに囲まれて、自分の意思を容易に浸透させるのではなく、

荒波の中で、自分はぶれないという強さを身に着けて、抗ってほしいです。

そして、それはもちろん自分への命題でもあります。

僕は、これからも、自分をあきらめません。

自分の音楽をあきらめません。

応援よろしくお願いします。

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海街diary
綾瀬はるか
2015-12-16






観た自分が悪いんだろうけど、最悪ですな。

というか、リアリティのあるマンガだから実写に向いているように思いきや、

そういうものほど、実写にすると、まったく非現実的になるのはなぜだろう。

演技力の問題なのかなぁ。よくわからないけど。


僕が思う海街Diaryというマンガは、カラフルな日常の中に、

実は、闇が潜んでいる、みんなその闇ににらまれながら生き続けなくてはならない。

そんな世界だ。

まずは、カラフルな活発な画をまずは自分は撮るかな。

あくまで「動」が主体だ。

しかし、この映画は、基本は「静」である。

その時点で、なんか、完全に監督(これえだ ひろかず)のこの漫画の解釈が、自分のそれと違うことが分かる。

これを、僕から見ると、解釈が「浅い」と感じる。

でも、「静」を感じる人もいるのかもしれない。

でも、それは間違ってると自分は言いたい。正しい解釈というものがあると信じたい。

でもまぁこの話はまぁどうでもいい。


菅野よう子の音楽も、肌をなでるような感じで、全然、ダメだ。

この原作を読んでいたら、この音楽を思いつくとはとても思えない。

おそらく、こういうオーダーだったのだろう、哀れ。


長澤まさみ演じる佳乃が、このひどい映画の中で、一番輝いてました。

僕も、佳乃がいちばん登場人物の中では好きだけれど、見事にこの「純情なダメ女」を演じきれていたと思う。千佳もまぁまぁよかった。広瀬すずは、あまりに演技がひどくて、不快なほどで、この女優を一気に嫌いになった。

日本の芸能界って、本当に堕落してますね。

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アルバム、RI:Cycleからのカットです。
あと2曲くらい、ネットにあげようかな〜と思っています。

なんか、今聞くと真っ直ぐだなぁと思います。
気に入ったらアルバム買ってね♡


RI:Cycle(リ・サイクル)
いとうりょうた
伊藤音楽研究所
2016-01-30

夢の途中
来生たかお
キティ
1995-07-21


ミックスが素晴らしい。

カツーンとしたピアノに、粘り気のあるシンセ、RI:Cycle(リ・サイクル) [CD]もだいぶこの音を参考にしたかな。

ボーカルも、聞き手の想像を邪魔しない感じで、それは一つの技術。それで売れたのは曲のクオリティが高いってことなのだろう。

二曲目と、三曲目が好き。

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