2011年02月

Wall of Sound: The Very Best of Phil Spector 61-66Wall of Sound: The Very Best of Phil Spector 61-66
アーティスト:Phil Spector
Sony Legacy(2011-02-22)
販売元:Amazon.co.jp
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フィル・スペクターが殺人犯として懲役19年の判決を受けたせいでしょうが、彼の代表的な音源がいい形でなかなか再発されてなかったけれど、とうとうSony Legacyがやってくれましたね!しかも超廉価盤。これでフィル・スペクターの偉大な仕事に触れる人が増えてくれると嬉しい。ロネッツ、クリスタルズ、ダーレン・ラヴも同時発売。

しかし、ロネッツ、クリスタルズ、ダーレン・ラヴ、は、1992年にワーナーから出たベスト盤と(なぜか曲順も)ほぼ重複。やはり注目はこのフィル・スペクター名義の「wall of sound : the very best of phil spector」と題された盤。前記3盤を「いいとこどり」したうえに、ライチャス・ブラザーズ、ティナ・ターナーまで付け加えた1枚。これは買いだね。気軽にスペクターに触れたい人はこれで十分かもしれない。

で、マニアには気になる音質ですが、92年盤が「マスターテープを当時の機材で忠実に再生して、原音のままCDに収める」というコンセプトであったのに対し、今回は「当時の常識である一回性のミックスで生じた妥協部は修正をする」というコンセプトもあるように感じます。

(88年〜92年くらいはCDにとっては良い時代な気がする。デジタルの技術がだんだん安定し、音圧戦争の突入前だから、アナログ・トゥ・デジタル化は「原音」が重視される傾向にあったっぽい。逆に2000年の我らがビーチボーイズのワーナー時代などは、音圧戦争突入後なので悲惨…。このバンドの受難はまだまだ続く)

(そして今は、デジタルにアナログの再現は根本的に不可能だから、当時のアナログ感をシュミレートしてあげようよ、という感になっているのでしょうね。僕はこちらの方が正しい発想だと思いますね)

たとえば、ダーレン・ラヴの歌う「ジッパ・ディー・ドゥー・ダー」における、二回目のサビに顕著な、突然の音量変化や、ちょっと出過ぎているような間奏のギター、カスタネットの凹凸等がかなり違和感なく均されています。

また、92年版はテープヒスが盛大に入っていたのですが、今回はそれがほとんど感じられず、それでいてアナログ感は十分に感じられるという、いわゆる「最近風のちょっとこじゃれた感じ」の音作りになっています。

しかし、テープヒスを取り除いたせいか、歌声にやや歪っぽい感じが増した感じもします。しかし、オケの音はとてもくっきりと分離がよくなり、実在感とさらに温かみがあり、すばらしいです。オケにフォーカスしたマスタリングと言えるかもしれません。

結局、フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドというのは、ヴォーカルの個性を生殺しにして、音のタペストリーの一部に編みこんでしまうという手法であるわけですから、通常の歌もののようにヴォーカルにフォーカスしたマスタリングではいけない訳です。そういう意味で、この「ヴォーカルを捨てオケを取った」マスタリングはフィルの芸術を理解したものであり、私は支持します。

なにはともあれ、「古臭い音質」という印象を与えかねなかったフィルの作品の印象を一新した功績は大きいでしょう。92年の「ヒーズ・ア・レベル」のイントロのピアノなど抵抗を示すのが普通ですが、今回はまったく普通に聞けますね。マスタリングはVic Anesiniという人。やっぱりメジャーの作品は質が違うなと思いますね。彼に「Pet Sounds」をリマスターしてみてほしいな。

アナログをデジタルに刻み再生する場合は、やはり何か手を加えるのが道理だと思いますね。

ただ、テープの回転数が、馴染んだものと少し違うものがありました。僕はおっかけ世代なので、どちらが正しいピッチか判別がつかないですが、でも結局オリジナルもレコードである以上、本当のピッチなど分からないのかもしれません。少なくとも、「確かに新たなマスタリングなんだ」という事は実証されるのでしょうか。

また、フィルの最高傑作だと思う、ティナ・ターナーが歌う(フィルの音に負けないのがすごい)「リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ」がステレオで収録されているの少し「?」でしたね。勉強不足で申し訳ないのですが、これはもともとステレオ版もあったのでしょうかね?やはりmonoでないと、フィル・スペクター関連は、なんか落ち着かないし「気が散り」ますね。ブックレットにも「new remix」とかは書いてなかったです。もしかしたらさりげなくレアトラックなのかもしれませんが、でもmonoで入っていてほしかったですね(でもヴォーカルのリバーブは明らかにデジタルっぽいので、だからリミックスなのかも)。

廉価盤なので、二枚折の簡易ジャケットかなぁと覚悟していたのですが、ホッチキスで止めてある10ページのブックレットになっており、厚手の紙にこってりといい匂いの印刷が施されていて驚きました。初出の年代、出典、そしてチャート情報などもきちんと載っており、かなり丁寧な企画だなと感じました。

そして、まだネットでは情報が載っていませんが、中に広告が入っており、それによると6枚組の「フィレス・アルバム・コレクション」が6月に発売になるそうです。これまた大興奮ですね。買わなくては(CD売ろう)。

しかし、最近は音楽関係の話題で盛り上がることなどほとんどなくなっていましたが、久しぶりに「おぉ!」っときましたね。新たな生命を吹き込まれたフィル・スペクターの遺産(←まだ死んでないぞ!)をしばらくたっぷり楽しもうと思います。

考えてみれば、オリジナル・アルバムでのCDの再発ってこれが初めてなのかもしれません。時代がやっとフィルの音源を正当に評価し始めたということでしょうか。余りに遅すぎるね。でも、服役中のフィル・スペクター、儲けは一体どうなるんだろう。もしかしたら、すべて奥さんのラシェール・スペクターのさしがね??


Out of My ChelleOut of My Chelle
アーティスト:Rachelle Spector
Genius 4ever Records(2010-07-20)
販売元:Amazon.co.jp
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奥様の御作品。十分「新譜」と言える時期にディスクユニオンに持って言っても値段が付かなかった、フィル・スペクターの最新のプロデュース作品。(←多分プロデュースしてないんだろうね。それを見越して値段をつけなかったとしたら、ユニオンは相当すごいな)

▼参考url(私のビートルズ・リマスターへのささやかな反応)▼
http://blog.livedoor.jp/beans_man/archives/51537491.html



シンガーソングライターtico☆さんの曲をアレンジしました。「本屋の君」という曲です。

▼tico☆さんのブログ▼
http://ameblo.jp/tico-blog/

去年、2010年の夏ごろ依頼を受けたものです。丁度、自動車の免許を取りに合宿に向かう時期で「あちら(山形)で完成させよう」と思いながら、結局延び延びになり、帰宅してから作りましたね。弦のパートはじめ、ほとんど構想が出来上がってましたから、苦労しませんでした。

tico☆さんも気に入ってくれてよかったです。

ここからは余談ですが、依頼を受けるようになって気づき始めたのですが、他人のための作品には自分の全力で取り組むということですね。当たり前のことですが、だけどそれによって、だんだん自分の作品はそこそこでいいや、という気分に。ここがミソです。

自分は本質的に、DTMクリエイターではなく、ソングライターだと思っていますので。もちろんDTM的に完成度高く作る技術は必須ですが、基本は、ピアノだけで歌える「ソング」を作る方が自分の才能に合っていると思います。

他人にアレンジや楽曲提供することで、DTM的な完成度の表現欲みたいなものが満たされると、自分の作品は、もっと本質的な部分を追求してみようという気持ちになります。

tico☆さんとはこれからもコラボしてゆきたいですね。
ありがとうございました。

とあるサイトに触発されまして、恋人に求める条件というのをやってみました。

やり方は、簡単。だけれどめんどくさい。50個なり100個なり、理想の条件を書きだす。そこから一番重要だと思われるものを10個を選びだす。そして、ランダムに1対1で照らし合わせ、トーナメント方式で優勝を決める。そしてその残りでまたトーナメント。第3位まで決める。

単純に書くとこんな感じ。

本当は、もっともっと細かくて、このベスト3は暫定的な順位であるし、最終的には、100個全部を照らし合わせなくてはいけないし、敗者復活というのもある。真剣にやろうと思えばどこまでもできるんだけれど。やり始めて、軽い気持ちでやり始めたのをちょっと後悔した感じ…。

けれど、これは結局、自分でも見えていない心の深部をあぶりだす作業なんだなと、勝ち抜いてゆくさまざまな条件を見つめながら何度も思った。だから、もっと真剣にやればよかったと…。

で、その結果、僕が恋人に一番求めているものは何かというと「手料理が上手」という事だった。

少々予想外の結果だった。こんなことは瑣末なことだと思っていたからだった。ちなみに、3位もどうしようもないようなこと。とても恥ずかしいから言えないけれど…。

だから、もう一度条件を見直してみた。「かわいい」とか男にとって重要なものが抜けているのに気づく。それは考えるまでもないことなので見過ごしてしまったのだろう(これは単なるノロケである)。

ふむ、でも「手料理が上手」というのはとてもいいことだなぁ。そしたら、外食という発想もなくなるから経済的だろうし、お家にすぐ帰りたくなるだろうし、そしたら家族の時間もとれるだろうし。

また、僕は人に何かをやってもらうというのがとても苦手だ(最近気づいた)。何でも自分でやろうとする。けれど、「彼女の料理」というものは、自分で代わりにすることはできないことだし、作ってもらった感謝を示すためには「食べる」ことしかない。だから、心おきなくむしゃむしゃ食べることができる。それは命にかかわることだから、たぶん、深い満足感を得るんだろう。

そういえば、昔、家庭教師のバイトをしていた時に、訪問先の家庭が(自分の家からは想像できないくらいの)ボリュームがある夕食を毎回用意してくれた。もうお腹に入らないくらいの量だったし、とてもおいしかったのだけれど、どこか申し訳ない気持ちを感じていた。

この夕食は基本的には教え子である男の子のための食事なわけであり、すなわち、その男の子のための愛情であったと思う。その子の愛情を僕がもらうのは筋違いであると、どこかで感じていたに違いない。とても美味しいのに、心が喜んでいなかった。体も正直で、おなかを何度もくだした。もったいない(←汚)。緊張していたのもあるのだろうけど。

だから、愛情が入ったおいしい食事を心おきなくむしゃむしゃ食べたいね。何かをやってもらうということや、受身の愛情表現みたいなものが、食事なら心おきなく出来るという部分があるのかもしれない。それは、自分の精神でかけているものを補ってくれるものだと思うのかもしれない。

けれど「手料理」などというある意味のんきな条件を書き連ねるには「手料理を作る人は優しいに違いない」とか「家庭的であるだろう」とか、結婚をしたことのない人間ならではの楽観があるわけであって・・・でもそれがないとやっぱり結婚ってできないのかなと思ったり。

たとえば、借金やDVで苦しんだ人なんかは「暴力を振るわない人」とか「きちんと働く人」なんてのがたぶん上位に来るわけであって、そうなると、選択範囲がグンと広がるわけで、それでさらに酷いパートナーを選んでしまったりするかもしれない。でも、そんなの付き合ってみないと分からない部分もあるしね。

そうだね、条件に多少は楽観は含んでていいんだと思うね。
考え過ぎると訳が分からなくなってくるなぁ。

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