2011年01月

マイアベーア:歌曲集マイアベーア:歌曲集
アーティスト:ハンプソン(トーマス)
EMIミュージック・ジャパン(2007-03-21)
販売元:Amazon.co.jp
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マイアベーアという作曲家は、数曲のオペラを除いてほとんどいまでは忘れ去られているけれど、その作曲家の歌曲をトーマス・ハンプソンが甦演しているCDである。曲自体、ちょっと優等生的な生硬さを感じるけれど、悪くない。

けれど、結局、後半に含まれているロッシーニの歌曲の方に強く惹かれてしまうのだから困ったものだ。結局、マイアベーアと対比されて、ロッシーニの天才が引き立ってしまった形になる。マイアベーア、不憫である。

ロッシーニは、37歳という若さで作曲活動から遠ざかり、その後40年近くも隠居背活を送った人なのだが、その40年の間にいくつか作曲はしている。「スターバト・マーテル」のような有名な作品も生み出している。

けれども、この時期の作品で、最近にわかに注目を集めている(らしい)のが、摩訶不思議で奇想天外なタイトルや内容を持つピアノの小品である(らしい)。これは、モーツァルトのスカトロジー性癖よろしく、ロッシーニ伝説を汚さないために意図的に隠匿されていたものなのであろうか。もしくは、ロッシーニの再評価というのはまだまだ始まったばかりだということなのだろうか。前々から興味があるんだけれど、まだ耳にしたことはない。

けれど、その時期に歌曲も作曲しているとは思わなかった。

そもそも、このCDはテキトーに聞き流していたものなのだが、「ん!?」と思う瞬間があり、確認したら、そこからロッシーニの歌曲が始まっていた。「んーやはりロッシーニというのは只者ではないのかもしれない」と思った。

まず、ピアノのパートが闊達な事に驚いた。ロッシーニはピアノがうまかったのだとないうことがすぐに分かる。オペラ作曲家の姿からは絶対にうかがい知ることのできないロッシーニの一面である。

またその描写力も素晴らしい。マイアベーアの「ノミの親分の歌」では「あぁ。ノミが飛び跳ねてるのを描写してるのね」という限定された描写なのに対し、ロッシーニの「ゴンドラの舟遊び」では、舟、水面、そして空、そして時間までもひっくるめて描ききっているというか。音楽の世界の大きさがやはり桁が違う気がする。

マイアベーアというのは、ドイツリートに含めていいのかな?

マイアベーアを含めた、シューベルトやシューマン、ベートーヴェンやモーツァルト等のドイツリートというのは、どちらかと言うと、観念的、そして構造的な音楽なのだなぁというのを、ロッシーニの歌曲を聴いて感じた。

ロッシーニの歌曲は、とても本能的で、それに無理なく従った自由な形式がある。

けれど、それもロッシーニという天才だけがなせる技なのかもしれない。イタリア歌曲に関しても、まったく無知な私ではあるけれど、数少ないドニゼッティやベッリーニ等のイタリア歌曲を聴いた経験からしても、ロッシーニのような自由さはあまり感じなかったからだ。十分に本能的ではあるけれど、どこかに発想の制約がある。

話を戻そう。

「パパ・ママ・ウンチ」という歌詞を持つ「赤ん坊の歌」でロッシーニ風晩年様式(?)にも事欠かないし、また、「アヴェ・マリア」(珍しい)では、なんと歌のパートは「2つの音」だけを使って構成、ピアノ伴奏だけで音楽に変化を持たせている。これはすごい。そういえば、昔TVで、サザンの桑田さんが、ユースケ・サンタマリアのために2つの音だけを使った曲を書いているのを見たような…。

というわけで、かなり面白いので、他にもないかなと、ロッシーニの歌曲のCDを検索してみたが、ほぼ女声によるものしか出てこない。しかも、さっきの話ではないけれど、ベッリーニやドニゼッティ、トスティといった「女性用声楽お勉強用CD」といった雰囲気がプンプンする。それでいいのか?

関係ないけど、以前買ったバルトリ(超有名なメゾ)のイタリア歌曲集の日本語ライナーが「へたくそな日本人以外の声によるイタリア歌曲集のCDがやっとできましたね~。みんなよかったね~」と言わんばかりの口調だったのを思い出した。こういう人たちって、やっぱりどこか変だと思う。

ハンプソンがそういう曲を選曲したからかもしれないけれど、ロッシーニの歌曲には男声がとても合うような気がする(女声で「ウンチ!」と叫ぶわけにもいかないだろうし)。とても情感豊でのびのびとした表現であり、ロッシーニの音楽を、歌曲という小さな枠に押し込めないのがとてもいいと思った。名伴奏、パーソンズのピアノもロッシーニの作品では精気が3割増しと言った感じ。

ただ、勉強したわけではないから、自信はないけれど、彼のフランス語の発音はあまりうまくないんじゃないかなと思いました。イタリア語の様に聞こえます。ロッシーニの旋律がそうさせるのかもしれませんが。




あまり面白いことを言わない音楽評論家が(「音楽評論家」は面白いこと言っていただかないと困りますよ)このアルバムがいつも「ロック名盤」で1位に選出されるのがご不満らしい。

僕は、あんまりロックに詳しくないので(というか、何にも詳しくない)、これが本当にロックの中のロックの中のロックということで「第1位」でいいよ、と言い切れる知識を持たない。

でも、たまに聴くと、必ず何度もリピートしてしまう(←いまこの状態)。何がこんなに引き付けるんだろうなぁ。そして、この「引き付け」感は、昔より強くなってきている。

たぶん歳を取るに従って「これは本当の【オリジナル】な音楽なんだ」ということに気づいてくるのかもしれない。それは、たぶん、ある程度の年月を経ないと理解できないものなのかもしれない。

もし、ブライアン・ウィルソン(作った人)が、スティーヴィー・ワンダーのように、全部の楽器を演奏して、多重録音して完成させたとしても、たぶんこの響きは生まれなかっただろう。この【オリジナル】なブライアン・ウィルソンの音楽が、録音にかかわったすべてのミュージシャンを納得させ、魅了させた事実。そして、そういう制作方法からしか生まれない「熱気」がこの演奏には込められている。フルトヴェングラーやメンゲルベルクと言った指揮者が持っていた時代錯誤的な熱狂もそろそろ込みで考えた方がいい。余談だが、フィル・スペクター門下の必須条件は、この「熱狂」(時に狂気)だという事が見過ごされている。

そして、この【オリジナル】な音楽を、怯むことなく推し進めて、完成しきったブライアン・ウィルソンに、僕は勇気をもらうことになうる。そうだな、最近はこのアルバムを聴いて、そんな部分に癒されている感じがするな。

だから、そのあとにトライして挫折した「スマイル」というアルバムの魅力は、その音楽の録音された断片にだけ息づくのであって、それを歳をとったブライアンが、彼を心酔するミュージシャンに囲まれて完成させたとしても意味のないことである。

蛇足だけれど。

このアルバムが雑誌のアンケートとかで「第一位」になるのは、雑誌の編集者が発言力を持ち始めたころに「ペット・サウンズ」に開眼して「第一位」に推す。それを読んだ若い層がこのアルバムを買う。その何人かが出版社に入る。そしてその若い層が発言力を持ち始めたころに…、というスパイラルがあるのではないかと勘繰ったりしてみる。

「ペット・サウンズ」というアルバムは、このように「時間差」を持つ。ノスタルジーでしかロックを語れなくなったオジサンたちとって、このアルバムは一縷の望みとなり「第一位」に投票させるのかもしれません。

酷いよね、いままでさんざん悪口言っておいてね。
(`ε´)

Pet Sounds  [from UK] [Import]Pet Sounds [from UK] [Import]
アーティスト:The Beach Boys
EMI(2000-09-04)
販売元:Amazon.co.jp
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あまり面白いことを言わない音楽評論家が(「音楽評論家」は面白いこと言っていただかないと困りますよ、「音楽」のプロじゃないんだから)このアルバムがいつも「ロック名盤」で1位に選出されるのがご不満らしい。

僕は、あんまりロックに詳しくないので(というか、何にも詳しくない)、これが本当にロックの中のロックの中のロックということで「第1位」なのか断定する知識を持たない。

ただ、これだけは言えるのだけれど、折あるごとに「よく聞く」ということだ。そういう意味で、手放せないアルバムではある。そして、これはロック中のロック中のロック中のロック(しつこい)を断定するのに必要な要素ではないかもしれないが、一度聴くと、大体新たな発見があって、何度かリピートしてしまう(←いまこの状態)。これは、スペクター門下生のすぐれた作品に共通した要素かもしれない。

思いついたから書くのだけれど、僕は、ジャミロクワイという超有名バンドを、20歳も終わりにさしかかったときに初めて知った。特に、スチュアート・ゼンダーの即興的で印象的なベースラインが癖になった。というよりも、全体的に即興的な勢いに溢れており、それでいて、きわめてPOPであるという、とにかくすごい衝撃を受けたのだった。1st、2ndなんかは、もう掛け値なしの名盤なのではないかと思った。

けれど、あれだけ熱中したのに、これらのアルバムはほとんど聞かなくなってしまった。たまにベストを通して、あ~満足というくらいの印象になってしまった。

なぜか?やはり即興演奏というのは、その場で聴き捨てられるべきものであり、永遠性というのはないのだろう。ロックのアレンジというのは、ヘッド・アレンジといって、譜面を書かずに、最低限の口約束で行われる場合が多い。これも即興的要素が強いとみなしていいだろう。

かといって、アレンジをきちんと五線紙で書けばいいのかと言えばそうではない。五線紙というフォーマットの可能性はもはや汲みつくされ、もはや凋落の一途であることは明白だ。だからこそ、五線を使わないロックというものが、これほどまでに支持されて来たのだろう。

で「ペット・サウンズ」はどうだろう。このアルバムを作曲し。アレンジし、プロデュースしたブライアン・ウィルソンはもちろん、五線紙に音符を書いて作曲をするタイプではない(本人に聞いてはいないが、そんなの聴きゃわかる)。けれど、きちんと編曲に明確なコンポジションを与えている。

ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」
アーティスト:ショルティ(サー・ゲオルグ)
ユニバーサル ミュージック クラシック(2007-02-21)
販売元:Amazon.co.jp
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ベートーヴェンの第九と言えば、やっぱりフルトヴェングラー/バイロイト祝祭o、いわゆる「バイロイトの第九」が一番好きだ。音も悪いし、オケは下手だけれど、表現がピタリと決まっていて、「あの方法ならあれ以外ない」という高みに達している。それを覆せる解釈に、いまだにお目(耳?)にかかれていない。

でも、やっぱり名曲である「第九」そればっかりではもったいない。いろいろ聞いてみるのだが。

トスカニーニの「第九」は良かった。けれど、ベートーヴェンの音楽というよりは、その確かな統率力と一つの時代を築き上げた敬意で聴いているような気もする。トスカニーニ風の誇張というか、情熱の余剰?がいたるところに散見され、そこにゆるぎない徹底を感じる。通して聴いたときに圧倒感はフルトヴェングラー以上かもしれない。けれど、やはりそれは、高い統率力に感動しているのだと思う。統率力を誇示するために、早いテンポが取られている、という本末転倒を、たまにトスカニーニの演奏から感じることがある。意地悪な見方をすると、このベートーヴェンもその例に漏れない。そういう指揮者はトスカニーニ以外にはいないだろう。だから、その誇張を感じさせないから「ローマ三部作」や「悲愴」や「時計」などが名盤と呼ばれるのかもしれない。

本題。

このショルティの「第九」は、ものすごくいい。ハマってしまい、もう何度も何度も聴いている。二種類あるけれど、古いほうの録音。

この演奏を聞いたことがない人には信じてもらえないだろうが、これは「バイロイトの第九」にそっくりである。

ショルティという指揮者は、日本で不当に低く評価されている。ヨーロッパやアメリカでは不動の地位を築いているのだけれど。指揮者模写の芸人、好田タクトさんがヨーロッパに指揮者(模写)の修行に行ったときに、頻繁にリクエストされたのがクライバーとショルティだったそうだ。それくらい、ショルティの実力は認知されている。

解説を見て初めて知ったのだが、ショルティは、フルトヴェングラーとトスカニーニの演奏を聴いて、指揮者を志したという。フルトヴェングラ-というのが少々意外だった。たぶん、これを読まれて、同じことを思われた方もいると思う。

トスカニーニだけなら分かる。ショルティは、トスカニーニと同じく、譜面に忠実にあろうとする指揮者だ。だから「第九」も、トスカニーニと同じような、快速の演奏を繰り広げるであろうと予想していた。

しかし、実際は違っていた。第一楽章は、ゆっくりとしたテンポでじっくりと音楽を進めてゆく。こういうゆっくりな第一楽章を演奏を聴いたのは、考えてみれば、そう多いくないということに気づいた。乏しい音楽体験から語るの恥ずかしい限りだが、フルトヴェングラーぐらいしか、こういうテンポを取る指揮者を知らない。

この楽章におけるベートーヴェンのメトロノーム指定は、異常に早い事が指摘されている。このテンポで駆け抜ける演奏も最近は出てきたが、結局、そのテンポには至らないものの、なるべく近づけた速めのテンポで駆け抜けるのが一つの常識となっていたように思う。

けれど、ショルティはこれを守らなかった。楽譜に忠実にあろうとするショルティにとって、このテンポを近づけるという妥協もせず、無視した(しなくてはならなかった)ことは、なにか楽譜から読み取れる以上の解釈に頼らなくてはならないと思ったのかもしれない。

そして、それを、フルトヴェングラーの表現に求めたのかもしれない…とか思ったりして。

有名な第四楽章の冒頭の語り口や、コーダの解釈も、ほぼフルトヴェングラーのものと同じだ。そして、コーダに至っては、フルトヴェングラーでは崩壊している快速なテンポをショルティは見事にまとめあげている。すばらしい。まるで、フルトヴェングラーのやり残した事を埋めていくかのように。ショルティには大変申し訳ないけれど、「バイロイトの第九」でところどころある不満感を満たしてくれる演奏である。

でも、実はショルティもそんな気持ちで録音したのかもしれないなと、ふと思ったりもする。まぁ、実際のところどうかわかりませんけれど。

ショルティの第九に夢中になっている。

詳しく書きたいのだがネットに相変わらず繋がってないので諦める。

せっかく久しぶりにクラシック記事書きたかったのにな。

(`ε´)ん〜

今日のお昼頃からインターネットが出来なくなった。もしかしたらしばらく更新出来ないかもな〜。明日プロバイダに電話しよう。

来週のラジオまでには直っていてほしいです?

今日、銀行の窓口にお金を振り込みに行った。しばらくして、名前を呼ばれて、おつりをもらった。その時に窓口の人に、

「ご健闘お祈り申し上げております」

と言われて、何の事だか理解するのに通常の倍の時間かかった。あぁ、そういうことかと。

その話は、またそのうちに~。

で。(やっとここまで来た)初音ミクの新曲ができましたよっと。「ふたり乗り」という曲です。


YouTube


ニコニコ動画

作詞は「わたしのことがすきにな~る」という曲で共作したリチャードさんです。歌詞はこちら。イラストは小椿@牡丹さんにお借りしました。ありがとうございます。

うんと、結構、伸び率が最悪かもしれないです…。ほんと、リチャードさんには申し訳ない。結構自分では会心の作だったんですけどね。まあ、きっと誰かには届いているはずでしょう!ドロン。

ちょっと遅いですが、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

さて、今年の抱負はどうしようかなと思う時に、大体「去年はどうだったかな」と前の記事を読み返すのはブログをやっている人にはもはや当たり前の行動でしょうか。・・・でも「今年こうしたい」みたいなこと書いてないな。なんか「ホームページを作る」みたいなことは書いてあったな。でも出来てないね。まぁ、あった方がいいとは思うんだけど、今はそんなに必要性を感じないかな。

なぜ作ろうと思ったかと言うと、音楽制作の注文をばしばし取っていこうと思って、それにはブログだと少々分かりずらいし、なんか多少なり立派に見せようとと思っていたから。でも、伊藤に注文したいと思えば、普通にメールをくれるだろうし、立派かそうでないかってのは、自分の公表している作品で計られる。結局、そういうのは自分の実力に伴って来るのかなと最近は思っているので、あまり必要ないかな、と今は思っています。

そうだね、あまり背伸びしないで、自然体でいきたいですね。これが目標かな~。

あと、去年にホームヘルパー2級の資格を取って、そこからいろいろ、自分の人生を真剣に模索する機会が増えた。今年は、これら思ったことを少しずつ実行に移す年になると思う。

というよりも、今年1年…とかそんなみみっちい単位ではなくて、5年後とか、そういうスパンで考えた方が30過ぎたらいい気もするねぇ。時間の過ぎるのが、本当に早くなったよ。というか、いままでのんびりし過ぎたんでしょうね。たぶん、周りはすでにものすごい時間のスピードに乗り始めていて、自分もそこに加わらなきゃイケないんだと思った。抽象的な言い方で恐縮ですが。5年後には、きちんとそのスピードに乗れていて、社会的にもきちんとした人間になろうと思いました。

あと、作曲は、もちろんやってゆきます。この一年で、DTMの操作にも慣れてきて、狙ったように音楽が作れるようになりました。どれを狙うにせよ、狙うものさえあれば、短期間でキチンとそれを再現できる。そうなれば、後は「狙うもの」だけを考えればいいことになります。結局「狙うもの」が一番芸術で大切なことなような気がします。あと、やっぱり、何かきちんと採用や賞を取ってゆきたいネ。

あと、ラジオももちろん続けていきます。これは目標があって、フィード登録者数が100人を目指したいですね。今ちょうど70人です。一週間に一度しゃべることが、結構精神バランスを保ってくれているような気がします。

そんなこんなで、今年もガンガン頑張ります。
みなさんも、ガンガン頑張ってください。

あけましておめでとう!!!!いえーーい!

…と軽快にいきたいんですが、ちょっと昨年度末に受賞をしたものを紹介したいと思います。

■クレオフーガ

音楽投稿・コンテストサイト「クレオフーガ」にて、「クレオフーガアワード2011」という「今年一年で活躍した音楽クリエイターを表彰」する場にて、私が【オリジナリティ部門賞】を受賞したそうです。

…したそうです、というのは、私、年末田舎に帰っており、ネットに繋がっていなかったので…帰ってきて知った次第です。ありがとうございます~。春の食材コンテストで、つくしをアイドルグループに見立てた「あなたにつくし隊」という歌がウケたみたいです。同コンテストで受賞もしました。

総評がtwitterでなされているので、TLで流れてしまわないように、ここに引用させてもらおうかと思います。

「オリジナリティ部門賞」の受賞は、、、、伊藤龍太さんです。おめでとうございます!伊藤龍太さんの楽曲が話題になったのは、やはり第2回 フードソングフェスティバルにエントリーされた、「あなたにつくし隊」ですね。http://creofuga.net/songs/3718 この曲のインパクトは凄かったです(笑)歌詞の中で「つくし」と「尽くす」をかけてみたり、つくしをアイドルグループに見立ててみたり、可愛らしい歌声といい、突っ込みどころ満載というか(笑)、なんというか凄い個性を放っていましたね。しかも、当時のコンテストのエントリーナンバーが1という・・(笑) あんな作品が初っ端から投稿されたので、スタッフ間でも相当話題になった作品でした。(http://twitter.com/creofugaより引用)


ありがとうございました!

でも、優秀賞を受賞されていた、twitter仲間のharry fisher aokiさんが「演舞曲のコンペでも見事勝ち抜いた…」と紹介されていたけど、オイラも2年連続で勝ち抜いているんだけどなぁ。

というわけで。

■うらじゃ

ラジオやサイドバーではすでにご報告しているんですけれど、ブログでは書いてなかったと思うので。岡山で催される踊りのお祭り「うらじゃ」にて、2010年度のに鬼彩(きいろ)さんという踊り連に、私の編曲を利用していただいた(ソカうらじゃ)のですが、2011年度も、新しい編曲を採用していただくことになりました(ソカうらじゃ2011)(←安易なタイトル)。

そのコンペを開いていただいたのが、上記のクレオフーガさんというわけです。

これも、例のごとく、作曲の著作権者が他にいらっしゃいますので、僕がお聞かせすることができないのですが、いずれ演舞の模様がYouTubeにアップされると思うので、その時にでも。文字通り「ソカ」のリズムを使った曲です。これを制作する前に遊助の「ミツバチ」がネットで超・話題になっており、「やっぱソカだよな」と思って、またソカりました(笑)(なんで年末の歌番組で遊助はミツバチを歌ってくれなかったんだろう…)。

ちなみに、もう一曲は「うらじゃdeツイスト」という曲を作っており、これは「俺はプレスリー、プレスリー…」と暗示をかけて歌いました。披露できないのが残念です(去年も一曲落ちたんだよな…)。

制作秘話的なものを書こうかねぇ。

30秒ルールというのがあって、原曲のメロディが連続で30秒使われていないと審査に通らないのです。去年は特に考えなかったんですが、今年は「ソカうらじゃ2011」は「ほぼ創作」、「うらじゃdeツイスト」は「別の曲」というぐらい原曲とかけ離れたものになっているので苦労しました(それが喜ばれるような手ごたえを去年感じたから)。結果30秒は「間奏部」で稼いだ、というのが実情です。ちょっとやり過ぎた感もありますが、そんな吉と出るか凶と出るかわからない危険な作品を選んでいただいた鬼彩さんには、本当に感謝しております。ぜひ来年もご縁があれば。

たぶん、2010年の集大成的なものになるだろうなぁ、と思って、気合いを入れて作りました。なんかずっと前のことのように思います。それくらい、最近は状況の変化がめまぐるしいのかもしれません。なんか、聴いていると懐かしい気分になります。

そうそう、この頃すでに、motif-rack ESを入手していたのですが、この作品はSONARに付属しているTTS-1とD-PROのみで制作しました。DTMの右も左もわからない時からずーっとお世話になってた、これらのソフト・シンセの「卒業制作」にしようと思いました。見事「採用」でこたえられてよかったと思います。

…といっても、今でも使ってるけどね(何だそれ)。

■ピアプロ

あとで動画作らなきゃ、と思って、ただアップしたままにしておいた初音ミクの歌「ふたり乗り」が、ピアプロで「注目の作品」に選ばれていたそうです(これまた知らなかった)。「注目の作品」になると、ピアプロのトップページにリンクが貼り出されるのですが、それを自分の目で確かめる機会はついに訪れなかった…。1日位の命なんだろうな。しかも、ランダム選出の可能性もあるので、そんなにありがたくはないのかな…。せめてこの目で確かめたかった。とほほな気分です。

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