2009年11月


http://www.youtube.com/watch?v=1JZ2GpGbGYk

今月から、毎月一曲ずつSONARで作った曲をYOUTUBEにアップしてゆこうと思います。

今月は宮沢賢治の有名な詩「雨ニモマケズ」に曲を付けたものをアップします。先日の作業報告ものこの曲のことでした。

「雨ニモマケズ」は複数の作曲家に曲を付けられていますが、散文詩なので、有節歌曲(1番、2番という型)にすることはできません。よって同じメロディは二度と出てきません。各段落の作者の心をくみ取り、それにふさわしいメロディを探ってゆきました。

この曲は声に力のある、オペラ歌手に歌っていただくことを想定して作曲しました。なのでバックはオーケストラになっています。歌は自分で歌っていますが、声に力がないので、盛り上がる部分はダブルトラックにしています。

でも、別のアプローチも考えられる深みのある詩です。また機会があれば、新たなメロディをつけてみようと思っています。

この曲を使っていただける方、きれいな音源で聞きたい方、歌ってみたいのでカラオケが欲しいとい方、ご一報ください。奇麗な音源でお送りいたします。

ちょっと間が空いちゃった。

いま2曲制作中で、1曲は歌モノなんだけでも、もうひとつはインストもので、8分の6のリズムのバラード。イメージとして、モーツァルトのP協21番の第二楽章のような感じにしたかった。

リズムを確か2本のホルンで刻んでたよなとその通りつくっていたんだけど、どうも行き詰まってしまった。CDで確認するのプライドが許さなかったんだけど、ボツにしようかとまで思いつめていたから、だったら確認しちゃえと思って聴いてみたら、弦で刻んでいた。ホルンのトラックにあったクリップを弦のところにそのまま移行(便利すぎるわ)。おぉぉ。

それ以降はするすると進めることができている。ホルンで刻むわけないじゃん。死んじゃうよホルン奏者(笑)。あぁ駄目だな、勉強しないとって心の底から思った。モーツァルトはハイドンのロシア弦楽四重奏を丸々写譜し勉強したらしいけれど、私もこの楽章を写譜しよう。

余談だけど、文章もうまくなりたくて、これをいつか写本しようと思っているものが何冊かあるのです。

でも、こういうオケ曲を作る時は、ピアノロールだと、なかなか難しいなって思った。

もう一曲の歌物は今日歌入れする予定。これから朝にかけてインストも完成させる予定。夜更かしが巡り巡って、さっき起床しました(笑)。今日で周期がもどるかな。明日はピクニックだしね。

liliモーツアルト・ピアノ・ソナタ全集
アーティスト:クラウス(リリー)
販売元:EMIミュージック・ジャパン
発売日:1991-01-30
クチコミを見る


先日お話した通り、ブック・オフで激レアなEMI盤リリー・クラウスのモーツァルト・ピアノ・ソナタ全集(旧録音)を発見し、相場より30%オフくらいだったので購入しました。

新星堂盤も結構聞いたのですが、それは他に選択肢がなかっただけで、とにかくその演奏の荒っぽさだけが印象に残っていました。

そんなに音の違いで、演奏の優劣が揺らぐはずがないし、そういう「音質音質」と一つ覚えにのたまふ輩を「温室バカ」と名付けているワタクシではありますし、正直「やっぱりな」と確認してからディスクユニオンなり、ヤフー・オークションなどに売り飛ばして元本を取り戻そうと思っていました。

ビビっと直観的に分かったわけではないですし、音の違いで感銘度が変わるとかやっぱり信じたくないのですけど、どうも、そういうことも起こらなくもないのだなと言わなくてはならないと思った次第です。

いろんな「あれ?」の連続でした。たとえば「トルコ行進曲」。新星堂盤だと、どうもセカセカした、せわしない演奏のように聞こえたのですが、EMI盤だと、すーーーーっと柔らかい水が音を立てずに流れてゆくような、滑らかな演奏のように感じたのです。宇野功芳さんは「装飾音が羽毛のようだ」と書かれていましたが、それはEMI盤でしか感じることができません。

ソナチネとして有名なK545ですが、新星堂・・・変換するのが面倒になってきたのでSと書きますね・・・・Sだととてもへたくそな演奏に聞こえるし、技術をもてあましている部分が散見されるのですが、EMI盤だと慈しんで弾いていて、そのクラウスの優しさに聴き手も癒される・・・そんな演奏です。

モーツァルトのソナタで一番好きなK332ですが、効果的な短調の左手のアクセントなど、Sだととても乱暴に聞こえ、がっかりしました。終楽章の何度も出てくる息の長いスケールに、クラウスのテクニックばかり案じてしまい、どうも音楽を楽しめるに至らなかったのに、EMI盤だとすべての表情が自然に繋がって聞こえ、テクニックに心配するなどということもなかったのです。

本当に、こんなことは信じたくないのですが、素直にそう思ったのです。音だけ聞いてもSとEMI、何が違うのか明確に提示することができません。けれど、総合の感銘度に大きな開きがあります。それを「音がよい」というなら、賛成せざるを得ないでしょう。逆にいえば「いい演奏はいい音をしている」ということになるでしょう。逆はもちろん真ではありません。まず感動に合わせられた音の解像度であるなら、それが高い低いとか意味をもたないのです。

今まで、クラウスのモーツァルトを聞くという考えを捨て、とにかく曲だけに耳を傾けようと腐心していた私ですが、EMI盤だと、好んでクラウスの術中にはまってやろうではないか、と思えるのです。EMI盤の方が「気にせず聞ける」のです。Sは「聞いているんだな」と常に意識している(させられている)感じがします。

クラウスのピアノの演奏は、どこかおとぎ話のような懐かしさを含んでいる。それを知ったのがシューベルトの「即興曲集」だったのですが、もっと前からそれはあったのだということを知りました。

こんにちは。
ブログ通信簿なるものがあってやってみました。

▼ブログ通信簿▼
http://blogreport.labs.goo.ne.jp/tushinbo.rb

最新10件の記事から分析して、年齢などをすっぱ抜いてくれたりする面白いプログラムなのです。

で、僕の結果はこれでした。

tushinbo_img
55歳って(笑)。

まあ「趣味悠々」なブログを書く55歳もいるかもしれないけれどねぇ、けれどねぇ、ヒドイ。ちょっと若者意識しようかなヾ(´ω`=´ω`)ノ

しかも「主張しろ」とな。結構してると思うんだけどな。角が立たないように、見える人だけにチラつかすみたいなことはしていると思うんだけど、そのあたりはやっぱり解析できないのかな。マジショックぅ〜なんですけどぉ♪(←限界)

これ、他人のブログもチェック出来ちゃうので、同年代のあの人とあの人をチェックしたら、おひとかた50代が!!!ワッショイワッショイ。でももうひとかたは20代。くやしいです!!

今日は白菜を食べます。キムチ鍋の元が終わってしまったので、どうすっぺかなぁと思ってcookpadで調べたら、白菜のパスタがおいしそうだったので、それを作ろうかなと。cookpadって、すげーーーーーーーーーーーーーーーwwwwww(←限界)

公共料金を払いがてらブックオフに立ち寄ったら、ぬぁんと!東芝盤のリリー・クラウスのモーツァルト・ソナタ全集が4000円で出ててびっくりしたよ。買っちゃったよ。新星堂盤も持っているのだけど。

僕は昔、クラシック評論家の宇野功芳さん信者で、彼がこの東芝盤の音しか誉めてなかったから、これどうしても聞いてみたかった。

実際聞いてみると、テープヒスノイズをカットした清澄な音づくりで、無音部とかは確かにしーーーんとしてるのだけど、新星堂盤の方もカッチリしていて悪くない気がするなぁ。フォルテで音が潰れるのは相変わらずだし。東芝盤は「ふくれすぎ」って感じがする。ヒスノイズを取るってことは高音をカットするわけだから、相対的にそうなるわな。

でも、音の好みなんて、美人の基準が人それぞれ違うのと同じだし、宮崎あおいタンと高橋マリコチャンのどっち?と問われても「どっちも☆」と答えるしかないよねぇ。

主張してみた。バイバイ!

えーーーいろいろ報告です。

11/14日、note'n notesの渋谷多作でのライブ無事終了。ご来場いただいた皆様、本当に、本当にありがとうございました!!!!差し入れも、本当に毎度毎度すいません。

自分としては、note'n notesの新しい一歩を刻めたライブだったのではないかと思います。これからも応援してくださいね。

そのあと、間髪いれずに、とあるコンテストの音楽づくり。今日なんとかしあげて明日投函。DTMを初めて日も浅いということで、一作品一作品、肩に力を入れすぎていたのだなと反省し、今回いい意味で肩の力が抜けたと思う。ビートが利いた、疾走感のあるインストです。まだまだ、ホンモノの「クラブ系」の音楽には一日の長があると思うのですが、その基本的な作り方が分かっただけも収穫があったと思います。

で、いまDTMコンテストは、結婚式のBGMを募集しているのですが、これに参戦することに決めました!!イメージがわかなかったのですが、イントロを作ったら「いける」と確信しました。制作日数10日と決めました。

それと、同じくDTMコンから臨発的なアレンジのコンペが。これがとても難しいけど楽しそう。これを見たから結婚式BGMに参加しようと思った。一発キメて、勢いを付けて取り掛かりたいと思ったので。でもこれ難しそうだぞ。

あ、あと12月の歌も作らなきゃ!これはもう決まっているんだけどね。昔作ったラップのリメイクです。ちょっとネタが古くなった気もするけれど、「雨ニモマケズ」はちょっとまじめすぎたからね。脱臼する勢いで肩の力を抜いたラップを作ります。

あ、あと就職もしなきゃね(笑)。とにかく忙しきことは良きことかな。

死ぬということについて考えてみた。

いろいろ考えをめぐらせたのちに、昔に読んだ養老孟司さんの言葉を思い出した。確か「死が実感できない世の中になっている」というような言葉だったと思う。

最近人が亡くなる時は病院というのが常識。意図的に死が目に触れないように隔離されている。町に死体が転がっていることもないし、猫の死骸は保健所がすぐに引き払ってくれる。だから、死がどのようなものかという実感がわかない。

ショートケーキかチョコレートケーキを選ぶように、何か別のものと同等に「死」が選べてしまうような錯覚があるのかもしれない。けれど「死」は何かと比較できるようなものではないはずだ。

死への恐怖が薄らいでいる。しいては命がかるんじられている。

もし人間が不老不死だったら人間は努力を忘れてしまうかもしれないと友達が言っていたけれど、「死」を想像できない人にも同様の現象が起きるだろうと思う。

逆説的な言い方になるけれど、自殺をする人は自分が死なないと思った人なのかもしれない。だから、その人は死ぬとは思っていないくて、ただ死を選んだだけなのかもしれない。けれど死というのは、想像の及ぶところではなかったと選択後に気づいた・・・かもしれない。

けれど、日常的に死体が転がっている世の中に好き好んで生まれたわけではないのだから、なんとかこの「死の軽さ」という「現代病」に折り合いを付けて各々が生きてゆくしかないのだろう。転んだり、殴られたり、振られたり、骨折したり、そういうリアルな痛みを重力のように体内に取り入れながら成長してゆけば、自ずと死の重さが分かってくると信じたい。

とにかく、現代社会では生き続けることだけで、本当に素晴らしいことだと思う。戦争は起きていなくても、人を殺してゆくシステムはいつの時代も息づいている。

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