2008年09月

無言歌って、本当にきれいな曲集ですよね。実に癒される。

この美しさは、閉ざされた美しさ。例えるなら、赤毛のアンが育ったグリーンゲイブルスでしか通用しない美しさ。いずれ忘れさられて行くような、そんな悲しさがある。

しかし、グリーンゲイブルスの住人になってしまえば、そこには慎ましい喜びにあふれていて「何が悲しいの」と逆に問うてくるようでさえある。

「いや全然悲しくなんてないよ」と無言で答える。

キリアコウの演奏はこれ以上を考えられない。LPで所有したいものだ。


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このアルバムの「ユー・アー・ゼア」を聞いた途端、ショックを受けた。ジャズの全盛期に自分がタイムスリップしてしまったかのような錯覚に陥った。「天才だ」とすぐ確信し、ロバータ・ガンバニーニに一生付いて行こうと思った。

調べれば、前作のファーストからかなり話題を集めたらしい。チッ、俺が一番最初だと思ったのに。

ハンク・ジョーンズと共演が音で残り、まずはほっと一安心だ。このアルバムは、後年彼女のディスコグラフィーを振り返る時、豊かな膨らみを持たすものになるだろう。

なんと言っても「ユー・アー・ゼア」だ。この曲はブロッサム・ディアリーの『ウィンチェスター・イン・アップル・ブロッサム・タイム』で、その美しさに恍惚としたが、ロバータのも勝るとも劣らない。不思議にも、声の細いブロッサムの方が《夜》を、ロバータのほうが《夜明け》を感じさせる。

他の曲も素晴らしいとは思うのだけれど、どこか曲との埋めがたい距離を感じたりしないでもない。若手落語家が廓噺をする白々しさというか。やはり、新世代の歌手なのだと思う。

ただ、ライブだとスタンダードを歌ってほしいというジレンマ。ジャズとは結局そういう芸術になってしまったかのかしらん

11月に新譜が出る。今から楽しみ。

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昨日は、「いとう家」のデモ作り。3時間で2曲分録った。とあるライブのオーディション用。

家に帰ったのが5時半ごろ(無性に左のかかとが痛い)。いつの間にか寝てしまい、起きたのが11時頃。

そこから朝方まで編集。当初は「まあここまでできてればOKだろう」と思っていたが、明らかに適当に歌っている《ように聞こえる》箇所を見つけ、モニターに怒りをぶつけていた。

もうやめちゃおっかな〜と何度か思った。長女の歌唱力はあんなもんだっただろうか。「好き」とか「さみしい」とか、そういうフレーズでは普通の人間ならそれらしく歌うのでは、照れて感情を殺してる?あぁそういうの全然興味持ってないしとか思いながら。

でもとりあえず完成した。でも、過去の様々なパートナーとの失敗のトラウマにちょっと押し潰されそうだった。それは家族の血でさえ乗り越えられないものなんだなと思った。

もういいや、落ちてくれれば、それでいいや。

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中学生の頃に買った輸入CDだが、同品番でまだ現役盤であった。ちょっと感動。日本のメーカー見習え!

これを聞いて「天才」を知れない人間は、おそらく聴覚に何らかの欠陥があるのだろう。

パーカーが一つの頂点を築いたとすると、ゲッツはまた別の頂点を築いたのだ。富士山とエベレストのどちらが優れているかなんて誰にも分からないし、意味のない事と同じように。

とにかく、異常な演奏だ。このあと現れたテナー奏者は、このアルバムは聞かなかった事にしているのだろう。

パーカーを聞いていると、黒人の血を感じるが、ゲッツはユダヤの血を感じる。アドリブでの、エモーショナルなスリルではなく、楽理的なスリルを感じさせる辺り。「ジャズは心だよ」なんて言ったらゲッツは鼻で笑うだろう。

最後に、私の中学生時代の、図工の授業で製作したゲッツ・マグカップを紹介しよう。




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いかがであろうか。なかなかの出来であろう。

ちなみに、最初はビル・エヴァンスの「トリオ64」の抽象画で製作しており「後は焼くだけ」の状態にまで持っていったのだが、同級生の心ない一言で、急遽、分かりやすいこの図案で製作したのだ。でも、それで良かったんだと思う。このマグカップは私の宝物。

STANの"S"とGETZの"E"の色が違うのは材料が足りなかったから(笑)。でも、むしろ気に入っている。

ゲッツに見せたかったなぁ〜(爆)。

このアルバムをかける時には、いつもこのカップでブラック・コーヒーをたてるというのは真っ赤な嘘で、今日は給料日なので、奮発してヱビスで〜す。ごくごく。

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ポップスとは

ずばり、既視感である。
既視感をいつの時代も感じさせる音楽、それだけが残って行き永遠の命を得る。

なぜか?それは数パーセント、淘汰されないオリジナリティが含まれているからだ。それがなければ単なるコピーである。

今日はデモ製作のためのガイドボーカル・デモを作った。久しぶりにテープMTRを引きずり出してた。

意外といい音がするなとちょっと感心する。

その前に、残ってた作詞をしていたけれど、結局残したままにしてしまった。なんとかなんべ。

女用にだから1オクターブ低く声を入れる。すると、自分の中低音が以外と甘い響きをもっていると自画自賛する。

これを二日で長女がマスターし、土曜日にデモをつくる。スタジオを探さないとな。

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超有名盤だが、実はオジサン初めて全曲聞いたよ???。600円で売ってなきゃ絶対買わなかっただろうな。キング盤だけれどキング盤って高値をよんでるんじゃなかったけ??

やっぱりタイトル曲ですな。

ライナーに藤井英一さんという方が詳細な分析を書いておられて勉強になる。こういう楽理的な分析が書ける評論家はもういないのか?

かいつまむと、モードジャズの代表曲であり、ドリアン旋法とミクソリディアン旋法がつかわれている。しかし、演奏困難を考慮してか、どちらの旋法でも演奏可能なように、和音の第三音を抜いて構成されている。

よって、調性は不安定なになり、曖昧模糊な感じを聞き手に与える。が、奇しくもそれは、クラシックの印象派的な風景描写を感じさせ。それが、新しいジャズの息吹を感じさせ、大ヒットとなった。

ただ、各々のアドリブはモード大本命のリディアン旋法は用いられず、従来の音階に近い(シがフラットするだけの)ミクソリディアン旋法に終始しており、あーざんねん、ということ。

しかし、意欲的な実験作に「処女航海」と名付けポピュラーになる。これは素晴らしいことだ。ハービーはまさかこのマニアックな曲がヒットするとは思わなかっただろう。でも、それこそが本来のポップスのあるべき姿であり、逆にハービーがロック、ヒップホップなど、「既成のポップス」を取り入れるようになった頃から、彼の音楽は死んでいたのかもしれない。







なーんちゃって。

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アメリカで買ったCD。まあ日本でも買えますが。

エルガーのチェロ協奏曲はデュ・プレでまあ決まりだけれど、余りに劇的で、奏者に積極的に共感する気持ちがないと、しんどいところがある。

だから、僕はたまにマを聞いたりもする。

この盤を聞くと、なんてエルガーは寂しい曲を書いたんだろうと思ってしまう。

ショーボートという映画で、黒人奴隷の悲しみを美しい朝靄の中で黒人が歌うシーンがあるけれど、美しい自然と、閉ざされた奴隷の運命の対比に思わず見入ってしまう。

そんな雰囲気が、エルガーのこの曲にもある。イギリスのソウル・ミュージックと言っても良いんだと思う。

プレヴィンの意図的にドラマを作り出さない指揮も、いたるところに悠久の雰囲気を漂わせ、限られた生の悲しさを逆説的に照らし出す。

肉声に近いチェロの音色は、人間の叫びのようだ。最後に、悲劇的な第一楽章のテーマが再現され、失望のまま全曲を閉じる。この曲は人生そのもの。

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aeb934d8.jpg今年の一月に出た、浦安ミュージックフェスタの応募用紙が送られてきました。

また出るつもりですけれど、今度は妹と出ようかなと考えています。と宣言しておいて、デモテープ審査で落ちたらお笑いものですがね〜(笑)。

で、そのために作詞作曲頑張ってます。更新がなかなかできなくてスイマセン、そういうわけなんです。

で、ユニット名は「いとう家」と決めてるんですが、若干一名に猛反対を食らってます(笑)。でも画数も最高ですし(←調べたんかい!)、もうこれで行きます。

で、私は「長男」、妹は「長女」という芸名で〜(爆)。これなら「次男」とか「婿」とかメンバーも増やせますし。

では、来年一月にお会いできることを祈って。

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