2008年08月

26日、27日、28日と父方の田舎、釜石に帰ってました。まだ暑かったですよ〜。今帰りで、釜石鉄道に揺られてます。行きの鎌倉鉄道で武藤敬司さんと乗り合わせてびっくりしました。次の日試合だったようです。頑張ってくださいといったら、ん、ですって(笑)。

で、夜中商店街を散策(唯一の自由時間w)。中古CD屋があったよなぁと探したらあった。すると、さすが釜石というか、大滝詠一師匠の掘り出し物が。それがこの『each time』。『each time』は再発される度に曲順が変わるけれど、本盤は「ドラッグ・レース」から始まり「魔法の瞳」「ガラス壜〜」がカットされる、一番大胆な曲順変更をされている盤。「ベパーミント・ブルー」のような大物が序盤にきていて、かなり新鮮。

あと、キングが出した『大瀧詠一』も。ボートラがなくてスッキリしている。「あつさのせい」の後だったかな、例の無意味なドラムソロが加えられていた。どこにも言及されてない。やはり聞いてみないと分からない。
あと、「バチェラー」もラスト、半音「低く」転調したように思ったけど、これはIGのオリジナルと混同しているかもしれない。

フルトベングラー(岩波新書)

岩波新書何周年化で復刊された。面白いよ。

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f24c8f70.jpgブライアン・ウィルソンのパリパリの新作。LPの方が発売が二週間早い。A面B面としっかり意識されて作られている。

ブライアンの古巣、キャピトル復活作でもある。で、結果から言って、キャピトルは幻の『スマイル』を潰した会社だが、最終的に『スマイル』を手に入れたのだといえる。

このアルバムは『スマイル』である。飛び切り明るい、まさに『スマイル(ほほ笑み)』である。実際、ヴァン・ダイク・パークスも参加していたりする。でも、僕が『スマイル』と言った意味は、それではない。それはこれから聞くかたがたに楽しみに考えて欲しい。

本当は泳げなかった男、ブライアン。カリフォルニアの太陽は眩しすぎた男、ブライアン。しかし、とうとう彼は「ミスター・カリフォルニア」になったのだ。

ブライアンのソロ作で最高傑作なのは間違いない。

一曲一曲レビューする元気は到底無いが、バックバンドが完全にブライアンの欲する音色を出しているのが特筆だ。そしてその欲する音色とは、やはりマイク・ラヴを始めとする、ビーチボーイズのコーラスだったのだという事実。

しかし、こんなに開けっ広げで、才気に溢れたミュージシャンが他にいるだろうか。

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誕生日でした。ライブでした。雨でした。

1 花火大会
2 夏の忘れ物
3 六月の雨
4 傘を並べて
5 いくつになっても
6 木枯らし1号
7 木枯らし2号
8 ハトポッポ
9 あんた
10 まめな男
11 ささやかな花束

アンコール

12 ありがとう


お客様からビールをプレゼントされました。アルコールに対しアンコールで。シゲちゃんも同時にビールくれたので、テープルの上には二ジョッキ並びました。もちろん飲み干しました。帰り際にもその方から「よかったです」と一言。こういうのが一番嬉しいです。

偶然、湯山さんが登場。1年半振りくらいでしょうか。いろいろ話しました。東京マラソンに選ばれようと決意を新たに。なんか組み合わせ常連になったゆうすけ君もありがとう。

5
◆アナログを蘇らせた男/森谷正規

最高に面白かった。多分今後の自分の価値観にも深い影響を与え続ける本だと思う。



以下考察


アナログを曲線だとすると、デジタルは点の集まりである。

アナログの曲線をきちんとコピーするにはアナログでしかありえない。

デジタル録音のアナログ盤というのは土台ナンセンスな話だ。最近のアナログ復刻や、アナログでも出すアーティストも、詐欺だと思う。アナログで出すならアナログでマスターを作らなければ意味がないのだ。

デジタルは劣化しない(らしい)。よって、往年のアナログマスターをデジタルに移行する作業が1980年辺りから、レコード会社一斉にスタートされた。考えてみれば暴挙である。線を点に変えてオッケーとしている訳だから。セザンヌの原画をカラーコピーして、それでよしとしている訳だから。コピー済みのアナログマスターは破棄されたものも絶対にあるだろうと思う。点から線は二度と作れない。

よって、LPで聞く際には、その1980年くらいより前のものを選ばないと意味がない。点・音源をどんな媒体でも点でしかありえない。

コピー技術も劣っていたサブ・サブ・マスターのようなものから製盤した日本版だろうが、線を1度も「点」にしておらず、CDにはない暖かみを僕は感じる。点のシャキシャキより、線のモコモコの方がよほど愛しい。

ad67fd2e.JPG昨日海行った

私の母は、父に

「ヘイリー買って来て」

と言われ、小林香織の、

シャイニー

を買って来た間抜けな人です。

f3753388.JPG海行った。着いたの5時。実家に帰っていたので。

浅瀬で泳いだ。浅瀬は no クラゲ。波が高かった。5時以降に浅瀬を遠泳するかな。

覚えてるよぉ。キリアコウという素晴らしいピアニストに出会えた初めての演奏。ときめいたなぁ。

当時交流があったピアノの先生に聞かせたら、惚れ込んでしまったらしく、なかなか返してもらえなかった。

その思い出を壊したくなくて、キリアコウが弾いた、同じクアドロマニアのアルベニス選集がまだ開封できてない。もはや異常。

響きが大冷たく澄んでいて、そもそもハイドンにぴったりなのだが、弱音でキリアコウのささやかな私情が付け加えられる感じ。乙女のため息のような切ない感じ。

でも、あくまでハイドンを逸脱しない。

ハイドンを演奏する人は、あまりに絶対音楽的にそっけなさすぎる。ブレンデルは(常にそうだが)その懐疑を前提に再構築してゆく。

キリアコウはハイドンを伝統という枠内で、女性的な解釈を見せている。いや、女流演奏の伝統というものがあって、その純粋な継承者なのかもしれない。

こんなにトキメくハイドンはない。

品番:222135

クラシック・ランキング←よろ、とうとうランク測定不能まで落ち込んだ

今日海へ。着くや否や、クラゲ3連発、雨雷、さようなら。

しかし今年クラゲ、異常である。みんな刺されていた。まだ初旬ですよ。

クラゲに刺された時の対応法は、砂で幹部をゴシゴシこする。目に見えないけど、クラゲの触手の針のようなものが沢山刺さっていおり、それを全て落とす、と(元?)湘南ガールに言われた。おかげで今日は痒くないです。ありがとう。

でもクラゲの触手が絡んだ時の感触、いやですね。

で、帰りに、藤沢駅でCDセールがあって、クアドロマニアもあったので、セムコフのシューマン交響曲を買った。これで、父にVOXのCDを返却出来ます。本当に良い演奏なんですよ!

で、なんか、クアドロマニアのハイドン・ピアノ・ソナタを聞きたくなった。

去年の今ごろも、このセットにハマっていて、全曲レビューしているはず。キリアコウ、ガリングという素晴らしいピアニストに出会えた。

第27番、去年、あんまり印象に残らないと書いている。コークスクリューパンチである。こんな文章を世間の目にさらしていたとは恥ずかしい。

この耳にすーっと入り込むさわやかな主題。装飾音を再現されるたびにコソーリ変えるお茶目心。あぁ、ハイドン、やっぱり、好きだな。

でもね、このガリングのピアノがすごいんですよ。ピアノの音色と音量を持ち得たチェンバロ、という感じで、えー、こんなのアリなんだ〜!でも全然違和感な〜い!と驚いたものだ。ガリングは本当はチェンバリストだということが調べてゆくと分かり、なるほどと思ったものだ。

ちなみに、これまた全曲レビューした、ショルンスハイムのチェンバロ、あからさまにピアノ的であり、時に不作法を感じる。

フォルテピアノが出てきたてのころの、ハイドンの驚きやら、ウキウキ感やらは、ガリングの奏法からよく伝わって来る。

たぶんハイドンの瞳は、死ぬまで少年の輝きを失わなかったんだろうな、なんて思う。

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a2cc336b.JPGおととい。6日。

クラゲに刺されまくった。早くないか?何となくお客さんの引きも早い。写真は夕刻。

帰りに工藤さんたちと飲み会。辞めちゃう方が。でも、だからこそ新たな出会いが…

716f5456.jpg久しぶりに聞いて、本当にジーンと来た。

ホカホカと体が暖まるような、そんな感じのアルバム。

ブライアンとヴァン・ダイクは、色々、ね、色々あったわけだけれど、そんなことを時間が洗い流してくれた時、このアルバムはすこし遠慮しがちに、蘇り、不滅の命を得るに違いない。そういう意味で、何十年後かの人がうらやましくもある。

ブライアンもヴァン・ダイクも誰〜?なんて人は、本当にうらやましい!今すぐこのアルバムを購入して、聞いてみてください。日本盤を買った人は、(書いた人には申し訳ないけど)解説を絶対読まないで!!!

余談だけれど、そういう目線になるために、僕はなるべく無知でいたいと思うのだが、ビーチ・ボーイズに関しては、知識が耳にへばり付いてしまっている。でも、それすらものともしないのは、このアルバムが未来をも見据えた普遍であるからなんだと思う。

リハビリ後のブライアンの声に、ヴァン・ダイクはいつ触れたか知らないが、「これだ!」と感じ、アルバム製作を決めたのに違いない。

さまざまな理由でしわがれ、でもどこまでも楽天的で、なにせ「まだ生きている」ブライアンの生声こそ、まさに「ジ・アメリカ」であり、同時に、ヴァン・ダイクのアメリカへの思と未来への祈りがこめられているのだろう。

本作がアナログでプレスされた時に、オレンジ・クレイト・アートは完成すると思う。

僕らは原爆を落とされた国だけれど、アメリカも沢山のものを失ったんだなと、そんなことを思ったりもする。そして、残る感情は郷愁。

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51fb4129.JPGでした、昨日は。ちょっと肌寒かったかな。

7aea9097.JPGアモーレ!!



こんな曲はもちろんなくて、これまたやっぱりチェンバロ協奏曲第4番からの編曲。バッハのチェンバロ協奏曲では一番の知名度というが、バッハに暗い私は知らない。

オーボエ・ダモーレとは、通常のオーボエより3〜4度低いオーボエらしい。ちょっと音は渋くなり、質感はやや軽くなる感じがする。

前の曲もそうだけれど、バッハの音楽とは「歌心」なのではないかと思えてしまうほど、チェンバロではほとんど感じさせないであろう、息の長いメロディを、たっぷりオーボエで聞かせてくれる。

最近のバッハ演奏は、小さい物が折り重なって行くような、言うなればモザイク的、デジタル的な演奏が多い気がする。バッハは難解なり!と、さらに敷居が高くなってしまった気がする。

バイオリン協奏曲→ピアノ協奏曲への移行は眉をしかめられるだろうが、チェンバロ協奏曲→ピアノ、ないし→バイオリン協奏曲への移行は疑問が沸かない。

つまり、チェンバロに編曲、というのは、音だけを正確に記録する、という側面があったような気がする。

だからヴィンシャーマンの態度は多いに歓迎されてしかるべきだ。

この歌心にあふれるオーボエの旋律をチェンバロでポツポツ弾いて楽しいとは、現時点では思えない。通奏低音にチェンバロが残っているのは、そこに関してはチェンバロの音色を想定して(せざるを得なくて)バッハは作曲していたからだとヴィンシャーマンは考えたからだと思う。

ヴィンシャーマンの主旋律をたんのうすると、そのすぐ下に、2層3層に副旋律が存在しているのに気付く。バッハ・ゾリステンは、そこですらしっかり「歌」を感じさせてくれる。途方もない!

これなら現代の流行のように無表情で弾き飛ばしてくれるバッハの方がどれだけ耳に心地よいか!!真面目にやって馬鹿を見る、演奏は時代を映し出す鏡だろうか。

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9272e553.JPG525円。安い!

ただし、安いが聴くは難し、それがバッハ。意味の希薄なまくらだ。

この原曲は2台のチェンバロ協奏曲ハ短調である。が、このチェンバロ協奏曲こそが編曲物であり、もとはこういうオーボエとバイオリン協奏曲だったと解説に書いてある。

「愛しのエリー」のフランス語訳を日本語にまた戻したという詩を読んだことがあるが、当然、桑田臭は消えていたが。

第2楽章が美しい。ピチカートがひつこく用いられ、なんかバッハにしては珍しい。なんかブルックナーのスケルツォでも聴いているような気がする。

ヴィンシャーマンのオーボエは素朴な音色で、今流行の演奏には遠いが「糧としての音楽」を感じさせ、その暖かみに打たれる。それはバイオリンにも当てはまる。かなり濃厚な節回しで、音程やテクもピシッとしているとは言いがたいが、今の演奏家よりバッハに近しく位置している事は間違いない。

ちなみに、僕の持っているのはサンプル盤で、間に合わなかったのか、白ラベルが手書きで曲名が書いてある。こんなゆるりとした時代もあったんですな。

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