2007年09月

転職してそろそろ一年。まだ一枚も完璧なタイムカードが作れません。こんにちは、伊藤です。さあ、きょうもサクリと終わらせましょう。

◆第5(5)番イ長調(1963 31歳)《ディヴェルティメント》

イ長調って初出かもしれません(調べろ)。そのせいか意外に新鮮に響きました。

第1楽章…いいぞ!ハイドン(何様?)。今までで最長の楽章。六分を要しますが、なかなか聴かせます。

形式を便宜上書き出すと「ABC-A展B展C展-A再B再C再」というソナタ形式。Aが一番長く、Bは短調、Cはまた長調に転じた部分です。

Aがこの楽章の核で、一番長い。出だしはアンパンマンの主題歌の出だしにかすかに似ている(笑)。右手が8回上昇アルペジオを聞かせるところ(0:36)が抱き締めたいほどチャーミング。

けれど、この楽章の一番のミソは(0:19)の転調だと思う。ロマン派の息吹が聞こえてくる。

チェンバロの音色のせいでしょうか?このソナタを聞いていると、きらめく絹の反物が織り上がるのをみているような気分です。こんなメタファーを思いつくのは初めてです。

三連符が酷使されるせいでしょうか?「3:4」のリズムの繰り返しが「縦糸:横糸」を連想させるのかも知れません。

ともあれ、ハイドンの愚直さが最高に実を結んだ楽章といっても良いかもしれません。ショルンスハイムも今までで一番の名演奏といえます。キッパリしていて、チャーミングさにも過不足なし。曲が素晴らしいと燃えるのか?これからが楽しみになってきました。

第2楽章…まあ、第1楽章に比べるとなーんてことない。

第3楽章…疲れた。小さい音を使い分けてるのに「!」。やっぱりミュート出来るんだね。それを効果として取り入れた画期的な楽章であるのかもしれないけど、第1楽章の方がよっぽど素晴らしいと思います。

今日はここまで!


ディスク2終了です。ディスク3まで……

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……チェンバロ演奏。頑張れ、俺。

今日はアップライト・ピアノで弾き語りデモを作って来た。

いつもはキーボードを弾いているので指が疲れた。本当のピアノで疲れるなんて、これは全くもって本末転倒の話である。かなり情けない。仕方ないことだけど。

録音は正直。ビアノは何ともしょぼしょぼと言った感じに録れている。あれー、実家の時は結構景気良く鳴らしていたんだけどな。ピアノだけが空しく響いているだけ。素晴らしいしピアノの先生みたく、体全身で共鳴させたい。

早くちゃんと88鍵のピアノを買って、モーツァルトとかハイドンとか古典を弾きたいよ。

歌も相変わらず下手くそダァネ。でも、なんか体の使い方が分かって来た。芸術というのは、頭よりも体の要素の方が大事な気がして来たよ、最近。

「考えるな、感じろ」とよく言う人がいるけど、僕なら「考えるな、動かせ」と言いたいね。

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この「ハイドン全部聞き」も「動かせ」の一環だと思ってます。意味なんてあるとは思ってはいませんが、続けてゆくと徐々に積み重ねた時間の質が変化してゆくのです。

この面白みは「動」いた人しか分からないでしょう。言葉では伝えられないこそのご褒美なのです。それを知らない人が一目で分かりるようになります。

さあ行ってみましょう。
◆第5(11)番ト長調(-1967 -35歳)《ディヴェルティメント》

第1楽章…いきなりプレストです。中間部が短調になり、印象的だけれど、全体としては印象に残らないかな。たまにウルセっとも思う。

ハイドンって、思うに、そこまでピアノが達者ではなかったのではなかろうか?自分の「テクニック増強ギプス」的な感じでソナタを書いていた部分もあるのではないだろうか?「自作が弾けなきゃまずいっしょ」と、自分のテクニックよりちょっとハードルを上げてね。僕もたまにそういう意識で作曲する時があるから。

この楽章は「弾ける、弾けるぅよぉ」と実感したいわりと自分本位な作曲のような気もするなぁ。

第2楽章…リュートを思わせる。チェンバロの響きが鈍くなった気もする。ミュート機能がチェンバロにもあったのだろうか?なんか、あまりに流麗で、ハイドンっぽくない作風にも聞こえるのだけれど。

第3楽章…第1楽章と見事に対になっている楽章。中間部が短調なのまでそっくり。

でも、やっぱり印象に残らないかな。

◆第19(19)番bisホ短調(-1966 -34歳)《ディヴェルティメント》

bisとはなんぞや!解説書に目を通したけれどよく分からない。後年出版されたものとは楽章が差し替えられていたりしたらしい。

第1楽章…ホ短調のアダージョからの、何とも意表をつく開始。孤独な和音からぐーっと引きつけるものがある。懐かしい夏の日の思い出のような第2主題も素敵だ。ただ、もしピアノだったらな…とは思った。チェンバロだと夏の麦畑と言った感じで悪くないけれど。メロディが一瞬セーラームーンの主題歌に聞こえる。もちろんこのソナタを《セーラームーン》と命名したことは言うまでもない。

いやいや、それよりも、イタリア(たぶん)・オペラでこのメロディ聞いた事あるんだけどな。テノールなんだよね。うーん。思い出せない。

第2楽章…アタッカで入る。まあハイドンらしい快活な楽章。反復フレーズの一部が倍の音符で奏でられるのが、何となく得した気分。

第3楽章…メヌエット。これが終楽章は気が抜けるなぁ。なんか、ハイドンにしてはダラダラ同じ音型の繰り返しの多い、冗長な楽章に感じた。

今日はここまで!


ぶっちゃけですね……

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……チェンバロの音、飽きてきました。

ショルンスハイムのハイドンを全部聞くシリーズ。さて今日から2枚目です。2枚目のショルンスハイムのお言葉は…、

《迷ったら、ハイドン》

…似たような事、俺も言ってた気が…。

◆第(16)番変ホ長調(-1967 -35歳)

チェンバロを使用。何故か今度は旧番号の方が無いなぁ。

第1楽章…ゆーーくりとした楽想、と油断したところを、いきなり気狂いじみた音の洪水が。これはあたかもパチンコの確変リーチの様である。このソナタを《確変》と命名する。

《びっくり交響曲》とアイデアは一緒かもしれないけど、音量の調節できないチェンバロでは「確変」しかびっくりさせる方法はないのだろうね。ソナタ形式で書かれていて三度も「確変」が来るので、パチプロ以外は「もういいよ」と思うかもしれない。でもアイデアではある。

第2楽章…メヌエット。トリオでは短調に変わり、トリオBではちょっとエキゾチックなリズムに変わる。それ意外はまあ、目立った特徴も感じられない。

あぁ、符点のリズムが「ターンタ・ターンタ」ではなくて「タターン・タターン」と逆になっているのが当時としてはかなり粗野な印象を与えたらしい…と言うのを何かで読みました。今聞くとなんて事はなし(気付かないのが普通)。

第3楽章…複雑な主題を持ち、なかなかシンフォニックな趣もあるけれど、なんだろうか、いささかメリハリに欠けるような気もする。とにかくハイドンの終楽章は短過ぎるね。

◆第10(1)ハ長調(-1966 -34歳)《ディヴェルティメント》

チェンバロを使用。

第1楽章…第1主題が二度反復されるけれど、二度目はピアノ(弱音)が定石だよなぁとつくづく思う。当然チェンバロでは不可能なこと。このソナタは《もしもピアノがあったなら》と命名した。

ショルンスハイムも何のニュアンスの変化も与えずに駆け抜けてしまう。客を無視する居酒屋店員のごときである。でもまあテキパキ働いているから、まあ良いかという気もする。

第2楽章…単音の旋律が気の向くままに紡がれてゆく。ハイドンの即興演奏をそのまま印刷したような趣。ショルンスハイムもそう感じてか、たどたどしく弾いており、何となく面白い。

第3楽章…メヌエット。主部はハ長調。トリオはハ短調になる。今まで調の関係まで調べていなかったのだけれど、同主調への転調は珍しいかもしれない。やはり平行調に比べると劇的な効果がある。パパ・ハイドンの眼光がいきなり鋭くなったような。


今日はここまで!


昨日このCDを聴きながら寝たら……

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……チェンバロの音で半覚醒状態だった。お試しあれ。

ハイドンは今日はおやすみ。ちょっとショパン(ポーランド語で本当に「寄り道」の意味らしいよ!)(←大嘘)を。

僕がショパンを聴くなんてかなり珍しいから、今日は雨が降りそうじゃねーか、バカヤロー!

僕はショパンの音楽にあまり愛着が持てない。なんとなく曲想が飾り立てすぎてて、生意気で、おかげで彼の本音すら見えてこないんだよね。

まあ、それが「好き」という人も多いのだろうけど。特に女性が好きだよね。なるほど、ショパンはクラシック界のジャニーズかな?

けれど最近初めて「雨だれ」を聴いた時に「!」と思った。かなりショパンとは思えない、立派で構成的な曲想だったからだ。

なるほど(←ウザイ)、ショパンも色々なものがあるのだな、と認識を改め、「雨だれ」の入っている「24の前奏曲」を買ってみたというわけ。ピアニストはチリ生まれ、ドイツ育ちのクラウディオ・アラウ。

まず、ちょっと丸めのピアノの音色に抵抗感。アラウのタッチに依るものか、録音に依るものかはっきりしない。けれど、それに慣れて来ると、ショパンの悲しみがじわじわと伝わって来た。

ショパンが意図した演奏効果はかなり抑えられているように思うけれど、アラウは、しっかりショパンの心を捕らえている。こういう演奏、大好きだよ。

アラウのタッチは熟成された琥珀色のウイスキーを思わせる。ショパンの音符に踊らされる事もなく、媚びる事もなく、乾いたショパンの心を、静かに琥珀色に染め上げてゆく。

アラウが涙を流すショパンにそっと白いハンケチを渡している。そんな演奏に聞こえる。律義なショパンは「ありがとう、このハンケチ、きちんと《洗う》ね」と応えたとか、応えないとか。

もう一つ。

アラウの弾く「雨だれ」「太田胃酸(笑)」、そして「幻想即興曲」など、全く通俗的に響かない。これは何故なのか?

勝手な想像だけれど、アラウはレコードというものをほとんど所有していなかったのではないだろうか?そうでなければ、この通俗曲たちをここまで意識せずに、自分色に染め上げられるとは思えないからだ。どうしても「お約束」に囚われてしまうのではないだろうか?

僕が今の演奏家を聴く気に全くなれないのは、演奏家がレコードを聴き過ぎていて「お前がそうなら俺はこうする」という意識が演奏に紛れてしまっているように思えるからだ。これは個性でも何でもない。ラトルやティーレマン、ムター、みんなその病におかされているように思える。

カラヤンが最近また聴かれ出したのは、やはり「どうであれは本心だったのだ」という「個性」を聞き手が求め始めたからだと思う。そりゃそうだ、帝王だったのだから、回りを気にせず自分の天下を謳歌すればよい。その高笑いは、現代人のストレス解消に一役買っているにちがいない。

ブーレーズなんかはちょっと違う。あの人は作曲家だから最初は古典をバカにしていたに違いない。でも研究してみると「ホッ、面白い、ホッ、面白い!」となり、その気分が演奏にモロに出ている気がする。僕はこういう演奏の方がよっぽど素晴らしいし、印象に残るように思える。

アラウのピアノは、当たり前だけれど、もう味わうことのできない音に溢れている。


カラヤンの高笑いサウンド……

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……どうして今になって染みるのか!?

◆第6(10)番ハ長調(-1766 -34歳)《ディヴェルティメント》


チェンバロを使用。これももはやディヴェルティメントではないね。

第1楽章…16分音符を用いた主題が印象的。ショルンスハイムは装飾音と16分音符をきちんと《分かりやすく》弾き分けている。さすが学者である。

ただ、この16音符、しつこいくらいに表れるので単調に感じないこともない。

第2楽章…メヌエット。今まで聞いたソナタで一番歌曲っぽいメロディを持っていて、かなり気に入った。オクターブ跳躍がポップでイカすね。歌詞を付ければ本当に歌になってしまいそう。

中間部は、短調に転じ、リズムの性格も変わる。主部への戻りは、粘ることなく、さらっとショルンスハイムは弾いており、好ましいと思った。また再現された主部は一部を省略して、だれるのを防いでいる。

第3楽章…左手が和音を「デンデンデン(チェンバロだからね)」と刻む、ハイドンらしい、快活な楽章。

そして、構成がロンドとソナタがくっついたような妙な形をしている。よおく聞いてみる。

(A-B)x2-C-A再-B再-C再!-A再-B再

Cはいわゆる展開部。それがなんと後半に再現されるのだ!いうなれば、展開部の再現部(調もキチンと変えられて)だ。そして最後はまた再現部のAとBが繰り返されるので「ABCAB」のしっかりとしたロンド形式になる。ソナタ形式とロンド形式がぴったりと結合している。ヤラシイ(ナンデヨ!シャチョサン!)。

これはまさにハイドンの野心溢れる楽章だ。いやぁ参った。こういうのを見てると、なんかドイツ語の文法を思い出すのは僕だけだろうか?

ショルンスハイムももはや「弾いて易しい」なんて思ってはいないみたい。演奏の気合いが十分に感じられて、ハイドンの熱い魂が十分伝わって来た。そう、ハイドンは熱いんだよね!!

◆5つのバリエーション ニ長調(-1966 -34歳)《ディヴェルティメント》

チェンバロを使用。

なかなか立派な主題。ショルンスハイムも前曲で大役をこなした後のすがすがしい解放感が伝わって来るような演奏です(もちろん錯覚だけどねぇ〜)。

第4変奏がリュートのような音になるのが不思議ぃ〜←ウザイ。解説書を読んだりもしたけど、何も書いてないみたい。ミュートした状態で弾いているのかしらね?ディスク2、乞うご期待といった感じですね。


次回はいよいよディスク2……

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……その前にちょっと寄り道するかも。

◆第7(D1)番ト長調(-1966 -34歳)

チェンバロを使用。何故か新番号がない。

第1楽章…非常に珍しい主題+3つのバリエーションからなる。ただ、主題からすでに変奏されているような即興的な音型を持つ。よって主題は紛失してしまった、もしくは当時の有名なメロディで、暗譜で弾いたのではないかと想像したりしてみる。第1変奏はやや流動的に、第2変奏は我慢強い和声進行。第3変奏は一番賑やか。けれどあんまり違いはないかな。(ナンジャ?)

第2楽章。バリエーションの続き?と思えてしまう感じである。

第3楽章。展開部の怒濤の音の洪水が聴きモノ。ただ、ショルンスハイムにパリッとしたテクニックがあればもっとシまるのだがと思う。

◆第2(7)番(-1966 -34歳)《ディヴェルティメント》

チェンバロを使用。調表記がないがハ長調。

第1楽章…左手和音、右手メロディといったハイドン印の主題。やっと出てきたという感じだ。

第2楽章…メヌエット。中間部で短調に様変わる。これが割りと引っ張るので「おや!」と耳をそば立てさせる。

構成が「ABA-CDC-ABA」となっていて、CとDがともに短調なので、引っ張ってる感があるのだ。これはユニーク。

こういう音楽は、わりと呼吸で聞いているようなところがる。だから、それをうまい具合にずらされると「ほう」(←王様か!)となるのだね。

形式的にも、ロンド形式の中にさらにまたロンド形式が囲われていて、まさにトリック・スター、ハイドンの面目躍如こうじ、である。こほん。

あと、短調部分は、何となくリュート演奏を彷彿させる。ボッケリーニの音楽にも通じるものを感じた。

第3楽章…ハイドンの終曲らしい、走る楽奏。やはりドミナントへ解決しようとするメロディが出て来る。これはハイドンの癖なのかねぇ。

展開部は「いきなり短調」が一呼吸置いて出て来て、マンネリにならない工夫を感じる。

◆第28(5)番ト長調(-1966-34 33-34歳)《ディヴェルティメント》

チェンバロを使用。ディヴェルティメントと銘打たれているけど、明らかに今までの曲と聞き応えが違う!あぁ、長かったよ。

「《ディヴェルティメント》と依頼されていたけど、どうせ聞かれてないんだから、作曲・演奏の練習場にしよう」なんて思ったのかもしれない。僕もそれはよくライブ中に思うからだ(笑)。もしかして、気質が似てるのかも。

第1楽章…主題がかなり長くなり、多彩になり、目を見張る。第1主題、第2主題と簡単に分けることができない。しっかりしたソナタ形式で書かれており、別の調で主題が再現されて行くのを聞くと、「あぁ。ソナタ形式こそ究極だなぁ」なんて思ったりもする。

繰り返しているせいもあるけど、主題提示で半分の時間を費やしている。この繰り返しは、主題を全部味わうのには必要な構成の一部だと確信する。

しかし、ここまで充実した音楽だと、正直「ピアノで聞きてーなぁ〜(遠い目)」と思う。今までの曲は「別にどっちでもいい」と思っていたのだけれど。

各ディスク毎にショルンスハイムのお言葉が添えられており、このディスク1は『弾いて易しい、聴いて楽しい』と書いてあるのだけれど、このソナタはその範疇からすでに飛び出してないかなぁ?そんな気持ちで弾いてるの?と思う。

しかも、ショルンスハイムは「弾いて易しい」とされる曲でさえ、たまに指がもつれるしね。まぁ、いいや。値段値段!


第2楽章…メヌエット。書かれていないけれど、バリエーションとみなして良いのではないだろうか?

第2変奏が第1楽章の主題の一部に似ており、統一性を感じる。最後の変奏も特に堂々としたものはない。でも、とても聞き応えのあるソナタだと思う。

今日はここまで!


ハープシコードからハイドンの音楽は……

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……完全にはみ出し始めました。

俺が余りにエロさ爆発だったので、いきなり従軍慰安婦の話にすり変わり「なんで日本の男ってエロのことしか考えられないの、こんなことしたの日本人だけなんだよ、最低」と言われた。ぐうの音も出ない。

・・・というのも、僕が戦争体験を持ち合わせてないから。戦争下という異常な状況で「それでも自分は女房を裏切れません」と言えるのかどうかは、そうなってみないと分からないからだ。

だから下手な事は言えば嘘になる。だから沈黙せざるを得なかった。こんなのさらっと「俺はお前のことしか愛せないよ」と言えればいいのだけの話なのだろうど、それが僕にはできない。従軍慰安婦を抱いて死んでいった日本人は本当に「最低」な人間だったのだろうか?

想像力のない男ってモテるんだろうね。ご飯の食べ方が汚くても。

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とうとう買ってしまった。ハイドンのピアノ・ソナタ全集。奏者はショルンスハイムという女性の方。曲によって、当時の鍵盤楽器を弾き分けている。

何曲か知っている曲を試しに聞いたけれど、演奏自体はバックハウス、クリーン、ガリング、キリアコウ等には劣るように思った。

リズム感に芯がなく、バロックのスッキリした味わいがストレートに伝わってこない気がする。とくに曖昧なルバートはショルンスハイムの演奏に付きまとう大きな欠点だ。

けれど、この全集が労作であるのは間違いないし、ハイドンの音楽の美しさは十分に伝わって来る。様々な欠点を認めつつも、この全集の全曲に挑んで行こうと思う。

◆第8(1)番ト長調《ディヴェルティメント》(-1966 -34歳)

チェンバロを使用。作曲年がはっきりしない。ディヴェルティメントとされていて、五分で終わってしまう。

ちなみに括弧内は新番号。この全集は旧番号を基準に並べられているようだ。

第1楽章…ハイドンらしい健康的な主題。裏拍のメロディが印象的か?ショルンスハイムものキッパリしない弾き方が余り気に入らない。ABABAという、極めてシンプルな形。

第2楽章…メヌエット。5度上に解決しようとする!まさに三つ子の魂!57秒で終了。

第3楽章…アンダンテ。第2楽章のゆっくり版といった趣。ABACAの形。Cの短調主題が印象的か?

第4楽章…ハイドンらしい元気な終曲。半音の装飾音が面白い響きを作る。音量調節できないチェンバロならでは?

◆第9(3)番へ長調(-1966 -34歳)《ディヴェルティメント》

チェンバロを使用。

第1楽章…今までで一番開放的な主題か?四回上昇する音型がイカす。一番最後のソナタに何となく主題が似ていてハッとする。一応展開部がある。ただC主題とみなす人もいるだろう。

第2楽章…メヌエット。ハイドン印「突然短調」がいよいよ出て来る。ちょっとうれしい。C主題は性格をかなり変えており、なかなか聴き応えがある。

第3楽章…可愛らしい主題だけれど、短すぎる。三つ子…。

今日はこの辺りにしときますか!


おなじチェンバロでも……

始まりました。新企画。期待をこのワン・クリックに込めていただくとうれしいです。

……バッハとは随分違うなぁと思った。

今日も朝ランしました。本当はもっと早起きするつもりでしたが、寝坊したので一周だけですが〜。

まだ朝早かったので涼しく、排気ガスも少なめで気持ち良かったです。出社前の朝ラン、オススメです。

夜のランニングは、景色が真っ暗なんで、ともすれば単調です。朝は風景が当然変わりますし、人もいるので、新鮮でした。マンネリを感じている人(僕の事ですが)はお試しあれ。

〜・*・〜・*・〜〜・*・〜・*・〜

引き続き古典中毒。モーツァルトのK283。これもバックハウスの演奏が最高だと思う。

この曲は、僕、ちょっと弾こうと練習したことがあるのです。うちになぜかモーツァルトのソナタ集があって、なんとなく簡単そうだったから。全く歯が立ちませんでしたけど(笑)。

じつは曲を知らないで弾いていたのですが、バックハウスの演奏で初めてこの曲を聞いて「そうそう、これこれ」と思ったものです。

モーツァルトのピアノ・ソナタの中ではあまり有名な作品ではないかも知れません。ハイドンのソナタの影響が色濃く、モーツァルトの個性が十分に開花しているとは言えないからでしょう。

でも、それが今の僕にとっては堪えられない魅力になっているのことは前の記事を読んでいただければ分かると思います。ハイドンとモーツァルトの素敵な競演です。

第1楽章は、穏やかな旋律と、慌ただしい音階の上昇下降、それとちょいズレの拍が印象的。バックハウスはあらゆる意味でテコでも動かない、強靱な音楽を創造している。

とくに、決して乱れない拍の感覚には注目すべきだ。これは定評のあるベートーヴェンではなく、バッハやモーツァルトに強く実感される。

第2楽章はちょっと素っ気ない。これは少し残念な気がする。バックハウスの呼吸感が分かるという意味で興味深いけれど。

第3楽章のイントロの悠々とした風格はどうだろう。これは当然素晴らしいリズム感によってもたらされているのは明らか。展開部がまた聞きもので、あたかもベートーヴェンのような重厚な音楽を余裕を持って描き切る。

また、この楽章はクラウスも忘れ難い。もちろんバックハウスの風格には及ばないけれど、右手の4連続の下降音階のアクセントはバックハウスにはない洒落たセンスを感じさせる。

ただ、音にバックハウスのような透明感がないし、なぜか古典を聞いた充実感に欠ける気がする。クリーンにはそんなことは思わないのだけれど。

評論家の宇野功芳さんを始め、とても世評の高い演奏で、何度も繰り返し聞いたのだけれど、僕はとうとう胸を打たれなかったと言うしかない。復刻に問題があるとも言われているけれど、どうもそれだけではない気がする。クリーンの復刻だって、かなり悪いから。でも感動する。

僕はとくに展開部が聞くに耐えないほど殺伐で無味乾燥な悪演と感じる。クラウスのモノ全集が、仰々しく何度も復刻されているのは日本だけという事実。これは記しておいてもバチは当たらないでしょう。

あと1947年5月27日の……

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……フルトヴェングラーの運命も。

昨日は布団をひかないで寝てしまった。で、目覚めて、またランニングしてない事に嫌悪感。出社までまだ時間があるため、一っ走り行って来た。

時刻は10:30。さすがに暑い!そして排気ガスも!二週間の体の鈍りも露呈された2キロ(そんだけぇ〜!)だったけど、気持ちがよかった。

ココ数日、ふくらはぎがつるような変な感覚があったが、多分「ランニングモード、解除してよろしいか?」の信号だったに違いない。そうはさせへんで!今日走ったので、少し猶予が与えられたように思う。

体はすぐには鈍らないけど、鈍ると早い。その境界線を見た気がした。

〜・*・〜・*・〜〜・*・〜・*・〜

ハイドンのピアノ・ソナタを連続的に聞いて、器楽曲というジャンルが好きになってきた。聞き方が分かってきた。

その時初めて僕がまともな器楽曲のCDを持っていないことに気付くのでした。

やっぱりハイドンやモーツァルトのような古典がいい。そしてこれらの作品に挑むピアニストは「芸術家」ではなく「職人」であって欲しいと思う。料理でいうと古典は「お刺身」の様なものではないだろうか?マヨネーズを付けてもいいのだろうが、邪道だ。

で、モーツァルトのピアノ・ソナタK332が聴きたくなった。特に第1楽章はモーツァルトとは思えない分厚い左手がカッコイイ。

この曲のピカイチはバックハウスだと思う。まさに「職人の技」という気がする。「私はこう思う」というワガママさはなく、「ココはこういうもんなんでさぁ」というこの道何十年というような頑固オヤジのような語り口だ。確かにそういうものなんだと納得させられる。

それに比べて今日聴いたクリーンは、至る所でたがが緩んでいるというか、流れが悪くなる。パリッとした硬質感に乏しい。刺身でいうと生暖かい感じがする。クリーンの表情付けが裏目に出すぎてしまっている演奏だと思う。終楽章もペダルを用いないからか、ヤケにこじんまりとしていて、全体のバランスも悪いみたいだ。

といっても、リズムや和音ががベッタリしないのは好ましいし、バックハウスと比較しなければ、十分名演と言われて当然の内容だと思われる。

他にリリー・クラウス(モノラル)の演奏を聴いたことがあるけれど、これは包丁の切れ味に問題があるように思う。ハイドシェックの宇和島ライブも聴いたことがあるけれど、これはカリフォルニア巻きだ。録音が現実味がありすぎて白ける。

モーツァルトはハイドンに比べて情緒的だけれど、それは音符自体がすでに持ち合わせているものなのだから、余計な強調は嫌味になる気が僕にはする。小学校低学年の作文のようなモーツァルトが理想でしょうね。

バックハウスのモーツァルトはもちろん小学校の作文のようなモーツァルトではもちろんないけれど、「無我」という点で共通したものがあるのかもしれない。そう、バックハウスの演奏の魅力の鍵は「無我」かもしれないですね。


今日はなんだか……

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……メタファー日和ですなぁ。

◇昨日のベスト3◇

1 大滝詠一師のEP品切れのため入手できず
2 友人が結婚で実家のド近に越したらしい
3 5キロの米


1・・・実は2点予約が入っていて、僕が予約した方が入って来たのだ。普通に「お客さん優先にしちゃった」と店長に言われる。ん〜と思ったが、ま、いいや、という事にした。出来たナイアガラーは温厚なのだ。ティン!

2・・・正直な事を書くとちょっと複雑な心境。「○○川沿いのマンションだよ」なんて文面だったけど「○○川のアクセント違う!イントネーション違う!!」とかなりやさぐれた感情を抱いた(メールですが)。

彼女の事は大好きなんだけどね。彼女がいなければ、僕の高校生活はもっとくすんでいたはず。だからこそいっそ「もう何にも言わないで!」という気分。変わってんのかな、俺。

3・・・職場から5キロの米をぶら下げて帰る。重かった。ちょうど一年前はこれくらいの体脂肪をみにまとっていたのだ。これが俺の一年の重みだと思った。

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一時期、クラリネットの音楽にはまり、いろいろ探してた時に買ったCDが、このヨハン・メルヒオール・モルター(1696-1765)のクラリネット協奏曲。これを聴くともなしに聴くと、かなり気持ちがいい。歯医者さんの待合室の雰囲気だ。

三省堂の音楽辞典で調べると、クラリネット協奏曲の中でもっとも古いものの一つだと言う。まあそうだろうな。

クラリネットの魅力って何だろうと考えると、女性の滑らかな肌を思わせるしっとりとした中音と、ちょっとユーモラスな低音ではないだろうか。高音はどちらかと脳天に響きすぎ、あまり心地よいものではない。パッキャラマド、である。

けれどモルターの協奏曲は、使っているクラリネットも違うのだろうか、高い音でピロピロと響き、まるでブロックフルーテやバロック・トランペットのように響く。

慣れると気持ちがいいものだ。奏者のグラーフのクラリネットは浸透するような澄んだ高音を持ち、バロックならではの澄んだ音楽美を伝えている。

ちなみに結婚した彼女も……

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……クラリネット奏者だったのさ。

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