2007年05月

雨が降っちょります。よって夜のランニングは無しでございます。なんかこういうの、儲けた感じがするね。まぁタイガー・ウッズは「僕には雨の日はない」って言ってたけど。

ベートーヴェンのハンマークラヴィーア・ソナタを聴いています。まともに聴くのはこれが初めてかも知れません。演奏はもちろんバックハウス。

うーん、良く分からない(笑)。前の28番は非常に叙情的で美しいんだけれど、これはただ長い感じかな?ワルトシュタイン・ソナタのような、あれよあれよという楽想の変化もないし。

自分の経験と照らし合わせるのもナニですが、構えてしまうと、意外と良いものって出来ないんだよね。第1楽章の主題からして「これからすごく壮大な音楽の扉が開きますよ」という感じで、なんだかワザトラシイ。

同じ理由で頭にカデンツァを置いた「皇帝」も作為的で好きじゃない。所詮は一過性のアイディア。チャイコフスキーやシベリウスはキチンとその欠点を是正して、それぞれの協奏曲に活かしているのを見ると、やはりそうなんだ。

同じくティンパニで始まるヴァイオリン協奏曲もあまり好きじゃない。でも、あの「書き飛ばし感」は壮快だね。だから愛されているんだと思う。人間も作品も欠点がある方が愛されるのだよ。

けれど、ハンマークラヴィーア・ソナタは違う。立派。だけど、面白くない。これはシンドイ。

でも、第3楽章の崇高な気分や、第4楽章の力強いフーガなど印象に残る。こういうのを聴くと第28番と兄弟曲だというのが良く分かる。

結局何度も聞いてしまった。そして段々印象が良くなって来た。もっと良く聞いてみたい。

「おい、恵子!どうしたんだ!ヒロシもマモルも、どうした!動けないのか?ケ、ケンジ!お前あ、脚が、脚が外れてるぞ。よし、今助けてやるからな…くそっ前に進めない。どうなってるんだ。ん…う…うぁ〜脚が〜『なんじゃこりゃあ〜〜』」

(実写版:ゴキブリ・ホイホイ)


…いやぁ、何も書くことないや(笑)。

ホウ酸ダンゴを配備しましたと先日書きましたが、ゴキブリ・ホイホイじゃないのは、やはり処理が怖いから。

でも、ゴキブリ・ホイホイをチョイスする人も少なからずいる。これはたぶん「本当に効果があるかこの目で確かめないと気がすまぬ」という人用なのでしょう。まったく健全で立派な考えだと思います。でも、僕はできない。

シンク下の隙間から来るみたいなので、そこをガムテープで雛見沢のように封鎖しようと思います。まあ、自炊が主による名誉の負傷だと思い頑張ります。昨日の残りのきんぴら美味でした。

今日はかなり早起きでした。でも、あまり早起きの経験がないから、何をするか思い付かない。電話でちょっかい出したりして、申し訳なかった。暇人なんで。

しかし、つくづく仕事人間なんだなとと思う。仕事なら次々にやりたいことが浮かんで来るのに、プライベートではないなんて。アルバイトなのにねぇ…。

昼食に近い朝食をしっかり作った。炊きたてご飯に、だしまき卵"もどき"、濃い味噌汁に厚揚げ。

図書館にいって、またCDを借りて来て、ゴキブリ撃退用のホウ酸ダンゴを買って来て配備(この前2匹見つけてかなりテンション下がった)。辛口のきんぴらとサバ味噌を造ってのんびり。

もちろん、たくさん音楽を聴いた。ブラームスのクラリネット・クインテット、マルトゥッチの管弦楽集(レスピーギと同期の作曲家らしい。最近買ったんだけどイイのですわ。もうちょっと理解してからからご紹介したいですね)、エロイカ、同第4番、ビリー・ジョエルにマリーンの新譜(笑)、そして、ラインの黄金。

あぁ、幸せ。毎日こんな生活をしたい。本気で主夫になりたいです。

ZARDのヴォーカル坂井泉水さんが、入院先の病院で亡くなられました。ご冥福をお祈りします。

中学生の頃「負けないで」をエアチェックして聴いていました。CDは持っていませんでしたが、あの頃のZARDの楽曲の認知度は高いものがありました。

僕はその頃は平松愛理さんにぞっこんだったので、ZARDに浮気する訳にはいかなかったのです。ただ中古で見ると、なんとなく気になったりはしていました。ふとした弾みで買っていたら、この死も別の色彩を帯びていたかも知れません。

やっぱり「負けないで」が代表曲になるのでしょうか?けれど「眠れない夜を抱いて」とか「揺れる想い」のようなパステル色の楽曲の方が僕はより印象深いです。

去年のベスト盤発売で再発見した曲で、デビュー・シングルの「Good-Bye My Loneliness」がある。ギターとベースが弛まぬリフ効かすロックなナンバーで、風格すら感じさせ心に残った。

また、坂井さんは作詞も手掛けてて、これがまたすばらしい。普通のメロディを印象的なワンフレーズで輝かせる才能を持っていた。

享年40歳。でも、この限られた時間の中で、幾何かの名品を生み出せたのだから、幸せだったのかもしれない。

重ね重ねご冥福をお祈りします。

今日は早起きして物書きをしなくてはならなかった。早起きは出来たんだけど、注文してたCDが届いてしまう。以下は御想像どおり。

なんとなく数日間落ち込んでいたんだけど、何とか立ち直れたかな。今朝「やっぱり味噌汁に人参は合わないな」と思った時に、平静が保ててると思った。なんだか変な認識だけど。

ちょっと音楽ネタは、前述の書き物に注入しているので、二三日はそんなに書けないと思いますが、ご容赦願います。

注文したCDに話題のデニス・ラッセルのブルックナー第3番があるのですが。どうなんでしょうか?ジンマン/ベートーヴェンのブルックナー版かななんて勝手に想像していましたが、むしろ今まで接した演奏の中で遅い部分も多々あります。ただ音色はサラサラしていてその辺りは新時代のブルックナーという気もしないでもないですが…まあ、ブルックナーだったらまあなんだっていいやというところが正直なところである。

夢に前述の保険のオバちゃんが出て来た。何もしていないのに、いきなり20,500円を請求されて「フザケンナ」と俺が本社ビルに乗り込む夢。相当叫んだので、多分実際にもうなっていたに違いない。喉が渇いた。

と思うと、父親が僕にプレゼントするために隠していたソプラノ・サックスを見つけて吹いてしまうなんて夢を見た。

でも、僕のサックスはサブで、メインは妹へのコルネットのプレゼントだったので、妹には内緒にするように釘を刺された。

口外しない代わりに、そのコルネットを見せてもらう。ヤマハの正規品の最新モデルと言うことで買わされたらしいが、何とも変な形だった。表面は艶消しが施され、安物のプラスチックのようにも見える。ピストンはマウスピースの直前にあり、マウスピースは取り外し不可だった。

明らかに真っ当な品じゃないと思った。妹がこんなので喜ぶとは思えない。でも父親は早く妹の喜ぶ顔見たいといわんばかりだ。

これは目が覚めている時の話。妹が小学校三年生の時に「かかとが電気で光る靴」というのを両親からプレゼントされるのを目撃した。これを履いて学校に行く妹を不憫に思い、僕は激しく反発した。反発すればするほど妹が惨めになるだけなのに。

親の愛情というのは、みっともなく情けないものになる宿命なのだろうか。この恥を背負いながら生き続けるのは、僕には耐えられそうもない。

今日はダメな休日を過ごした。寝てばっかり。

お昼に「フルトヴェングラーのブルックナーが4枚組で1000円だから買っとく〜?」なんて電話が来る。4,7,8,9が入っているらしい。面白いので買っておいてもらう(こういうバッタモンのCD、私は大好きである)。

触発されたか、フルトヴェングラーのブルックナーを聞きたくなる。前にもご紹介した、第8番の49年録音のもの。

すごい求心力を持った演奏だと、改めて感心する。これが店先で鳴っていたら、みんな足を止めてしまうんじゃないか、なんて愉快な想像をした。

やっぱりアダージョが素晴らしい。この楽章を、天上の音楽、なんて軽々しく言う人は多いが、天上に憧れるフルトヴェングラーの演奏を聞かずしては、それがどれほどの高みかは推し量れないだろう。これは絶対に避けて通れない演奏だと思う。

音楽は天上を目指して、フルトヴェングラーに導かれて行き、私もまどろみに落ちていった。

今日休憩室で休んでたら保険の勧誘に絡まれてしまった。すごく迷惑だった。あぁいうのダメだ…。

そういえば、高校時代に、教材のセールスで居間までおばちゃんを入れた事があった。

このババア(そう、嫌な思い出です)、勧誘業の前はピアノの先生をやっていたんだって。俺は当時サックスに夢中だったから、まあ、音楽の話をしたんだな。

すると、当然勉強の話にすり変わるわけよ(この口調なに?)。でね、この老いぼれ(尊敬の念ゼロ)がいったんだ。

「りょうたくんも、難しいフレーズを反復練習するでしょ?勉強もそれと同じなのよ」

違うかなと思った。

「僕はまず全体をさらいますね。それから細かいところを詰めてゆく」

「はぁ?」

ババアの目付きが鋭くなった。

「そんなやり方だめよ。ハーア、ダメダメそんなことじゃ。おばさんりょうた君のサックスのレベルがどの程度か分かっちゃったわ〜本当は全然吹けないんでしょ」





このクソババァ!!!マジ死ネヤ!!!



…な〜んてことがあったんだよー。さあ次は、ポンポコニャン体操だよ〜みんなー集まれ〜♪

* * * * *

それから十年以上経つ訳だけれど、考えは全然変わっていない。というか、高校の時からしっかりこんなことを考えていたんだと感動。

やっぱり演奏していて一番大事なのは「全体のまとまり」だと思うし、それは曲作りにおいてもそう。もっと言えば、自分の生き方でもある。いいじゃん50円のレジ誤差ぐらい(小声)。

確かに、このババアは全然が見えてないね。なんでピアノ教師をやめざるを得なかったのかが全然分からないんだから。哀れなもんだ。つか、こんなピアノの先生、いなくなってくれた方が絶対世の中のためだ。

あ、全体、見えてる?

結婚式に行ってきました。高校の部活の先輩と同輩。知り合いの結婚式は初めてでした(なぜか呼ばれない)が、面白かったです。

朝起きたら二日酔い気味。洗濯して、ご飯炊いて、作曲のためにピアノを弾きました。朝からこんなに弾くのは珍しいです。多分昨日何かしら影響を受けたのだと思います。

そして、お決まりのように「次結婚するのは」という話題で、なぜか集中的に僕に振られる。もう8年付き合っているT嬢に何度も振るも、なぜか僕に返って来てしまう。もういいやと寝た。

正直焦ったんだと思う。やっぱり結婚はゴールインな印象を与えた。もうそこで競技をする資格はなくなるのだと思った。

だから、必死にピアノを弾いたんだと思う。

ふふ、僕っておかしいですね。

まず始めに誤解のないように。僕はトスカニーニという指揮者は嫌いではありません。シンパシーを感じている部分も多々あります。

彼の指揮ぶりは「余りに無慈悲すぎる」という評はありますが、それはベストコンディションではなかったからだと思うのです。好不調が、こんなところに表われるなんて、実に面白い指揮者です。

ハイフェッツと組んだベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、トスカニーニのその不調さにおいて最右翼の演奏だと個人的に考えています。

まず、この曲の冒頭のティンパニの四つ打ち。これは「このテンポで行きますよ」というとても大事な約束です。だから、本来ならこのテンポは死守しなくてはならないもの。つまり、ほとんどの指揮者がこの曲を誤解していると僕は考えています。

トスカニーニもしかり。むやみにテンポを変化させ曲想を描き分けようとしていますが、なんとも地に足の付かない演奏になってしまっていると思います(どこがイン・テンポの指揮者なんでしょう?そういう聞き手の感性こそイン☆テン☆なのでは?)。

それと、この楽章に特徴的な、全休符。ここは決してリズムを詰めてはいけない部分です。大事な休符なのです。けれど、トスカニーニは「半拍以上早いんじゃない?」と思えるほど、この休符をないがしろにしています。

空飛びな発想かもしれませんが、この休止をしっかり取らせるために、ティンパニ四つ打ちの「縛り」をベートーヴェンは与えたのではないかとすら思えるのです。

そういう意味で、このベートーヴェンの理想を体現しているのは、僕の知る限りドラティしかいません。

けれど、この「鳴っていない部分の正確さ」などというのは、トスカニーニは本来得意とするはずですが、なぜこの演奏は乱れてしまっているのでしょうか?

その理由は「ハイフェッツとの共演」としか思えないのです。超人的な技巧で度肝を抜かれてしまって、その心の乱れが指揮に表われてしまったのではないでしょうか。

第2楽章以降はまったく素晴らしいです。

誠に興味深い盤ではございます。

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