2007年03月

ダラー・ブランドといえば、アフリカ出身のジャズ・マン。『アフリカン・ピアノ』というソロ・アルバムが実に有名だけど聞いたことがない。何となくピアノでアフリカンなフレーバーなんか出せるもんかいと思うし、ディストリビュートがECMなのもピンと来ない。

その代わり、僕はこのアルバムを全面プッシュしたい。『アフリカン・マーケットプレイス』だ。ジャケットに何となく惹かれるものがあった。

編成は、ブラス主体の中型コンボ。ダラー・ブランドは曲によってピアノとフェンダー・ローズを弾き分けている。

イントロの香しいローズの音から、良い音楽が始まる予感がプンプンする。春の予感を感じさせる風の匂いのような。

のどかなテーマを、実にゆったりとブラスが奏する。そして強音。その間を縫うように、トロンボーンが象のいななきを奏する。そしてサックスのソロへと引き継がれる。このソロが手垢が付いていない感じで非常にグーなのだ。

1曲目でも、なんかどこかリズムが「外れ」たような不思議な感覚があるが、2曲目「ホームカミング・ソング」で、それが明らかになる。彼らは、自分達が考えるより半拍早く奏し始めているのだ。普通のジャズでも普通に用いられる技だが、それはリズムがキープされている上で行うこと。このように、バンド全体やられると、かなり圧巻だ。

変な例えだが整体で曲がった骨を、バキッ、ボキッと押されているような…といってもそんな経験は無いんだけど(笑)。しかしこれはクセになる。

3曲目の「ウェディング・ソング」で、このアルバムが掛け替えのないものになった。この幸せいっぱいの旋律はどうだろう。前述した、初々しいアルト・サックスが、フェンダー・ローズに乗って、胸いっぱいに歌い上げる。嬉しくて涙がにじみそうになる。

白いブーケを被って嬉しそうにうつむいている黒人女性が目に浮かぶ。愛する人と一緒になるという喜びは、世界違えど、人種違えど、おんなじなのだ。そんな当たり前の美しさにこの曲は溢れている。ホワイト・ハウスで演奏したい1曲だ。

壮大なスローガンを掲げなくとも、こんなに平和や自然(であること)の大切さを感じさせる音楽がある。ぜひ聞いてみてください。

きのう豆三郎が、録音したかも。


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「豆三郎」が書きました。

僕が初めて聞いたペトルチアー二のCDがこれだった。

実に衝撃だった。その演奏内容にではなく、そのサウンドにだ。なんの迷いもないストレートなエイト・ビートに、シンセサイザーが被せられている。ジャズじゃない、と思った。

結果を先に言うと、この盤は間もなく愛聴盤になった。この盤を期に、ペトルチアー二のCDを何枚か買ってみた。その中で、僕が「最高傑作だ」と太鼓判を押したいのは『オラクルズ・ディスティニー』で、僕のすべてのCDの中でよく聞く一枚でもあるのだが、この話はまた今度。

ペトルチアー二のピアノというものは、ものすごく強靭で、ただただ圧倒されてしまう。触れたら切れてしまいそうなほど。この演奏家はまさに天才だと言える。けれど、それが今一つ人気に繋がらないのだ。島津亜矢と似ているかもしれない。

そこで、プロデューサーはポップなオブラートに包む事を考えたんじゃないだろうか?それが『プレイグラウンド』というアルバムのような気がする。

(不穏当な発言かもしれないが、何らかの障害があるミュージシャンの方が、音楽のジャンルを楽に飛び越えてしまう人の割合が多い気がする。素晴らしいことだ。)

しかし、ペトルチアー二は手加減抜きでバリバリ弾いている。本当にすごい。第一、フォー・ビートとエイト・ビートを何の隔たりも無く弾き分けられるなんてちょっと信じ難い。「エイト・ビートも面白いね」なんて思っていたのかもしれない。まさに《プレイグラウンド=遊び場》だ。

そしてやはり、自作曲のメロディの美しさには目を見張るものがある。『オラクルズ・ディスティニー』は心を開いているが、『プレイグラウンド』は心から楽しんでいるといえるだろうか。

この二大アルバムを超えるアルバムに出会えるだろうか?

…という構内アナウンスにJRは変りましたね。以前はこうだった。

「白線の《内側》まで下がってお待ちください」

…これさ、本当に昔から危ないって思ってた。電車が入って来ると、電車寄りが《内側》って思っちゃうんだよね。《内側》=《狭い》ってイメージもあるからなおさら。

本当に、本っ当に!僕はこれを昔から「危険だ」と主張して来た。クレヨンしんちゃんもこのギャグがあった。「マサオ君、こっちから見れば内側だぞぉ」っていうね。

改善されたアナウンスはシンプルでいい。「白線まで下がって」といわれて、線路側に前進せねば、と思う人はまずい無い。日本語は言葉を重ねると丁寧に聞こえるが、たまにはハッキリ意味を伝えた方が良い場合もある。

ワインバーグの書いた有名な本で、似たような物語のものがありましたね。紹介したかったのですが、筋を忘れたのでまたいつか。

僕も似たような経験があって、英語の授業の時に過去形を習っていた時に「時制を揃えなさい」という設問で、普通は動詞を直すのに、過去っぽい単語を根こそぎはぎ取り、現在形にして、ごり押しで正解をもらったことがある。


…ちょっと違うか。

植木等さんが亡くなった。享年80歳でした。私は青島幸男さんの後を追ったのかな、なんて思ったりした。

毎度思うことだが、生前に彼の芸術にたくさん触れられてよかったと思う。

名曲・名唱は数え切れない。萩原哲晶さんの曲は全部耳にするべきだと思う。

その中で、隠れた名曲・名唱をご紹介したい。アルバム『ハイお呼びです!!』に入っている「あきらめのブルース」(作詞:安井かずみ 作曲:宮川泰)だ。

植木さんが女言葉で男のC調さをたしなめる歌なのだが、妙にハマっている。色っぽいのだ。

ここだけなら女性歌手でも歌えるかもしれない。しかし、間奏部分に「イヤァ〜今日は日が悪かった!」なんて適当なセリフが入る。こうなってしまうと、もう植木さんしか歌うことができない。

このセリフが入る事によって「女性だってなかなかなんじゃない?」という、複雑な持ち味の歌に変貌してしまう。「男も女もどっこいどっこいでしょ?」といった感じだろうか?

“永久に分かり合えない二つの性”をこれほどまでに痛切に感じさせる歌はない。そして、安井かずみさんも宮川泰さんも、恐らくそこまでの深さは求めてはいなかっただろう。これはひとえに植木さんの「声」の力なのだ。

個人的な事を書かせてもらうと、この曲をモチーフに私は何曲も作曲をさせてもらったことだろう。つい最近もしたのだ。オーギュメン・コードの美しさに初めて気付かせてもらった曲でもある。

植木等さん、青島幸男さん、そして宮川泰さん、みんな亡くなられてしまいましたが、私の中ではこのように、まだまだ現役で活躍しておられます。これからもたくさんインスピレーションを与えて下さい。よろしくお願いします。

とうとう買ってしまいました!!ヴァント,ミュンヘンのブルックナー第8番。高かったよ〜(泣)。インターネットショッピングは月3000円まで、と小市民哲学があるので…はい。

ファースト・インプレッションです。第一楽章は「あれれ!?」と思いました。オケがホールに拡散せず、音響に浸る事ができません。録音のせいでしょうか。しかし、ヴァントもまだ本領が出ていない気もするのです。

スケルツォはどっしりして最高です。主題の終わりに、ホルンやトロンボーンの金管をスフォルツァンド気味にクレッシェンドするのが面白い。ピークはそのままに中音域を操作しているのですね。

アダージョから様子が一変したように感じました。天上の音楽と言うよりは、人類の黄昏といったような音楽。ミュンヘン・フィルの持つ音色が好きな人には最高の贈り物ではないでしょうか?

フィナーレは◯ワー・レコードで試聴していたのですが(それが購入のきっかけになった、HMVモバイルで 笑)、やはり曲想を丹念に描き分けた素晴らしい演奏。「ちょっと丁寧すぎる!」と感じる事もありますが、ミュンヘン・フィルの共感のせいか、ダレません。

このフィナーレだけテンションが違いすぎる気がするのですが。違う日の録音なのかも知れません(この盤には録音日が書かれていないのです)。

私は最後のベルリン・フィルとの録音は持っていないのですが、北ドイツ放送交響楽団のは持っています。北ドイツ〜との演奏と比べると、解釈はホンのちょっと違うだけなのですよ!けれど、その差がものすごく大きい。北ドイツ〜のは、とてもじゃないですが最後まで聞ける演奏じゃないです。

第一楽章の「んんっ?」という気持ちは、二度目から無くなりました。やはりヴァントは後年の方がいいのでしょうか。ベルリン・フィルのはやはり聞いてみるべきなのでしょうかね?

最後に私的《ブル8》ベスト3を挙げておきます。

1.チェリビダッケ/ミュンヘン・フィル

・・・毛嫌いせず先入観を捨てて聞きませう。「まとめるのが難しい」なんて考えを捨てた、無我の演奏。

2.ヨッフム/ドレスデン国立管弦楽団

・・・「みんな構え過ぎ〜」と、実に気さくでフレンドリーな演奏。「これでいいんだろ、アントン」なんて肩を抱く演奏。

3.クナッパーツブシュ/ミュンヘン・フィル

・・・チェリビダッケが放棄した「まとめちゃった」代表の演奏。この路線ではもう敵わないのでは?ヴァントはどうしても立場が悪いと思う。

今段々とモーツァルトの音楽が好きになって来ていますが、モーツァルトの音楽を聞いた一番古い記憶は、5歳くらいだろうか、夜寝る時間のこと(歳を取ると昔の事を思い出すみたい)。

父が買ったモーツァルトのテープに入っていた「アイネ・クライネ」の一楽章だった。これがないと眠れなかった気がする。ロマンツェも入ってた気もするが、定かではない。

ある日父がこう言った。「この曲は続きがあるんだよ」と。それで猛然と続きを聞きたがって、ちゃんとしたテープを買ってくれた(それまでは駅前で売っているようなものだったのだろう)。

ところが、その演奏が気に入らず、文句を言ったのような気がする。可哀相な父である。けれど、元ザヤに収まったかというとそうではなかった。今までの記憶は間違いで、ただ単にテープが壊れて、新しいのを買っただけなのかもしれない。

これは憶測なのだが、新しいのはベーム指揮のものだったかもしれない。なんとなくごつい演奏だった。

次の記憶はもっと鮮明だ。小学生の頃、ファミコンが流行り、金持ちの友達の家にファミコンをやりに向かう途中の事だ。突然、あるメロディが頭から離れなくなった。そう、小林秀雄なんかに負けない。バイロイトでヘタッテタ奴なんかに負けない。

その曲がなんであったか?後年判明するのだが、それはモーツァルトのピアノ協奏曲第23番のフィナーレだった。父がよく聞いていたのだろう。

しかも、その一部分、2小節に渡ってメロディが下降して行く部分、あそこがなぜか幼き私の心を捉えてしまった。そのメロディを口ずさみながら、友達の家へ走った。

モーツァルトの音楽を聞いていると、思いもよらないところで、思わぬ記憶がよみがえる。モーツァルトの刷り込み力は尋常じゃない。無意識下なのがさらにスゴい。

モーツァルトの音楽が時限爆弾だとして、悪党が「ヨシ、スイッチ・オン」とボタンを押したら、98%の人が死んでしまうだろうね。

押した人も当然ネ。

私はお風呂で音楽を聞いている。室内のアンプヘッドフォンの差し込み口からコードを延長して、お風呂場の小さなスピーカーに繋ぐ。改装費用200円也。

当初は「馬鹿もここまで突き抜ければ大したものだ」と自嘲的に思っていたが、今現在お風呂のスピーカーは、時間を計る欠かせないツールになっている。お風呂の時計はしばらく前に壊れてしまった。

私のお風呂所要時間は、デフォルトで20分程度だが、朝はこれを15分に縮めなければならない。

よって、朝お風呂で聞く音楽は「15分で終わるもの」必然的に決まる。音楽の進行具合に合わせて、こちらもアッチェレランドを掛けるわけだ。当然、コーダ(髭剃り)は慎重さを欠いてはならない。

しかし「ブルックナー第8番の第1楽章」という、つまみ食い的なチョイスは避けたい。やはりしっかり全曲聞きたい。

そこで、私なりの《お風呂で聞く音楽 BEST3》を紹介しよう。全部15分程度で聞き終わる。

1.モーツァルト:ホルン協奏曲第3番

この曲に限らず、モーツァルトのホルン協奏曲は朝にぴったりだ。私の持っているのは古楽器演奏のものだが、朝つゆのような羊弦と素朴なナチュラルホルンの響きは、一日を頑張る根源的な活力を与えてくれる。

2.ミヨー:プロバンス組曲

フランスのプロバンス地方を描いたとされる、活気溢れる音楽。この曲を色でたとえると、オレンジやイエロー。眩しいほどの原色。とにかく、元気が出る曲。朝の1杯のオレンジ・ジュースのよろしく、酸味の利いた壮快感とビタミンがある。ミュンシュ指揮がいい。


3.モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための2重奏曲 第1番

パールマンとズッカーマンの演奏で聞いているが、彼らの美音は、ひきたてコーヒーの香ばしさにも似ている。ヴァイオリンにありがちな、刺激的な音は絶対に立てない、大人な演奏。


…でもまあ、そんなじっくり聞ける訳じゃないけどね。ちゃんとしたスピーカーでミヨーを聞いたらぶっ飛びました(笑)。

謝らなければならない事があります。先日「バレンボイムの弾き振りしたベルリンの音がすごく嫌な音」の旨を書いたのですが、これを撤回したいと思います。

先日、ムター/カラヤン/ベルリンのブラームスのヴァイオリン協奏曲の「音」が好きと書いた後にはたと気付いたんです。バレンボイムだって同じじゃないか、と。

何だかんだ一番よく聞いている録音だし、確かにあの威力に最初は驚いたけど、今じゃむしろその風圧感にシビれているし、だからこそバレンボイムのピアノの繊細さが引き立つわけだし。

とにかく前言撤回したい。いいよね?ごめんね、バレンボイム。

ですが、一番考えを改めさせる要因になったのは、某通販サイトの心ない投稿型レビューをよんだからです。

やれピアノとオケ別々に録音されたのではないか、やれ余計なリミッターが掛かって変な音だとか。この人達は何を聞いているのでしょうか?

不毛な事を理解しつつ反対意見を述べさせていただくと、事実はどうであれ、バレンボイムぐらいの演奏家であれば、そ の 意 向 は 反 映 さ れ て い る も の と し て、どうして受け取れないのでしょうか?アーティストが路上で練習しているギターっ子レベルで見られているいい証明です。情けない話です。

ちょっとウルサメなベルリンの風圧だってそうです。その解釈をまずは無条件に自分に取り込まない事には、演奏家の目指したものなど見えて来る訳がありません。モーツァルトのオケ・パートがこんなに隅々までイキイキしているではないですか!

私は断固支持する!最高のモーツァルトをありがとう、バレンボイム/ベルリン・フィル!

りょうたの、言葉っぽい意識♪


*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「豆三郎」が書きました。

この曲は面白い。後半に「HOME」が挿入されるからだ。僕は「HOME」という曲を紅白で聞いて以来、なんとなくアンジェラ・アキに興味を持つようになった。

この「折り込みソング」というのは、かつては演歌の世界でよく見られたものだが、リアルタイムで聞くと、やはりインパクトが強く耳に残る。

それには彼女の「HOME」という曲に対する自負も伺える。

その「HOME」だが、これも読み取れない不思議なコードがあり、気になっていた。「ふるさと〜」というサビの部分なのだが、なんてことない…、

「ふ(Eb)→る(Bbsus4)→さ(Bb)→と(Cm)」

…という和声進行だということが分かった。

しかし、これは実に珍しい進行だ。これをエルトン・ジョンがやると納得するが、アンジェラさんだと、いまひとつ信用しきれないものがある。それは作品がまだ少なくて、判断材料に乏しいからだ…と言うだけでもない気がする。エルトンは初期からしっかりした知識の裏付けを感じさせるからだ。

けれど、新作に耳を傾けるのが楽しみなアーティストが増えたのはとても嬉しい事だ。それと、自分ももっと自由な発想で曲を書いていいんだと勇気づけられた。

今日は久しぶりの休日でしたが、夕方の六時まで寝てしまいました(笑)。自分でもすごいと思います。

よく眠る時期は、運命が変転する時期なんだよ、と前にいわれた事がありますが、これは何となく信じています。だって尋常じゃないですよ、この睡眠時間は。不思議なパワーを感じます。

今日はブラームスのヴァイオリン協奏曲を聞きました。若き日のムターがソロをつとめたカラヤン盤です。

この演奏は、オーケストラが主役の趣を持ちます。それくらいカラヤンの指揮が素晴らしいです。分厚く柔らかく、威力万全、気持ちのいい音です。

ムターのヴァイオリンも「何倍も幅のある弓で弾いてるんじゃないの」と思わせるくらい、厚く、逞しい音で歌っています。

そうですね。この盤は「音」が好きなのかも知れません。大音量で聞きたい盤です。

6連勤でした。久しぶりです。ヘロヘロです。と言うわけではないですが、謝って商品を壊してしまいました。明日先輩方に処理をしていただく事になって大変心苦しいです。

確かに自分は商品を乱雑に扱い過ぎかも知れません。昔の職場(本屋)は、商品を落とすのがたった一つの勲章〜だったような感じだったので(んなこたない)。けれど「返品可」という部分に多少甘えている部分はあるのかも知れません。

リラックマもくすくす笑ってます。


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CDの「平積み」陳列は、結構貧乏ったらしい感じがしますね。不思議です。某「●AVE」で最近よくこの陳列を見掛けますが、お寒い感じがします(笑)。

もしかして、書店上がりの営業が注入されたのかも知れません。面接でゴリゴリ押したんでしょうかねぇ。「書店の陳列は洗練されている!CDショップではまだ開拓されていない。チャンスです。私を雇いなさい」なんてね。私もそう思っているからです(笑)。

いま「複雑系ネットワーク」が持てはやされていますが、そのアプローチはすでに書店には取り入れられていました。これは絶対に見習うべきものです。私は今の職場で実践していますが、誰も気付いてくれません(爆)。

でも、この「平積み」のように馴染まないものもあります。なぜなんでしょうか。日々研究です。私なりのスタンダードを確立したいと思います。

この曲いいなぁ〜って思った。可愛いい。いつもムリヤリしかめっ面しているような印象だったけど、普通にニッコリ笑えばこんなに可愛いのに、と思う。

この曲は和声の禁止進行が出てくる(?→?)。今更ポップスで禁止もクソもないとは思うが、これは初めて聞いたよ。きちんとそれなりの効果も出ている。

必死に和音を探り当てて作ったんだろうなと思う。その努力に不覚にも打たれてしまった。

この進行を残して、きちんと編曲をされているのにも感激した。YUIの良いところを、きちんとスタッフが理解してサポートしているからだ。

…なんで真剣に聞いてしまったのか。それは、絢香の作曲を手掛ける、西尾芳彦さんがYUIに関わっていると本多君に聞いたからだ。デマじゃん。

でも、良いもの聞かせてもらいました。関係ないですが、英語でクレジット表記する意味が分かりません。

前日に引き続き春の音楽を探していてます。

季語辞典なんてものもめくったりしました(笑)。すると「ひばり」や「つばめ」は春の季語らしいのです。秋かな〜なんて思ってました。いかに適当に日々を過ごしているかと言う事です(笑)。

そこで「揚げひばり」を思い出しました!鳥ならなんでもフライにして食べちゃう民族を模写した管弦楽曲でしたよね。しかし、ある少年が直前にひばりを助けて、お礼にとひばりのお宿に招かれる話です。全部大嘘ですよ。

ヴァイオリン独奏をともなった管弦楽曲です(ここからはホントです)。もちろん模写するのはつばめです。そこでふいに、懐かしいような木管のパッセージ表れて胸を締め付けます。

もうちょっと踏み込んで書くと、ヴァイオリン独奏部は調性がはっきりしないのです。木管部になると調性が戻って来ます。つまり、無調は「自然」、調性は「人間」と描き分けているのだと思います。なーるほどですね。

なんの《しがらみ》にも捕らわれず、飛び回るひばりを見上げ、ふと自分の人生を振り返ってみる。そんな郷愁の気分に満ちた曲です。

そして、さらに想像(妄想)力を駆使すると、ヴォーン・ウイリアムズは、この時愛児を亡くして悲しみに暮れていたんじゃないかなって、思ったりします。何となくですが、幼い子供が草原を走ってる幻影が見えるんですよ、私には(笑)。当たってたら驚きますが。

ボールトの指揮で聞いてますが、もっともっと出来るような気がします。この曲を十八番にしているヴァイオリニストがいたら、絶対にファンになるよ〜。自分の好きな曲を慈しんで演奏してくれると、それだけで愛着が沸いてしまいますよね。

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