2006年12月

自分はラッキーな人間だと思う。でもそのラッキーは結局自分だから掴めたものだとも思う。なんの努力もしないでラッキーが降って来るのを待っていた訳ではない。

そんなラキネス(こんな言葉はない)を感じられた一年でした。その事に感謝しつつ、今年も素晴らしい音楽を作って行きたい、出会って行きたいと思います。

来年もいい年になりますように!



以上2007年からの更新でした〜。

クソー鼻水止まらないよ。いい歳こいて鼻の下真っ赤だよ。頭もぼーっとするし。今日はもう寝るぞ!

あ、テレビで有頂天ホテルやってたね。映画館で爆笑しすぎて、連れに引かれ気味でしたが、本日、己の非に気付いたようです。分かれば良いのです。

さあ、寝るよ、酒飲んで。

来年はアルバム作るぞぉ。でへへ。

風邪でダウンです。気持ちは負けていないのですが「体調良ければ公園まで散歩に行こう」という微かな願望は、玄関を出た瞬間真っ向否定されました。実は体調がそこまで良くはない事が、この強烈な寒さで瞬時にバレてしまいまったわけです。

こんな「動けない」時は普段聞けない全集を聞くチャンス!ショスタコービチかブルックナーか迷ったけど、迷うまでもありませんでしたね。全快の祈りを込めてブルックナーです。

もちろん最初っから攻める。全集には入ってない第0番。指揮はインバル。

この第0番はいつ作られたのかいまだに不明です。この曲調からすると、明らかに第1番よりは後に感じますが。第3番、第4番のような「表題めいた」ところもないので、それよりは前でしょうか。

調性はニ短調。奇しくも彼の最後の交響曲も同じ調性を持っています。あの「第九」に似ているといわれる、あのオクターブ跳躍がここでも出て来ます。同じ調性の「第3番」も出て来ます。たぶんこれは、意識的ではないでしょうか?ワーグナーを平気で引用したり、こういうミーハー的な無防備性はブルックナーの謎の一つです。

しかし、いい曲だなぁ。楽しい曲だなぁ。「第8番」のもろ弟分の交響曲ですね。事実「第8番」に通ずるブルックナーらしさが随所に聞かれます。

例えば「ブルックナー休止」がたくさん出て来る。沈黙の後には、自然の息吹か、神への祈りか、宇宙の鼓動かが、忽然と表れます。この変化をブルックナー・ファンは楽しむのです。自己暗示をかけて「初めて耳にする」ように聞くのもまた楽しい。彼は、今で言うサンプリングに近い感覚も持ち合わせていたのかも知れません。

…と言うワリには、「第6番」「第7番」だと極めて流れがよくなります。全く不思議な作曲家ですよ!

さて、どこまで聞き進められたかと言うと、「第2番」までしか記憶がありません。あとは療養に専念したというわけです。あー喉痛い。

あ、インバルに何も触れませんでした。スイマセン。金管が味気ないけど、過不足なし!と言ったところでしょーか。

昨日の日記、撤回、撤回!くしゃみ鼻水が治まったと思ったら、次は喉がやられた。

悔しいのでビーフシチューを作る。食す。へっ、ざまーみ。

たぶん明日には治ると思うので、酒飲んで寝る。まずいウイスキーを昨日やっと飲み干したので、新しいのを飲んでいる。喉に染みるネイ、チキショー。

そうそう、一番最初のポリスアカデミーを買ったと思ったら、2番目のヤツだった。でも面白い。Zの登場はこの回からなんだね〜。このキャラ最高!憎めない!

結局夜更かししてる。

このところ、ちいさい風邪を何度かひいていますが、すぐ治ってしまいます。

風邪をひくと、鼻の穴の中に出来ものができますが、消えたと思ったら、その後反対側の鼻の中に必ず出来る。今日も左側に出来ていましたが、もう消えてしまいそうです。以前は三日間くらいは鼻が痛かったのに。

やはり今の仕事で体力を温存出来ているのでしょう。運動もしてますし。去年は一週間インフルエンザで棒に振りましたからねぇ。

ベタな言い方ですが、降ろしてみてその荷物の重さが分かった、というヤツです。もう前の職場に戻る事は考えられません。

でも、新年会はちゃっかり出るけど!

我が家(といっても独り身だけど)には「二軍」と呼ばれるCDがある。「二軍」は棚には納められず、キーボードの下の段ボールに納められる。ようは聞かないCDだ。

でも、本当に正確に表現するなら「代わりがあるCD」と言うべきだろう。例えば、「ルービンシュタイン/バレンボイム」の《皇帝》と「バレンボイムの弾き振り」の《皇帝》があるとしたら、当然、人件費が余計にかかっている「ルービン/バレン」は「二軍」行きに決まってるじゃないか〜(えなり君風に)。

そして、弾き振りの方には「4番」もカップリングされているため、実に経済的。よってグルダもゼルキン(弾いてたっけ?)もポリーニも入り込む余地すら残されていない。こんなライブラリで演奏の趣向が決定されていって良いのだろうか?

で、昨日「二軍」の中にバックハウスが弾いたモーツァルトの第27番のCDを発見した。

アレー?これ「二軍」なんだ〜といささか唖然。たぶん、要らないカップリングのシューマンをライブラリに残すのなら、27番も削ってしまい、カップリングも充実したCDを入れた方がお得という貧乏根性から生まれた考えなんだろう。

せっかくだから聴いてみる。



「んべーー」(トレイが出て来ている)



カチャ(CDをセットしている)



「んべー」(トレイが引っ込んで行く)



…いやあ、すごい。思わず背筋が伸びました。なんて崇高な演奏なんだろう。バックハウスの硬質なピアノも良いけど、ベームの合いの手が「意義なし!」って具合にビシッ、ビシッと決まる。このオケの合いの手が、このピアノ協奏曲の理解の鍵なんじゃないかな。

それと、この協奏曲はなかなかトニカに向かわないね。理解されなかっただろうな。調性も同じだからというわけじゃないけど、来たるベートーヴェンの「英雄」をも予見してる。すごい。

私はそのCDを「一軍」の棚にそっとしまった。





けれどバックハウスさんはニコリともしませんでした。

ひどいオチである。

ワケあって、モーツァルトの「戴冠式ミサ」を買いました。1998年の「モーツァルト生誕240年」のときに出た、フィリップスの「ザ・ベスト・オブ・モーツァルト」のシリーズで、指揮は、さぁ?・コリン・デイヴィス。

このシリーズに私は好印象を持っていて、グリュミオーのV協奏曲や、内田光子さんのP協奏曲はこのシリーズで持っています。コリン・デイヴィスにはちょっと不安だったけど、このシリーズに入っているから、良い演奏に違いない、と信じてました。

聞いてびっくり!やっぱり「アメと鞭」だけで引っ張って行く、コリン・デイヴィス節。救いはロンドン響が親分を見限り、柔らかいフォルテだけは目を盗んで死守しているところだろう。

いやはや参った。「割ろうかな」と本気で考えた。

けれど何度もリピートすると、なんか良くなって来た。いや、愛着、というべきかもしれない。これだけ激しくやってだれないのは、逆に大したものではないか?というか「戴冠式ミサ」はこれぐらいやらなきゃダメだろ、というところまで来てしまっている。困ったものだ。

純正「戴冠式ミサ」を聞いた時に、腰を抜かすのが今から楽しみだ。

しかし、うまれたてのヒヨコよろしく、初めて聞いた演奏を無条件に信頼した方が、後々のクラシック鑑賞も面白くなると思います。くたばれ、名盤!バンザイ、廉価版!

今日仕事の用事があって日本橋の三越へおつかい。その後、また職場に戻ることになっている。

日本橋なら勝手知ったるもの。三越だろ?前の職場の真ん前じゃん。自信を持って目的地へ。

到着。看板を見る。




「TAKASHIMAYA」




は?!


完全に勘違い。しばしさまよったり、携帯で調べたり、冷や汗と時間だけが刻々と流れる。

やっとの事で本当の目的地にたどり着き、帰りは駅まで走った。お恥ずかしい事情で昨日は走れなかったが、結局走るはめになってしまった。

カップル、家族連れのクリスマスな日本橋を、両手荷物で走るネクタイ男は、悲しいほど絵になっていたと思う。

以上。

冬の夜。今私はワルター・クリーンの弾く、モーツァルトのピアノソナタを聞いている。シューベルトの「冬の旅」にしようかとも考えたが、余りにスノッブなチョイスであろう。

しかし、本当にクリーンはモーツァルトを弾くために生まれて来たのだなあと、今、30回目の溜め息をついたところだ(以下略)。



ああ、疲れた。ごくろうさん。

最初に聞いた演奏が、その曲のスタンダードになっちゃうよねって話をしたいのですよ。別にクリーンだけがモーツァルト弾きではないし、最近は古楽器演奏なんて余計な選択肢も増えたしね。

いわゆる「名指揮者」の演奏は「入念な刷込み」で「名盤」たり得ているものも多いのでは?今の「のだめ」でクラシックに興味を持った人に、フルトヴェングラーの「第九」をいきなり聞かせて、何人が感動しうるだろうか。感性の問題ではなく、彼らはすでに優秀な録音で「第九」の刷込みを完了してしまっているからだ。

レコードは音楽のありかたを変えたと言われるが、はたしてそうだろうか?残るのは演奏の記録なんぞではなく、音楽そのものではないだろうか?

私ももはやいないだろう300年後にも、毎年年末にも第九が、300年後の演奏家によって、300年目の解釈で、高らかに演奏されてればこれ以上ハッピーなことはないだろう。

昨日布団を敷いたあと、ポロンとピアノを弾いたら爆発した!トンデモないときにそれはやってくる。

中原中也の詩にまた曲を付けている。楽想がとまらない。キーボードは2曲までしか記憶できないので、仕方がないのでその詩集(新潮文庫)の空白に五線を引き音符を書き込む。

おぉ、これは便利だと気付く。そうか、詩集の下の空白はそのためであったか(違う)。

久し振りにワクワクした冬の夜であった。

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