2006年10月

…のアルバム発売日前日で、店内で待望のサンプルを掛けた。

もう、びっくりだよ!てか、本当にあなた十代ですか?切れのよい歌いっぷりもすごいけど、私のまず聞きたかったのは作曲。これが、本当に十代が作れる曲ろうか?

呆然自失しました。あきらめてブックレットをみたら、作曲は全部、西尾さんという人で、目茶苦茶ホッとした。そうだよな、あれが自作曲なら、俺作曲家目指してるなんて口が裂けても言えなくなるところだった。

となると、絢香はやはりボーカルなんだ。先日、「自然な黒さが出せる歌手がやっと出た」と書いたけど(http://blog.m.livedoor.jp/beans_man/c.cgi?sss=stseugroodevil&id=50642929)、やっぱりその「黒さ」は全開!惜しむらくはあのジャケの軟弱さよ。でもカウンターパンチを食らわせる計算だとしたら成功しているな。ちなみに、ワーナーって「チョイ黒」シンガーが好きじゃね?

三日月なんか聞くと分かりやすいけど、途中の「今度はいつ会えるだろう」の新しいメロディーの部分から、突然声が「壊れる」んだよね。その壊れっぷりが、絢香節なんじゃないかって5回聞いて思う。なんていうか、物凄くいやらしいし、エロい。

とここまで書いて、彼女がまだ十代だと言う事に130回目ぐらいに改めて驚嘆する。若き日の美空ひばりの大人びた歌い方を「何たる不健全」と言い放ったサトウハチローの気持ちがようやく分かった。そう、ひばりと一緒で、不健全な色気があるんだ、絢香には。

歌手という職業にあまり天才性を見出だせない私だが、小林旭と並んで絢香は天才歌手だと断言していい。もう、フレッシュな天の才がピチピチ飛び跳ねている。私の曲も歌ってもらえる日が来るだろうか。

買って行く層も多岐に渡ってて、彼女は国民的な人気を得る歌手になれるんじゃないかなと考える。完全に明日の絢香を目指しちゃっている女子高生、孫ノリで買ってくおばあちゃん、そして普通に男。帰って聞いて、ノックアウトされるがよい。さわやかな敗北だぜ。

問題は、明日が発売日なのに、20枚の在庫が無くなってしまった事だ。うーむ。

私は船橋に住んでいますが、西船橋から歩こうと思えば歩けます。

とくに、人込みにうんざりした時や(あの細いエスカレータに群がる人の惨めさよ)考えごとをしたい時などは西船橋からもくもくと歩きます。そうですね、月二回くらいでしょうか。

そこで問題になるのが、駅前の客引き。「かわいい子、いかがスか」とか「オニーサンキモチヨ」とか、とにかくうるさいし、気が小さいので文句も言えない。これでは何のために西船橋で降りたのかわけがわからない。

そこで私は、裏のラブホテルの道を歩いて行く事にしている。ここなら絶対に客引きもこないし(意味がない)、たまに男と女の人間模様も見えたりする。連れ込まれる子は大体黒ずくめのOLで髪が長い人。なぜだかはよくわからない。



うん、まあ、多少わびしいけどね。

音源終了、くたびれた。

やはり声の加工が曲者なんだな。マイクに内蔵されたバネのエコーが仇になった。やはり素人には手に余るよ。

というか、そろそろライブやん。はー…。

とにかく、寝かせてくれ!すまん遅れたくせに短くて。

カラオケで歌を録音してきた。

え、と思った?ケータイ電話のmp3プレイヤーにオケを入れて、それを聞きながらMDに歌を録音。それを後でパソコンで貼り合わせる。こんな涙ぐましい努力をしているのだよ!

こちとら年間20本ライブやってんだよ、歌入れなんて楽勝じゃい!なんて思っていたが。

やばい、細部にこだわるときりがない。ボブ・ディランはファーストを数時間で吹き込んだ。それを私たちは「完成されたもの」として聞いている。客観性と言うものを考えさせられる。

とにかく、声のひっくり返りだけは気をつけよう。そんな事を考えて歌うと、なんて俺は歌に「ま。いいや」で通している部分が多いのかと言うのに気付き、やや愕然とした。

そして「マイクを持って歌う」と、ピアノに変わる「表現」が必要となる事に気付いた。「そうか、これをするのが『プロの歌手』か」と思い、自分がいかに「歌手」的には未熟なのかと思い知らされた。

しかし、うじうじしても仕方がない。自分でピアノを弾くところを想像しながら歌い切った。費用二時間1480円也。

後は音をきれいにする作業(いわゆるマスタリング)だが、さっぱり自信がない。どうなることやら。

私はお酒が大好きです。弱いのに好き、というパターンです。

カロリー的に許すのならばずーとビールを飲んでいたいです。しかし、家で飲む時は、ビール500mlの後は焼酎か洋酒を飲むようにしています。

よく、若い時にがぶ飲みして、臓器を壊して飲めないからだになる人がいますが、そういう人は、お酒に強い人なのでしょう。でも、それは酵素的に強いわけで、体は悲鳴を上げていたのでしょう。

私は基本的に弱いので、体が悲鳴を上げる前に眠ってしまいます。それを繰り返すうちに、段々と酒が一人の友人のように思えてきました。

彼は実に面白い男だ。話の引きだし上手です。私は彼の前では話さなくて良いことまで話してしまいます。でも、悪い気分ではない。

私は彼と末永く付き合ってゆきたい。私に与えられた体を、むしろ幸運と考え、これからもこの親友と付き合って行きたいと思います。

以上、前夜に酔っ払って書いたものです。そーとー酔ってるな、馬鹿が。

本日、日本ハムが優勝しましたね。おめでとうございます。

私は小学生の時に野球をやっていて、巨人が好きでした。しかしいつの間にかプロ野球への興味を失い、現在に至っています。

野球そのものが嫌いなわけではありません。試合がやっているとやはり楽しめます。ただ、一つの球団に思い入れがないだけです。

ですから、「ファイターズ!北海道に来てくれてありがとう〜!!」なんて映像を見せられると、溜め息をついてテレビを消す事になります。

私のそういう姿勢は、音楽でも一緒です。ミーハー的な興味を持っても、それで作曲能力が上がるわけではないからです。

しかし、そういう人間だらけなのも気味が悪いものだと思うので、今日はこの辺でペンを置こうと思います。かしこ。

この交響曲の美しさは言うまでもありません。特に序奏やコーダは、この世のものとは思えません。北国の清らかさが目に浮かばない人はいないと思います。

今日は大雨の後のお天気で、実に空気が澄んでいてきもちがいい。そしてやや冷たいくらいの風が吹く。これくらいの陽気が丁度シベリウス日和です。文字通り冬になったら、冷蔵庫でかき氷を食べるようなものなので、おすすめしません。

この、ベルグルンド/ヘルシンキ響は、シベリウス交響曲の決定版と言われたものですが、ヨーロッパ室内管弦楽団の再録が出ると、そちらに水をあけられた感があるような気がします。ヨーロッパの方を高く評価する人は、ヘルシンキ響のアンサンブルの不揃いを指摘する。

私は高校生の時ヘルシンキ盤を、お金をためて買って、喜んで聞いていたので、「へっ、なーにいってやーんだ」と思っていましたが、昨日聞いた印象だと、確かにアンサンブルの不揃いが耳につかないといったら嘘になります。

けれど、この演奏には明らかに「特別」なものです。シベリウスと同じフィンランド出身のベルグルンドが、同じく地元ヘルシンキ響と共に、まだ限られた聴衆のものだったシベリウスの音楽を世に広めるべく「世界一のシベリウスにしようぜ」という意気・自負が感じられる演奏です。

ヘルシンキ響も実にのびのびと自発的な演奏を繰り広げているように感じます。なぜなら、「表現を押しつけられた感」がまるでないからです。あまりに自然です。あまりこういう言い方は好まないのですが、やはり地元のオーケストラならではと言いたくなってしまいます。ベルグルンドさんはただ「それでいい」と無言で頷いたでしょう。

この演奏で決定的評価を得たベルグルンドは「再録音」する機会も得られたのでしょうが、もう「与えられた機会」であることからしてテンションが違い過ぎるのです。

これは、ひとつの「奇跡」の記録だと思います。

ドラマ面白いですね。特に玉木宏さんの熱演が印象に残ります。

しかし、CD店はあまりその恩恵にあずかれていません。今日も「春」の問い合わせ来るかな、なんて思いましたが、一件もなし。視聴率はどうだったんだろう。

なかなか考えられた音楽の使われ方をしている時もありますが、サントラ的に同じ曲が使われ過ぎているのが残念です。たとえば、リムスキーよりもっと描写的な、レスピーギやムソグルスキーやホルストなどは、使いようによっては場面により彩りを与え得ると思うのですが。

昼ドラでふんだんにクラシックが使われているのがあったけど、これはかなりすごかった。危機迫る場面にブラームスの交響曲第四番の四楽章とかが使われていたり。下衆な昼ドラがものすごい格調高いものに見えた。

いわゆる描写音楽ではない絶対音楽を、効果音的に挿入するのは、ものすごい創造的な仕事だと思います。そういう「印象の残らせ方」を試みた方が、より深くクラシックの音楽の素晴らしさが伝わると思うのですが。

のだめ、次も楽しみです。

MDに入れたカラオケのマスター音源をパソコンに取り込みMP3に変換する。

いやーまったく操作方法を忘れてしまっていたね。行程的にはもっと後でよかったんだけど、よかった、今日いじって操作方法を思い出しておいて。

フリーの変換ソフトをやっと立ち上げたと思ったら、「いや、色々無料でと努力したんだけど、やっぱMP3に変換するにはね、あの〜、ライセンス料的なものか必要でね、うん、30日間は大丈夫なの。便利だったでしょ。ほらだったらね、右のリンクたどればレジに行けるから」なんてタワゴトが書いてある。しかも英語。ソッコー、アンインストール。

リアルプレイヤーでするからええわい、と思ったんだけど、あの回りくどいヘルプを見ると「wave⇒mp3」は有料なんだってね。くそ、アンインストール、できないのが悔しい。

割と窮地に追い込まれたワタクシ。しかし、フリー録音ソフト「超録」は直接mp3に書き出す機能があり、事なきを得る(特殊なdllファイルが必要だけど)。ありがとう、超録。

それが終わったら、そのままパソコンで作詞のツメ。なかなか進まない。何度も何度も付けたり離したり削ったり。何とか完成。後は数日寝かせて微調整。

そして、最後に、どうしてもテンポが遅過ぎると思った曲のテンポを上げ、完成と思ったが、今度は早過ぎると思い、やや遅くした(数値で表すと四分音符=137→142→140の順)。どれがベストなテンポなのか、まだ分からない。ほんとこういうのって疲れる。ライブで好き勝手歌いたいよ。

そしていま、船村徹の演歌をききながら酒を飲んで一息ついている。作業後、自分の音楽とは交わらないジャンルの音楽を聞く幸せは、他ではなかなか得がたいものである。

昨日深夜にNANAのダイジェストがやってました。

ただなんとなく観ていたのですが、少しずつ、少しずつ引き込まれてしまい、最後のハチの言葉が胸に突き刺さりました。私はその言葉を、録音の作業ノートの欄外に書き残しました。

「私、何が欲しいんだろう。流されてばかりじゃ何も掴めない」

私は現実ではハチのような女は絶対に許しません。軽蔑します。しかし、物語の中ハチを、私は許すことができます。それによって、私もハチによって許されているのです。

そこには、本当の意味での深い「癒し」があります。

科学一辺倒で物語が成立しない昨今です。そこでスピリチュアルが持てはやされたりしていますが、結局は逆説的に科学の絶対性に服従しているだけです。

違うんだ。物語というのは、科学とはなんら関係ないところで成立しています。人類の誕生の頃からあっただろうし、これからもあり続けるでしょう。

「完全な物語」が持つ力を私たちは知るべきだ。音楽でもそう。「新・ボーカル・オーディション」とか「路上からデビュー」とか「○○さんを思って作った」とか、そんな「ご近所アイドル」的なものが多い中、「完全な物語」の暖かみを享受できないリスナーが増えて来ている。

「完全な物語」のためだったら、私はこの身だって消してしまって良いと思っている。

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