2006年10月

私は船橋に住んでいますが、西船橋から歩こうと思えば歩けます。

とくに、人込みにうんざりした時や(あの細いエスカレータに群がる人の惨めさよ)考えごとをしたい時などは西船橋からもくもくと歩きます。そうですね、月二回くらいでしょうか。

そこで問題になるのが、駅前の客引き。「かわいい子、いかがスか」とか「オニーサンキモチヨ」とか、とにかくうるさいし、気が小さいので文句も言えない。これでは何のために西船橋で降りたのかわけがわからない。

そこで私は、裏のラブホテルの道を歩いて行く事にしている。ここなら絶対に客引きもこないし(意味がない)、たまに男と女の人間模様も見えたりする。連れ込まれる子は大体黒ずくめのOLで髪が長い人。なぜだかはよくわからない。



うん、まあ、多少わびしいけどね。

音源終了、くたびれた。

やはり声の加工が曲者なんだな。マイクに内蔵されたバネのエコーが仇になった。やはり素人には手に余るよ。

というか、そろそろライブやん。はー…。

とにかく、寝かせてくれ!すまん遅れたくせに短くて。

私はお酒が大好きです。弱いのに好き、というパターンです。

カロリー的に許すのならばずーとビールを飲んでいたいです。しかし、家で飲む時は、ビール500mlの後は焼酎か洋酒を飲むようにしています。

よく、若い時にがぶ飲みして、臓器を壊して飲めないからだになる人がいますが、そういう人は、お酒に強い人なのでしょう。でも、それは酵素的に強いわけで、体は悲鳴を上げていたのでしょう。

私は基本的に弱いので、体が悲鳴を上げる前に眠ってしまいます。それを繰り返すうちに、段々と酒が一人の友人のように思えてきました。

彼は実に面白い男だ。話の引きだし上手です。私は彼の前では話さなくて良いことまで話してしまいます。でも、悪い気分ではない。

私は彼と末永く付き合ってゆきたい。私に与えられた体を、むしろ幸運と考え、これからもこの親友と付き合って行きたいと思います。

以上、前夜に酔っ払って書いたものです。そーとー酔ってるな、馬鹿が。

本日、日本ハムが優勝しましたね。おめでとうございます。

私は小学生の時に野球をやっていて、巨人が好きでした。しかしいつの間にかプロ野球への興味を失い、現在に至っています。

野球そのものが嫌いなわけではありません。試合がやっているとやはり楽しめます。ただ、一つの球団に思い入れがないだけです。

ですから、「ファイターズ!北海道に来てくれてありがとう〜!!」なんて映像を見せられると、溜め息をついてテレビを消す事になります。

私のそういう姿勢は、音楽でも一緒です。ミーハー的な興味を持っても、それで作曲能力が上がるわけではないからです。

しかし、そういう人間だらけなのも気味が悪いものだと思うので、今日はこの辺でペンを置こうと思います。かしこ。

この交響曲の美しさは言うまでもありません。特に序奏やコーダは、この世のものとは思えません。北国の清らかさが目に浮かばない人はいないと思います。

今日は大雨の後のお天気で、実に空気が澄んでいてきもちがいい。そしてやや冷たいくらいの風が吹く。これくらいの陽気が丁度シベリウス日和です。文字通り冬になったら、冷蔵庫でかき氷を食べるようなものなので、おすすめしません。

この、ベルグルンド/ヘルシンキ響は、シベリウス交響曲の決定版と言われたものですが、ヨーロッパ室内管弦楽団の再録が出ると、そちらに水をあけられた感があるような気がします。ヨーロッパの方を高く評価する人は、ヘルシンキ響のアンサンブルの不揃いを指摘する。

私は高校生の時ヘルシンキ盤を、お金をためて買って、喜んで聞いていたので、「へっ、なーにいってやーんだ」と思っていましたが、昨日聞いた印象だと、確かにアンサンブルの不揃いが耳につかないといったら嘘になります。

けれど、この演奏には明らかに「特別」なものです。シベリウスと同じフィンランド出身のベルグルンドが、同じく地元ヘルシンキ響と共に、まだ限られた聴衆のものだったシベリウスの音楽を世に広めるべく「世界一のシベリウスにしようぜ」という意気・自負が感じられる演奏です。

ヘルシンキ響も実にのびのびと自発的な演奏を繰り広げているように感じます。なぜなら、「表現を押しつけられた感」がまるでないからです。あまりに自然です。あまりこういう言い方は好まないのですが、やはり地元のオーケストラならではと言いたくなってしまいます。ベルグルンドさんはただ「それでいい」と無言で頷いたでしょう。

この演奏で決定的評価を得たベルグルンドは「再録音」する機会も得られたのでしょうが、もう「与えられた機会」であることからしてテンションが違い過ぎるのです。

これは、ひとつの「奇跡」の記録だと思います。

ドラマ面白いですね。特に玉木宏さんの熱演が印象に残ります。

しかし、CD店はあまりその恩恵にあずかれていません。今日も「春」の問い合わせ来るかな、なんて思いましたが、一件もなし。視聴率はどうだったんだろう。

なかなか考えられた音楽の使われ方をしている時もありますが、サントラ的に同じ曲が使われ過ぎているのが残念です。たとえば、リムスキーよりもっと描写的な、レスピーギやムソグルスキーやホルストなどは、使いようによっては場面により彩りを与え得ると思うのですが。

昼ドラでふんだんにクラシックが使われているのがあったけど、これはかなりすごかった。危機迫る場面にブラームスの交響曲第四番の四楽章とかが使われていたり。下衆な昼ドラがものすごい格調高いものに見えた。

いわゆる描写音楽ではない絶対音楽を、効果音的に挿入するのは、ものすごい創造的な仕事だと思います。そういう「印象の残らせ方」を試みた方が、より深くクラシックの音楽の素晴らしさが伝わると思うのですが。

のだめ、次も楽しみです。

昨日のライブには土井ちゃんが来てくれました。

私も彼女もとても今の境遇が似ていて、離職のゴタゴタなどは今となっては楽しく、いろいろ話が弾みました。

多分、自分がここ一週間の会話量は話したと思います。

前はこうじゃなかった。週に一回は飲み会があって、雑談・猥談。仕事中は上司から内線で呼ばれ、営業さんと商談ときに笑談。レジは列が途切れる間はなく、変な客に一時間付き合い、その話でまたみなで盛り上がる。

なぜ人は喋るのでしょう?多分それはコミュニケーションするため。ではなぜ人はコミュニケーションするのでしょう。多分それは、より多くの事柄を知りたいから。

コミュニケーションにも発信と受信があるわけで、受信側の「聞く」のもコミュニケーションの一つなわけです。

今私が必要なのは「受信」です。いろいろなものが見えて来ます。

先日のブログで「香水があまり好きではない。何故から、その人のパーソナリティに余計な色付けをしてしまうからだ」と書いた。
http://blog.m.livedoor.jp/beans_man/c.cgi?sss=stseugroodevil&id=50572813

確かそんな内容だった気がする。今日はその続き。

違うな、そうじゃないんだと思う。嗅覚というのは記憶を呼び覚ます大事な器官だけど、香水はそこにイージーに入り込んで来ようとする。それに嫌悪感を覚えるのかもしれない。

私は香水をつけた女性を察知すると、好きな匂いかそうでないか判断する以前に、0.01秒ほどイラッとする。ほんの一瞬だけど、確かにこの気持ちはある。たぶん男はみんなそう(な気がする)

そして「その香りがあなたのトレードマークね」と頭がインプットする。

しかし後日、雨の日に濡れた子犬に蹴りを入れている女性(こればっか)が、その人と同じ香水を付けていたとしたら、私の純真なハートは混乱し傷ついてしまう。あぁ、あの人が濡れた子犬に蹴りいれてるよ、と勘違いしてしまう。

それほど、嗅覚の記憶というのは強力なのだ。

嗅覚ぐらいはニュートラルな状態にしておいてくれよ、というのがしがない男のささやかな願いである。


本日も八つ墓村より更新です。うらめしや、じゃなくてこんばんは。

私は今まで働いていた職場を辞め、とあるCDショップに勤めています。

そこにはピアノも商品として置いてあります。御想像のとおり、小さい子がいたずらで弾いて来ます。なかなか武満も青くなる興味深い演奏を繰り広げる幼児もいますが、そちらの方はまた日を改めて。

先日、非常に耳をそばだてる子供の演奏がありましたので記したいと思います。

一人目は男か女か判断がつかない感じの子で。左手の跳躍を伴った練習曲を、それはそれは軽快に弾きました。思わず私はスイングさせられました。いや、本当に正確には、自分の体が突然スイングし出したので、驚いて目を上げるとそこで彼(女)が演奏をしていた、というのが事実に近いです。本当です。実に大したものです。やや小憎らしいです。彼(女)はその十八番を様々なピアノで試して、音の変化を楽しんでいるようでした。

さて、もう一人の子は確実に女の子で、「天空の城ラピュタ」と「となりのトトロ」のメロディを飽きもせず繰り返し弾いていました。弾く、というか、メロディを思い出しながら叩いている、というのが正しい言い方でしょう。しかも、左手で弾いているのです。明らかに「習って」はいないようです。最終的には最後までたどり着けず、名残惜しそうにその場を去って行きました。

何が言いたいか分かるって?いやいや、何も言いたくなんかありません。ただそんな事があったよ、という他愛も無い話です。

ただ、音楽を「そこにあるもの」とするのと「探り出すもの」との違いはあると思います。「認識」と「解釈」の違いとも言えそうです。そして「作曲」の素養があるのは後者の方じゃないかなと思ったりします。

個人的には、自力で「となりの“トロレ”」くらいまでは持っていった、後者の女の子を応援したい気持ちです。

今日も真っ暗から更新です。

最近ブラームスを聞いてないなぁ。4番があんなに好きだったのに。

大学生のころは、クライバーの演奏に目茶苦茶シビレ節でした。特に一楽章の苦い音色の表出には「こうでなくっちゃ!」と思ったものです。正規盤ではないんだけど、バイエルン交響楽団のもあってそれも好きでした。ウィーン盤ほどオケが付いてこないから、逆にクライバーのやりたいことが良く分かるという、ファンにはたまらない録音です。

そして、クライバーの演奏には「生気」が感じられたものです。明日へのガッツがもらえるような演奏でした。

しかし、徐々に「これは本当のブラームス像ではないぞ」と気付く事になりました。

宇野功芳さんが勧めるザンデルリンク盤を聞いた時、その思いは確信に。ブラームスはガッツのガの字も私には与える気はないのだという事に気付きました、遅ればせながら。

たしかに、クライバー盤はどこかに無理があります。「ドーピング・ブラームス」という気がします。でも、ジジイの戯言みたいなザンデルリンクよりは、はっきりもの言うクライバーを私は支持したい。

でも、ザンデルリンク盤を聞いてから、だんだんブラームスを聞かなくなった気がするのです。

まあ。まだ若いからね。

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