アルバムを作ってます。

今日、機材チェックを含めて、録音してみました。

うーん。

私は、ノイマンのまぁまぁのコンデンサーを使ってますが、これとつくづく相性が悪いなと思ってました。天瀬さんの声とかはすごくきれいに録るんですけど、僕の声は全然ダメ。すっかすかになる。

ボイトレも始めたし、ちょっとはましになったかなと思ったんですが、本当にダメ、全然ダメ。特にミドル。

僕の声は、そんなに変なのか??なぜ、一般にいいものを使ってもよく録れないのだ?

いちばん、自分の声の弱いところを、抜けてしまうところを、すごく拾ってくる。たたき割りたくなるくらい腹が立つ。録音された音も、ガッツがない。低音がないわけじゃないんだけど。

で、最近、デモでよく使ってるダイナミックマイクのSM57で取り直してみると、ふくよかで、つややかで、いい感じなんだよね。

ここで、導かれる仮説はいくつもあって。

.灰鵐妊鵐汽泪ぅは、そもそも宅禄に向いてない(近づいて歌うので、空気が録れてない、もう少離れて歌っても大丈夫な環境が必要なのではないか)【反論→じゃあ天瀬さんはなんだ?】
▲灰鵐妊鵐汽泪ぅというものと、自分の声の相性が悪い【反論→コンデンサは2つしか試してない】
このコンデンサマイクと、たまたま相性が悪い【反論→データ不足】
ぅ瀬ぅ淵潺奪マイクでレコーディングするんだったら、本当にSM57がベストなのか【反論→データ不足】
ト声がまだまだなのだ【反論→別のマイクを試してからではないとわからない】

よって、コンデンサマイクをダイナミックマイクを一本ずつ新調してみて、どれが正しいか検証してゆかなくてはならない。そして自分の声に合ったマイクが見つかればナオのこと良い。

金がかかるものである。

(今、それぞれに聞きなおしてみると、ノイマンの方も、悪くないような気がしてきた…。クリアで、ピアノからふわっと浮いてくる。SM57は、なじんでくる感じ。どっちがいい、というものではないのかもな)

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家計簿を今年の3月から家計簿をつけていたが。

7月の旅行、8月に肺炎にかかってから、それどころではなく、どーでもよくなってしまった。

まず、なんで家計簿をつけていたのか。

家計簿をつけて何をしたかったのか。

それは、お金を貯めたいからだったと思う。

そのためには、お金を何に使ったかというのを明確にしておく必要があると思ったのだ。

分かったこと。

家計簿をつけるだけではお金を貯めることはできないということ。

お金を貯めるには、節約すること、がいちばん大事だ。

で、節約するためには、僕の場合は「物欲に負けないこと」ということがいちばん。

その次は「外食をしないこと」ということがにばん。

それが、家計簿をつけてよくわかったことだ。

物欲に負けない、という部分に関しては、少し改善されてきたように思う。

で、外食をしないことも、だんだんと改善されてきたと思う。

結局、自分の精神との戦いだ。

そして、使うときは、ぱーーーっと豪快に使っちゃう。これも大事かな(笑)。

とにかく、家計簿はおしまいにしよう。

めんどくさい。


肺炎になりました。

風邪だと思って、医者に風邪薬をもらっても、全然良くならず、去年の記録を超えて、39.5度という高熱をたたき出して、これでは死んでしまうと、救急外来に駆け込みました。

結果は、マイコプラズマ肺炎。若い人しかかからないらしいから、まぁ、おれ若いんだなと。

でも、同時に、血液検査で、肝臓がおかしいことを指摘される。去年にも指摘され、でも、風邪を引いたからかなぁとずーっと放置していたものだ。

それも熱に影響しているかもしれないよ、と言われ、腹部エコーも、まだぼーっとする状態で受けに行く。

10日くらいで、まぁ、なんとか普通に暮らせるようになった。

で、まだ、早いかなと思ったけれど、ボイトレのレッスンの日だったので、行ってみた。「リハビリ的な感じでお願いします」と先生に言った。

基礎練習をしながら、「あぁ声出てないな」と実感する。しかし先生は違う感想を持ったようで、「今日はとても安定しているよ」と。「とてもよく響いてる」「それくらいの息の量でいいんだよ」と。

そっか、そうなのかぁ。と思う。

どうしても、自分は「でかいことはいいことだ」の価値観がぬぐえず、もっとでかく、もっと大きく、と無意識に考えてしまうところがある。

この、無意識というのは、本当に曲者で、例えば、ピアノを弾きながら歌っていたり、緊張していたり、作業タスクが上がってくると、普段意識できることも意識できなくなってしまう。弾き語りの難しいところだ。

結局、レッスンというのは、技術を上げることももちろんだが、無意識の変革というところも大きいのではないかと思う次第だ。

とにもかくにも、「そっか、これくらいでいいんだ」ということが分かっただけでも、肺炎になって良かったと言えることなのかもしれない。

後は肝臓。何ともなかったら、快気祝いで、倒れるくらい呑もう(笑)。それまで我慢。


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僕は大瀧詠一師匠から卒業した。

あたりまえながら、学ぶべきところはきっとまだまだたくさんある。

しかし、在籍期間は限られているもの。

いつかは否応なく追い出されてしまうのだ。

追い出されてゆくべきものなのだ。



尾崎豊は「この支配からの卒業」と歌った。

それは、在籍期間からの脱却であって、

実は、卒業は2回あるのでる。

人は2度死ぬように。

もう1つの卒業は、潜在的な支配からの卒業なのである。

かんたんに言えば、俗世からの卒業なのではないか?

俗世的なモラルから自由になるとき、

本当の卒業なのではないか。

もちろん、ルールを守らない、という意味ではない。

そこから自由になるということだ。

それを、僕の筆力で説明する頃は、少し難しいのだが。頑張ってみると。

例えば、ごみの分別をするときに、

「これはプラスチックだから、リサイクルごみ」

と考えるのではなく、

「プラスチックは再生可能だから、リサイクルごみなんだな」

と逆にあたりまえに考える。

同じようで、全然違う。

再生できるものは、どんなものなのか?

そして、再生できるのに、燃えるゴミにルールによって分別されてしまっている資源がある、

しかし、そのルールに疑問を抱きながら、平和そうな顔をしている、

それが、精神的な自由なのだ。

これが芸術だともっと簡単だ。

だから、芸術家は芸術を求める。



自由になることはむつかしい。

心がリミッターを掛けるからだ。

しかし、自由は酸素のように実はどこにでもある。

そのリミッターを少しずつ、しかもモラル以上に、

かんたん(といってもむつかしいが)に外してゆけるのが

芸術であり、

自由になる過程を、きっと鑑賞者は感じながら、

同調してゆけるから、芸術は不滅なのだろう。



まだまだ、がんじがらめの僕だが、

少しずつ、外してゆこう。そして、それはきっと受け入れられるはず。

本当は、みんながそれを求めている。

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七夕だった。

去年の七夕は何をしていたんだろう。

そんなことを思っては少しむねがくるしくなる。

そんな気持ちを人生の先輩とすこし共有することができてよかった。

しばらく、イベントっぽい日が来ると過去を振り返ってしまうことが続くのかもしれない。

そして、それを何サイクルか繰り返せば、少しずつ忘れてゆくのかもしれない。

無意識は無慈悲に、リアルな夢を見させたりしてくるけど。

目が覚めて、それはそれでしあわせじゃん、とか、夢に返したりするけど、

そのうち、そのうち、夢にも見なくなって、

少しずつ、少しずつ、忘れてゆければいいのかもしれない。

それとは別に、

僕は僕で、新しい方向へ、歩んでいけるように、

着々と準備していて、

少しずつ、少しずつ、自分を取り戻してゆけるように、

まずは、ペットボトルをちゃんと分別しようと、

燃えるゴミに入れてもいいんだけど、

やっぱり後ろめたくて、地球を汚している気がして、

ペットボトル用のゴミ袋をもう一つかけられるように、フックを一つ。

後ろめたいと思うことはもうやめよう。

ヒミツはいい。

後ろめたいヒミツと、

後ろめたくないヒミツがある。

後ろめたいヒミツは自分を傷つける。

後ろめたくないヒミツは未来に繋ぐためのもの。

自分をいじめるのはもうやめよう。

自傷に敏感になってゆこう。

自分にいいことをたくさんしてゆこう。

セルフネグレクト、学生に最近教わった言葉だ。

セルフネグレクトをやめよう、やめてください。

自分を愛せて、その次に、他人が愛せる。

そして、他人からの愛が受け入れられるようになる。

自分を愛してください。


今年の七夕のようになるとは、去年からはまったく想像していなくて。

来年の七夕はどうなっているだろう。

なんかやっているんじゃないのかな?

それがライブだったらいいな。

SH3J0455
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いま火事ですべてが燃えたとしても。

僕はまったく困らないだろう。

火事になった時、何を真っ先に持ち出すか。

それが、あなたの一番必要なもの、と言われるけれど、

僕は、きっと何にも持ち出さない。

自分の命以外思いつかない。

服を羽織って、靴を履いて脱出するだけだ。




本やCDを失っても、

大切な思い出を失っても

ましてや、作ってきた音楽を失っても

何せ自分という人間が生きている。

それだけで、僕は満足だ。




自分の作った音楽は、自分の命より大切?

そんなこと誰が言ったのだ?

自分が生きていることの方が大切だろう。

自分がいれば、また、自分の音楽は作れるのだ。

第一、芸術なんて、つくってしまったら、

そこでもうすべてが終わっているのだ。

出来上がった音楽は、いうなれば、もう死んでいるのだ。

ハードディスク上の死骸が火葬される、

ある意味供養されるかもしれないね。




本当の芸術家は、

その人自身が作品なのだ。

作品は生き方の反映に過ぎない。

だから、作品を生み出さない芸術家が、

本当は一番すごい人たちなのだ思う。

僕は、そこまですごくないので、

今日もせっせとピアノを弾いて、作品を作る。

以上。


ただ、金を失うのは少し困る。

せめて、最小限生活が開始できるだけの蓄えは必要だ。

かっこ悪いが、それは事実です、はい。

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