音楽家 伊藤龍太 頭ん中

いろいろ、書いたり、作ったり、歌ったり

コロナの一連の動向を見ていると、

(休業要請に応じない、3密を避けろと言われたら鎌倉に行っちゃう、ランニングでもマスクをしたほうがいいという報道が流れると、一人でのランニングでもマスクしはじめる、など)

まるで、出来の悪い学校で、出来の悪い教師と出来の悪い学生のやり取りを見ているよう。

本当に学校は社会の縮図なのだなと。

バブルとゆとりで作り上がった日本国民がこれです。



Amazonでフラゲして聞きました。

感想は、あくまで「大滝詠一師匠に思いをはせる一枚」といったところだと思います。

実際に、「恋するふたり」などを久しぶりに聞いて、発売当時(2003年)は盛り上がったなぁということを思い出したりしました。

当時は、スマホなんてものはなく、インターネットを十分に使うには、パソコンを使うしかなかった。

今、掃いて捨るほどある(捨てたい)、ニュースサイトや、トレンドブログといった検索を妨げるものもなく、すぐに個人が運営する熱心なサイトに容易にたどり着くことができた。

新曲は「春立ちぬ」だと噂が立った時に、その歌詞とコード進行とジャケットをも載せてるサイトがあって、「いったいどこから仕入れたのか」といって話題となった。フェイクじゃないかといううわさもあった。

発売されると、タイトルは「恋するふたり」となっており、ジャケットはフェイクだったけれど、歌詞とコード進行はほぼほぼ正確だった。ますます謎は深まるばかりだった。

このように、サイトの記事の更新を知らせる機能もなかったけれど、内容のある記事を書けば、きちんと読まれ反応が生まれていた。そのなかでは、なんとなく仲間意識みたいなものも芽生えていた。

のんびりしてた。結局、今から振り返ると、過去は結局「のんびりした時代だった」と表現されるものになるのかもしれない。

MP3の普及を描いたドキュメント「誰が音楽をタダにした?」も同じような印象を受けた。ハイテクだけれど、今から見ると「のんびり」で「のどか」なものだ。

結局、音楽もネットも「大衆」に席巻され、内容として浅いものが好まれ、探され、本当のいいものが探されなくなり、ひいては生まれにくい時代となってしまった。悲しい。

大滝詠一師匠のこの新譜が特集されたレコードコレクターズ誌が酷評されているのをみると、そういう人たちが消費の大部分をになう時代になったんだなと思う。本物を求めない時代。浅いものを求める時代。分かるものしか手を出さない時代。

だからこそ、大滝詠一氏の新譜にお布施をするのを私は忘れないだろう。

ちなみに、大滝詠一氏の音楽に初めて接する人は、もちろん、これは買ってはいけません。これは、毎年3月21日に行われる信者によるお布施なのです。

内容に関して。

そろそろ、こういった音源は「打ち止め」かなぁと思う。もうほとんど残ってないのではないかと思います。リミックスもまぁいいけれど、やっぱり、ファンとしては、未発表のものを聞きたい。ナイアガラ・フォール・オブ・サウンド・オーケストラによるインストも、うれしいけれど、やっぱり歌が聴きたい。「ナイアガラ慕情」は、「恋するふたり」が使われたドラマ「東京ラブシネマ」の挿入歌として使われていたとは知らなかった。単なる仮歌のように聞こえるけれど、こういった音源らしいですね。「Happy Endではじめよう」のバカラックバージョンは歌詞が違って面白い。「恋するふたり」の姉妹作みたいな「So Lomg」は、少しボーカルの音程があぶないものもある。これは、本テイクではないのかも。

Disc2は、TVで使われたバージョンがいくつか入ってて、「幸せな結末」のオープニングで使われたカスタネットがでっかいバージョンなどは、インタビューで話されていたものだったので、興味深いものだった。

Amazon特典のでかジャケは神棚へ。

広告が1枚入ってた。

2021年3月21日「A LONG VACATION 40th Anniversary Edition」

「30th」を買ったのは、ちょうど、東北大震災の真っただ中だった。もう10年たつんだね。これもお布施(購入)しなくちゃね。そして「GO GO NIAGARA」の全アーカイブの発売を祈ろう。


大分進行はのんびりしてるけれど、ぼちぼち進めています。

録音は終わってるんですけど、編集に割く時間がなく、でも今日はかなり進められた。

でも、ふと思う。スネアの音にリバーブかけて、ゲートかけて、コンプかけて、聞き映えのいい音を作るとか、これって音楽してることになるのかな、と。

しかし、そういうところから、解放させられるだけの、精神の強さは持ち合わせていない。まずは、これだけできますよ、というところを残したい。これだけできた、ということろでの反応を見てみたい。

そして、少しずつ、本当にやりたいことに近づいてゆこう。

きれいな音とか、聞きごたえのある音圧とか、本当は、どーでもいいことなのだ。


コテンコテン流 クラシック超入門
砂川 しげひさ
東京書籍(株)
2000-08-09


代表作は『寄らば斬るド』『おんな武蔵』の他、1996年から2003年まで朝日新聞夕刊に連載された4コマ漫画『Mr.ボォ』→『ワガハイ』など。漫画のほか、造詣が深いクラシック音楽に関するイラストつきエッセイや、絵本を多く執筆している。

2019年3月6日、うっ血性心不全のため死去。77歳だった。

クラシック音楽が好きになって、でも、周りにはそんな仲間は誰一人としておらず、孤独だった高校生時代(いや、今もだけどね)。

もしも、もっと若い時、クラシック仲間が周りにいたのなら、砂川さんの著作を読んでるときに感じるような、楽しさ、幸せさが共有できたのかもしれない。

もう40歳だし、そんな友達は、たぶん死ぬまで出来そうもない。だからこそ、砂川さんの著作はさらに心のひだに触れてくる、輝き続ける。

吉田秀和なんかでは、どうも、だめだ(自分は、まだ、足りない、そんな孤独感を強めるだけなのかしらん)。

砂川さんの著作に、あたまにきたり、鼻で笑ったりするのは、学者かスノッブ、そして、学者かスノッブになりたい人だけ。そして残念ながら、そういう人が大多数を占めていることがナゲカワシイ。

本当に、大衆の言葉で、大衆に向けてクラシック語れた、スゴイヒト。

砂川しげひささんに幸あれ!


まんがんでんちまん は 怒る
「さいきんの 若い でんちどもは、じゅうでん とかいう ふざけた きのうを とうさいしている。しんでも また よみがえられる から こうじょうしん というものが そだたない」

まんがんでんちまん は さけぶ
「ふつう でんちは しぬんだ。わたしは これから しんでやる。しんでやるんだ」

ほかの わかい でんち が あつまる
「まんがんじいさんが なんか いっているな」
「あつい ひ が つづいて いるからね」
「もう しんだ ような ものじゃないか」

と さまざまに あざわらい ほとんど むししているようでした が はんぶんは ほんとうは なにかが おきるのではないか と きたいして みていたのでした。

しかし まんがんでんちまん は なかなか しにません。
「そろそろ しぬぞ」
「もうすこしで しぬぞ」
「まもなく しぬぞ」
わかい でんち は だんだんと あきてきまして、
ひとりさり ふたりさり、そして しまいには だれもいなくなってしまいました。

「お そろそろ しねそうだ。きてみろ わかいしゅう。おーーーい。わたしは そろそろ しぬぞ」

しかし だれもきません。

まんがんでんちまん は くやしがりました。

きっと うそつきしょうねんのように、じぶんが「しぬぞしぬぞ」と いいすぎて、まわりが しんよう しなくなって しまったのではないか と おもっていました。

けれど じっさいには そうでは ありません、まんがんでんちまん の こえは、ありんこ も ききとれないくらい ちいさい ものに なって いたからです。

まんがん でんちまん は おもいました

「しぬぞ しぬぞ と 言いつづけて 終わってゆく じぶんの じんせい って なんだろう。まわり に だれも いない こどくな じょうたい で しんで ゆく じぶん って いったい なん だろう」

まんがんでんちまん は いきを ひきとりました。ころがっている きんぞく の くずを、ごみぎょうしゃ が かいしゅう して ゆきました。

おしまい。

レコーディングは終わってるんだけど、

編集に思いのほか時間がかかり、

今年中に出したかったんだけどね、少し無理みたい。

家庭が思った以上に騒々しくなってきてしまったせいも多分に大きく(笑)。





この歳になればなるほど、まだまだ、表現したいものに自分が届いていないのをひしひしと感じます。

そして、そのくせに、もっと大きなものを伝えたい思いも出てきている。

たぶん、死ぬまでに、そこに、届くか、届かないか。

そうやって歳を重ねてゆける自分は、とても幸せなんだと思います。





今年もありがとうございました。よいお年を。


hotshot

終わりましたー。

心は緊張していないつもりも、終演後に胃がキリキリと痛み、
本日の仕事に支障が出ました。

この痛みは懐かしい。
note'n notesというグループを組んでいた時の、
四谷天窓の初ライブ、終わった後に、かがむほど胃が痛くなった。
心は大丈夫なつもりなんだけどね。

ほんと、無自覚の病気には気を付けよう(そこ?)。

みんな、いつものようにかっこよくて、
自分も、もっとかっこよくならなければ、と思います。

写真は、黄昏のビギンの演奏のシーンです。
ベーシックなアレンジを進言させていただいた思い出のある曲となりました。

このライブを最後に、死んでもいいワを去ることとなりました。
貴重な体験をさせていただいて、本当にメンバーの方々には感謝しています。

このバンドで得た経験をもとに、
私も、ソロを頑張っていこうと思います。
そして、今度は、自分のバンドを持ってみたいとも思います。

今年もあと半分おわりました、頑張っていきまっしょい!!




NIAGARA CONCERT '83(通常盤)
大滝 詠一
SMR
2019-03-21


大滝詠一、とてつもなく巨大なアーティスト、

100人が語ると100通りの大滝詠一像が浮かび上がる。

そして、語り手の力量もあぶりだされてしまう、こわーいアーティスト。

さて、このページをご覧になってる方は、もう、このアルバムについての説明は不要だろう。

でも、とりあえず書く(なんだそれ)。

大滝詠一作品で、初めての、純粋なライブ作品。

これをどうとるか。

あなたは期待するか?

僕は、正直、期待しなかった。

お叱りを承知の上に書こう。

大滝詠一のボーカルのファンがたくさんいるのは知っている。

しかし、僕にとって、大瀧詠一とは、プロデューサーであり、作曲家であり、編曲家であり、勉強家であり(笑)、ニヒリストであり、ミステリーであり、楽天家であり。

「ボーカル」は「余技」と思っていた。

自分の中の順位としては、だいぶ下。

ブライアン・ウィルソンのボーカルに期待しないのと同じ理由である。

だから、繰り返す必要はないが、繰り返すと(なんだ?)、このアルバムは期待しなかった。

しかし、聞いてみて・・・

すばらしかった。



このアルバムの個人的な聞きどころは、この二つと思う。

    1. ゴージャスなナイアガラサウンドが、ライブでどのようにアレンジされるのか?
    2. どのように大滝詠一は歌うのか?
1.ナイアガラサウンドが、ライブでどのようにアレンジされるのか?

ライブにおいて、ゴージャスで、繊細で、透明な、ナイアガラサウンドを再現するのは不可能である。

ウィーン・フィルがムジークフェラインザールとセットとなっているように、ナイアガラ・サウンドはミキサーの中にしかいられない。

・それが人数制約のあるライブではどうなるのか。

・バランスのとりにくいライブではどうなるのか

(バランスがとりにくいからこそ、氏はライブが好きじゃなく、ヘッドフォンコンサートという荒業で、バランスまで支配しようとしたのではないか?と僕は思います)。

つまり、ライブで再現した音(残した音)こそが、ナイアガラサウンドの一番重要な骨格なのではないか、と思ったのである。

結果、人数が減っても、ナイアガラはナイアガラであった、ということだ。

大滝さんのアレンジは、基本的には、ヘッドアレンジであると思っていたが、ライブ音源を聞いて、細部まで、「キメ」ていることがよくわかった。そして、その「キメ」があると、「ナイアガラ」っぽさを増すのだ。

「雨のウェンズディ」でギターソロがまるまるコピーであるのに、驚いた。大体は、ライブではアドリブに任せるのが普通だと思うのだが。しかし、オリジナルにはないオルガンが入ったりもする。

レコーディングでは、もしかしたら、ヘッドアレンジで、それで「キマ」ったものは、もう崩さない、というのが、実際に近いのかもしれないと思う。どこかの本に、大滝さんのアレンジは基本ヘッドアレンジだった、みたいな文章を読んだ記憶があるのだが、間違いかもしれない。

しかし、大きく、アレンジを変えている曲もあり、まずは、冒頭のインストの5曲(長い!!)、Niagara Song Bookのアレンジと少し違っているようだ、たぶんね。

(余談ですが、この5曲は、大滝さんの歌を聞くには、飛ばして聴いてもいいが、これを込みで聞くと、大滝さんの登場をじらされたであろう、当時の聴衆の気持ちになれ、臨場感がさらに味わえますヨ)

そして、「FUN×4」は、アレンジをシュガーベイブの「SUGAR」のような、ちょっと遊びも入れ、終わり感を強調。そして、ラストの「君は天然色」は、キーを下げて、それでもさすがにキーの高い曲なので、大滝さんは辛そう。あくまでアンコール的な扱いか。

まとめ、である。

スタジオ録音の、ち密さ、派手さ、繊細さ、迫力、には全然及ばないのだけれど、実は、その「キメ」に我々は酔っていたのだということに、気付かされることになる。つまりは、アレンジの巧みさである。

耳を澄ますと、パーカッションも、キチっと制御されているのに気づくだろう。そして、その、パーカッションの「キメ」で、濃厚なナイアガラを感じるに違いない。

フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンドから派生した、ナイアガラ・サウンドであるとは思う。

しかし、私は思うのだが、ウォール・オブ・サウンドは、フィル・スペクターによる、ひと時代、いやふた時代前のオーケストラの独裁指揮者のような、異常なテンション、集団の力動が実は一番必要なものなのではないか。ジャック・ニッチェのアレンジだけでは、ウォール・オブ・サウンドにならないのだ。

しかし、ナイアガラ・サウンドとは、もっと、おおらかで、開放的であり、民主的で、そして、そこでの、民主的な最良の結果を「キメ」たものが、ナイアガラ・サウンド、なのではないかということ。

音の厚み、美しさ、冷涼さ、などに、酔っているようで、実は、その「キメ」に私たちはトキメイていたのではないか。

骨格だけ残した、ライブ録音で、こんなに胸をワクワクさせるということは、もう、それしかないのである。

次。

2.どのように大滝詠一は歌うのか?

に関しては、また後日、ここに書き足す。今日はもう寝る。


おまけ、予想しなかったうれしいこと。

・ヘッドフォンで聞くと、音がキレイーーーーーー✨ ライブはヘッドフォンで聞くとがっかり、というものが多いけど、これはキレイだ!また別の楽しみ方が出来ますよ。


・・・・・・・以上、1枚目でコレである。

2枚目だが、これを語る資格を私は持たなそうなので、割愛。失礼!


休みの日にコツコツと歌入れを続け、

やっと、メインボーカルを全部取り終えた!!やっほーー!!

細かい直しとかあると思うけれど、とりあえずひと段落。

休みの日と言っても、日曜は奥様がいるので、出来ないし、

出来るのは平日の休みに限られている(貴重なのだ)。

しかしまるまる時間が空いているわけじゃない。

午前中は、洗濯や食器洗いや掃除などに追われている。

いつもは、午後から準備練習を初めて、歌い出すのだけれど、

今日は午前中、家事をしながらやってみようかと。

そのほうが時間の節約になるし。

練習のメニューで、「鼻歌」で音階練習というのがあるのだけれど、

これが、とてもキツイ。

しかし、皿洗いしながらこれをやってみたら、全然楽なのだ。

練習だ、と意気込むと、変に力みが出てしまうのかもしれない。

マイクテストをして、あまり自分では感じなかったけど、マイクのノリはよい。

練習で、良いコンディションが作りあがった。

そして、ご飯を食べ、午後から歌入れ。2曲入れることができた。

あとは、オケの編曲の完成と、ジャケット制作である。

待っててくださいね。

その前に5月25日に、僕が参加しているバンド、「死んでもいいワ」のライブがあるので、それもぜひ来てね!

↓これは1st
RI:Cycle(リ・サイクル)
いとうりょうた
伊藤音楽研究所
2016-01-30


2ndソロアルバムのボーカルトラックを録音中です。

仕事が休みの時にちょいちょいやってます。

かなりパワーアップした姿をお見せできると思います。

8月には発売できると思います。

楽しみに待っていてください。


1st ソロ
RI:Cycle(リ・サイクル)
いとうりょうた
伊藤音楽研究所
2016-01-30


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