庶民派 音楽家 伊藤龍太

いろいろ、書いたり、作ったり、歌ったり

「うまんちゅ広場」を後にすると、徐々に雲行きが悪くなり、最低速でワイパーをかけたが、すぐにそれでは間に合わないくらいの雨となった。

ホテルのチェックインには、まだ時間がある。雨になってきたので、ドライブでキレイな海を見ることもできず、特にすることも思いつかない。

沖縄滞在中に必ず一度は訪れようと思っていたところに「ひめゆり平和祈念資料館」があった。しかし、初日から行くのは気が重かった。それなりに覚悟が必要だと思うからだ。

しかし、別に後伸ばしにして、その気の重さがなくなるかというと、そういうものでもないだろうと。もう行ってしまおう、ということになった。

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【URL】http://www.himeyuri.or.jp/JP/top.html


無料駐車場というところに止めるが、そこに隣接する土産屋さんの店員が寄ってきて、帰りにここで買い物しなさい、と割引券をおしつけてくる。儲かってないのかな、こうやってひめゆりにあやかって、商売してるのかな、と、なんだかいきなり物悲しい気分にさせてくれる。

我々は傘を持ってなかったので、やけに広いが客一人いない店内に入り、傘をそれで購入しようとするが、傘は対象外だと言う。さらにもの悲しさが増す。

仕方ないので定価で買うが、外に出た瞬間にすぐに骨が折れた。台風が通る国が作る傘としてあんまりだと思った。我々は、それら折れやすい傘を「島傘」と名付けることにした(のちに、沖縄県人は、あまり傘をささないということを知ることになる)。

さて、話が初めから脱線していた。

ひめゆり平和祈念館について簡単に説明すると。

第二次大戦の、沖縄戦末期に、沖縄陸軍病院第三外科に看護要員として従軍した、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒を悼んで建てられた「ひめゆりの塔」のそばに建てられた歴史資料館・・・と言うかんじだろうか。

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写真を撮り忘れた(雨で撮れない)ので、この写真はパブリックドメインのものを使っているが、この日は、天候のせいもあっただろうが、資料館に至る歩道や実際に見るひめゆりの塔は、非常に暗く重苦しい雰囲気を感じた。

中に入ってしまうと、明るくて、とてもきれいで、整然した博物館のように感じる。「奥には、竹久夢二の屛風絵があるよ」と言われたらコロッと信じてしまえそうな雰囲気だ。

展示室に入ると、沖縄戦の年表や、亡くなった方の遺影や、所持品などがつつましく展示されている普通の記念館といった感じだ。少なくとも、ある一定の方向へ印象操作してゆこうという意図は感じられない。

戦火の中で残された遺品は、それこそたくさんあるだるう。それを山のように展示し、こちらに戦争の恐怖を感じさせることは可能だ。でも、それは、与えられる一方的なコミュニケーションである。

大事なのは、こちらから、内側に歩み寄ってゆく姿勢だ。

普通に歩けば、5分で歩き終わってしまうところを、「見逃さぬよう」に、みな、残された遺品や文章から、最大限の情報や感情を引き出そうとしているようだった。

展示室の中盤あたりに、丸いホールのようなものがあり、長椅子がいくつか置いてある。そして、真ん中にスクリーンがあり、そこに「ひめゆり学徒隊」として従軍していた生存者の方々のコメントが流されていた。インターバルに、沖縄戦の白黒(少しカラー)映像が流され、それはあたりまえに「残酷」なものであった。

沖縄の美しい自然や海をバックにした、元「ひめゆり学徒隊」のコメントは、とても、とても、とても、控えめなものだ。言いたいことはたくさんあるけれど・・・と言った風に、彼女らは、言葉少なく、カメラから遠くへ視線を外す。

この辺りのつつましさも、この資料館のポリシーなのだろう、、、と最初は思った。

たしかに、一つ一つのコメントは、とても控えめなのだが、しかし・・・その映像はなかなか終わることはなかった。

映像は必ずループするはずと思われ、それを待ち、しばらく見続けたが、30分ほどたっても、なかなかループしない。情報が短時間の滞在では消化しきれないほど多くなっているのだ。

いや、正確にはそれは、情報というものではないかもしれない。費やされるのは「時間」である。「ひめゆり学徒隊」のことを実際に考えているその「時間」をなるべく多くすること、この資料館が来館者に求めているこのなのかもしれない。

我々も、そこまで長いが出来ない。なので、途中で席を立った。

ただ、この資料館の本当のすごさは、最後にあった。

伊原第三外科壕内部を再現したジオラマをみて(こんなところで看護活動ができるのか?)そろそろ終盤かな、と思い、次の部屋につながる細い廊下に入った。


すると、突然雰囲気が変わる。廊下の壁面にはびっしり、戦争で犠牲になった学徒隊の白黒の顔写真(もちろんないものもあり、それは黒塗り)と本名と学年が記載されている。

ここまでの白黒の学童の写真が並んだ光景を見ることとなるとは、心構えできておらず、正直に言っと「不気味だ」だった。

しかし、目を背けることもできない。だって、彼ら、彼女らを悼むために来たんだろ。私は、ものすごい迫力に負けずに、一人一人の顔を見たり、沖縄らしい苗字を見つけたりして、少しずつ進んで行く(探そうと思えば、先ほどの映像で語られていた、戦火で亡くなった友達を探すことだってできるし、実際できた)。

すると、また突然雰囲気が変わる。照明や壁が真っ白になる。まるで天国にいるような感じ。遠くで、讃美歌のようなものが聞こえる。その急激な色彩の変化に、少し頭がくらくらする。

広い部屋の中で、何十本も斜めに切り取られた記念碑のようなものが立っている。よく見ると、その上には大きな本のようなものが載っている。それは、戦争後に書かれた、学徒隊たちの手記であった。ほかにもたくさんの読み物がある。

その量の多いこと。まさに「資料館」である。とてもじゃないが3日くらいかけて来館しないと読み切ることはできないほどだと思われる。いや、足りないかもしれない。

そう、ここでも「時間」を来館者に要求しているのだ。

その一つを読んでみる。軍人の看護をしていたが、戦争の後半は、麻酔すらなくなり、麻酔なしで手術をして、でも「痛くありません!」と我慢していた、といった話や、切断した足を外に埋めに行くときに「足が通りますよー」と言ったら、治療待ちをして、イライラしている軍人たちも沈黙した、といったような話だった。

たまたまその学徒の文章がそうだっただけなのかもしれないが、悲壮感を感じさせず、とても生き生きとしており、ユーモアをも感じさせるものだった。そして「子供から見た大人」といった、戦争とはまた別のテーマも見えてくる。

とても興味深いものだった。

戦争に限らず、体験を純粋に表現するということは、不可能なことだ。それは、戦争の中を生き延びた人も当然だ。なぜならそこには「個人のフィルター」が必ずかかるからだ。あるのは「その人が感じた戦争」だけだ。

その文章の中には、その学徒が感じた戦争があり、それを僕が今読ませてもらうことで、僕が感じた戦争が新たに生まれる。そのリレーを絶やさなことが大事なことなのかもしれない。そして、それをたくさんつなぐことで、正しく(というものがあるのなら)戦争というものに近づいて行けるのかもしれない。

鎮魂の雰囲気の中で眠っている資料は、まだ生き生きと息づいている。

不思議なもので、時代を経るにしたがって、客観的な情報や資料であるものの方が、その有効性の証明が難しくなってゆくような気がする。後の時代の人が、「その有効性自体がまず怪しい」と言ってしまえば、それを証明する情報や資料まではもはやたどれないからだ。そもそも、言葉というのは、そういう脆弱性がある。

それに対し「個人の感情」こそは本物であり、いつの時代も残り続ける。たとえ嘘を付いてたとしても、その嘘を付いた真実こそが真実であったりするからだ。

それを知ってしまうと、「歴史の要約」(つまりお勉強)だけで満足しているのはとても危険なことなのだ。なぜなら、そこには「人間の心」が完全に無視されているからだ。

だから、この「人間の心」に触れられる資料は、戦争のみならず、人間を知るために、とても貴重な資料なのだ。

もちろん、全部を読むことはできない。へとへとになりながら、展示室を出ると売店だ。売店に、まとめた本とか売ってないだろうかと思ったが、それらしきものはなかった。しかし、また別の手記集が売っていたので、それを求めた。

ただ、一つだけわからないことがある。

なぜ、沖縄の人たちは、そう簡単に「天皇陛下万歳」といった思想を簡単に刷り込まれていったのか。

昔は、清や明にゆるい支配を受けながら、琉球王国として長らく自立し、その後、薩摩藩の支配下に置かれ、琉球処分で国を失い、本土と組み込まれ、そのくせ本土に虐げられていた歴史をもつ沖縄県民が、なぜ、そう簡単に、「天皇思想」に染まってしまったのか。

自分が感じたのは、6月18日に、学徒隊の突然解散が命じられた時の教員の言葉だ。こんな感じの内容だったと思う。「これからはみなさん自分の責任で行動することとなる。そして、なるべく、生き残ってほしい」と。

それによって、さらに犠牲者が出てしまうことになってしまうのだが。「生き残ってほしい」というのは、「天皇陛下万歳」の思想とはかけ離れたものだ。「アメリカ兵に殺されるくらいなら、自決せよ」というのが基本思想だったはずだから。

僕は思うのだけれど、おそらく沖縄人は「染まって」なんかいなかったのではないかと思う。そして、沖縄人としての「誇り」を忘れてはいなかったのではないかと思う。いろんな国の「支配下」におかれることに慣れてしまっている沖縄人は、その「誇り」を外からは見つからない心の奥の方にしまっているのかもしれない。

そして、きっとそれは、今もそうなのだろう。その熱いものに、僕もたくさん触れてみたいと思う。それが、結局、沖縄を訪れる意味なのだろうなと、実は、この時にはもう確信していたのだ。

外に出た。相変わらずの雨だ。

しかし、来た時よりも、「ひめゆりの塔」は穏やかな表情をしているように思えた。

【おまけ】

駐車場に戻ると、お帰りなさいと、例の土産屋のおばちゃんに、店に招き入れられた。相変わらず客は一人もなく、BGMもかかっていない。どこでも置いてあるようなぬいぐるみのキーホルダーみたいな土産物に、どうやって観光客が持って帰るかわからないようなシーサーなどを眺めながら、5メートル後を付いてきている。申し訳ないが、買いたいものが一つも見つからず、背中に視線を感じながら、故障した自動ドアを引き開け、また雨の中を急ぎ足で車に向かった。

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「道の駅いとまん」は、飲食店などもあるのだが、飲食店は総じて店を閉じていた。残念。夜とか、祝日とかしかやらないのかな?

我々が行ったのは「うまんちゅ市場」。正式名は、ファーマーズマーケットいとまん「うまんちゅ市場」という。

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「道の駅」というと、ヾ袷瓦覆覺儻客向けの感じのもの、か、地元の人も普通に使う感じのもの、と二つに分かれると思うけれど、ここは完全に、△吠類されるところだった。とうぜん△諒が楽しい。

名前からもわかるように、とにかく、現地で取れた農作物がめちゃくちゃ広いスぺースに並んでいる。写真に撮らなかったのがもったいない。8割くらいが「糸満産」のもので、他に北海道とか九州とかのものが混じっている。

我々が訪れたのがまだ午前中だったのもよかったのかもしれない。在庫が山盛りで、とにかく、見て回るだけでも大変だ。

特産品のゴーヤは当たり前、島バナナや、ドラゴンフルーツや、青パパイヤ、マンゴーや、スターフルーツや、とうがん、そして名前も初めて聞くよいうな野菜にいたるまで、見ているだけで興味が掻き立てられる。

聞きなれない食材は、調理方法が書いてあるレシピが吊り下げられてたりして、親切である。野菜を持って帰る旅行者はあんまいないだろうから、やっぱり地元の人向けのものなのだろうか?いやいや、旅行者の中には、マンションを1週間くらい借りて、料理も自分で作ってしまおうという、剛の者向けなのかもしれない。

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もちろん野菜だけでなく、ハムやソーセージといった豚肉の加工食品や、沖縄定番のおやつ(サーターアンダギーやちんすこう、おもちのようなもの)、豆腐や、パン、花や、調味料、そしてお弁当、ほかにもたくさん、もはや巨大な食品のスーパーマーケットと言ってもいい。さらにいうと、半セルフレジだった(笑)。

那覇空港からも近いし、お土産は帰りにここで買おうか、という話になった。

・・・でも、この辺りに住む人にとっては、これは当たり前の風景。私たちの当たり前と、ご当地の人たちの当たり前のズレを感じるのが、一番楽しい。

このズレを一番感じられるのは、やはり、料理の味付けなのではないか?

というわけで、ここで、お弁当を買って、食べよう、ということになった。

それだけでは足りないので、バカでかい豆腐も買う(なんで沖縄に豆腐が、と思ったのだが、豆腐は沖縄に欠かせない食材らしかった)。海ぶどうが100円だったので、それも買う。そして、その味付けのために「島とうらしシークワーサーポン酢」を買う。

そして、この「島とうらしシークワーサーポン酢」が絶品だったのだ。シークワーサーのさわやかな酸っぱさが濃厚で、そして、少し遅れてピリッと島とうがらしのピリッとした辛さが来る。

思わずラベルを見る(こういう癖は音楽をやってると付く)。余計な添加物は何一つ使っておらず(ブドウ糖果糖液糖すらも)、シークワーサーには「沖縄県産」という断り書きまである。

いい、こういうの。

製造元は、株式会社赤マルソウという会社だ。

【株式会社赤マルソウ - 沖縄にあって、こだわり志向の全国の消費者に食生活の喜び・感動・幸せを提供する 沖縄 島一番の調味料屋】
https://www.akamarusou.co.jp/

経営理念がさらにいい。
https://www.akamarusou.co.jp/about/concept/

東京の会社で経営理念のトップが「社員と家族の幸福」と言ったら、馬鹿じゃないかと思われるか、もしくは「偽善」のように聞こえてしまうだろう。

この純粋すぎる経営理念でも、納得させてしまうような「陽」のエネルギーが、なんか沖縄にはあるような気がする。

沖縄のことがもっと知りたくて、旅行後に「沖縄1935」という写真集を注文したのだが、それなんか見ても、それは共通したムードとして感じられる。これはなんなんだろうか。風水がいいのだろうか。

写真集 沖縄1935
朝日新聞出版
2017-07-31


僕は、写真集にまったく感動したためしがない男だけれど、この写真集は、とてもグッとくる。元気をもらえる。お勧めできる。このエネルギーをまたもらいにゆきたい。

とにかく、我々は、赤マルソウのファンになってしまった。

基本的には沖縄内での流通だけみたいだけれど、銀座のセレクトショップには一部卸しているみたいだから、ぜひ味わってみてください。

僕たちみたいな旅行者もいるのか、店の外に机が用意しており、そこでお弁当を広げて食べる。あんまりきれいな写真ではないけれど、こんな感じだ。


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どれもうまい。

豆腐はさすがに食べきるのは辛かったけれど、うまい。

お弁当も、妻曰く、薄味で(僕はそうは思わないけど)、ヘルシーな感じがする。

僕が感じたのは、味のベースが本土のそれとは、やはり少し違うような感じがした。なんだろうか、ツナ缶のような、スパムのような、たぶん、そういった、普段使わないものが含まれているような気がした。本当はどうあわからないけれど。

ともあれ、まだ沖縄新参者なので、まずは謙虚に味わうのみである。

つづく。

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さて、那覇空港を出て、レンタカーを借りた。沖縄ソングの入ったSDカードをカーナビに差し、島唄をCGMに、完全に勘違い沖縄人に変身してみる。

「さて今日から5日間何をしよっかな」

見知らぬ土地でそう考えられること自体が、なんとワクワクすることか。

とりあえず、適当に車を走らせる。途中、わけのわからない狭い路地に入ってしまうのも、それもまた楽しいことだ。建物や、道路や、人などを観察しながら走らす。

おなかが空いたので何か食べたい。でも、沖縄らしいものが食べたい。吉野家か、うーん。スシローがある。なんか特別な魚とかがネタで出てるのだろうか。Jimmy'sってなんだ?ジョナサンの沖縄版か?

そんな話をしているうちに、「道の駅いとまん」の看板が目に入る。

我々は道の駅が好きなので、「ちょっと見てみるか」と寄ってみることにした。

ミリオン自販機

まず、沖縄を車で走っていると、家の形であるとか、ところどころに立っているシーサーが「あ、本土(といういい方もどうかと思うが、便宜上そう使う)と違うな」とまず感じることができる。

その次に自分が感じたのが、「自動販売機がちょっと違う」ものがある、というものだった。

「道の駅いとまん」に駐車したら、やはり、見たことのない自販機があったので、写真に収めた。

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なんか黄色いインディーな見た目、中身の商品のパッケージもどこか簡素。

でも、こういうの嫌いじゃない。というかむしろ好き。

しらべてみると、正真正銘の沖縄の会社の自動販売機であった。中のジュースも製造しているらしい。

【株式会社ミリオン】
https://milion-okinawa.jp/

可愛いホームページだなあ。いいなぁ、こういう会社好きだなぁ。

伝えたい企業理念も明確だし、なんか前向きなパワーにあふれてる感じだ。

東京にも進出しているみたいだけれど、全然見たことないなぁ。

成功してほしいなぁと思う。外資や本土から出資している会社に負けずに、堂々と本土で金をかっさらっていってほしいものだ(笑)。

一つ買ってみよう。無性に「ルート・ビア」を飲みたくなり、買う。本場のA&Wのものではなく、すこし本家より甘い感じがするが、おいしい。

では、「道の駅いとまん」に突入しようか。

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