Always (CCCD)
光永亮太
ポニーキャニオン
2003-02-19



新しく熱中していることがあって・・・、

それに関して非常に勉強をしている。寝る間も惜しんでという言葉が少し当てはまるくらい。

まったく知らなかった世界なので、全然わからないので。

少し上手い人をみては、見てろよ、と。



それに反しまして、

音楽は、昔からずっと親しんできたもの。

いつでも作曲できるし、歌えるし、演奏できる。

歌詞だって最近は書けちゃうよ。

とりあえず自分の満足できる水準には達している。

CDだって作れて、流通できちゃう。

豊かと言えば豊かだ。

これを望んでいたか?と言われるときっと望んでいた、と答えるだろう。

「お料理のように音楽が作れるようになればいい」

・・・・と、ずっと思っていた、

というのは嘘で、今思いついた言葉だけれど、

でも、僕の音楽に対する姿勢ってそんな感じ。

ある意味日常と化してしまって、そこにどっぷりと自分も漬かってしまっている。

つまり、これを用いて、何かを表現するとか、よりおいしくしようとか、

そういう意識に向かいにくい。

自分の普通に作った料理を、人にも食べてもらう感じ。

僕は音楽は独学なので、作り上げたものは、

自分でレシピも見ずに作った「オリジナル」と言えるものなのに。

結果としては、「普通の料理」になってしまっているような?

近づけて行ってしまっているような。

食べてくれた人も「うん普通だね」という印象しか抱けないような。



そこで、今熱中していること。

自分、ど素人。でも、すごくとんがってるんだな。

今まで自分が見てきた世界を物差しに、鋭く計っている。

それがある限り、不安があっても前には進める。

自分が正しいのか正しくないのか知りたいから。

と、まぁ、何もまだできないくせに、口だけはいっちょ前で。

でも、これって、とっても大事なことのような気がする。

イソップ童話でウサギと亀の話がある。

音楽がウサギであるなら。

こちらはカメだ。

でも、この物語の本質って、勝ち負けではないのではないかと思う。

ウサギが勝ってもよかったと思う。ふつう勝つし。

でも、わかりやすくするために、イソップさんはウサギは負かしたのだ。

結局、己への満足の話ではなかったかと。。

普通、ウサギとの圧倒的な大差をつけられているのにも関わらず、

カメはあきらめなかった。

これは勝負に勝ちたいのではなく、自分に勝ちたいのではないかと思われる。

勝ち負けはどうであれ、始めたからにはゴールすると。

そしたら、結果ウサギより先にゴールしてしまっただけの話。

そして、難なくゴールしたウサギと、やっとこさゴールしたカメの喜びは違って当然だろう。

どちらがいいというわけではないが、今の自分から見れば、

敗者ありのカメを前提にゴールしたウサギはかわいそうだということ。

敗者を作った中での満足は、とても貧相なものではないかということ。

・・・・いや、待てよ、ウサギはどのみちゴールできない運命を持っていたのかもしれない。

きっと、何でもそこそこできてしまうので、タカをくくっちゃう。

ゴールした時の喜びみたいなものを軽視しちゃってる。

だから、きっと、眠ってしまったのかもしれない。

きっと、ウサギは、何にもゴールしたこともないのだろう。

だから、ゴールを軽視している。

ただ、足が速ければいいと思っている、器用であればいいと思っている。

ウサギと亀は相反する対象なのかもしれない。

誰にでもいるのかもしれない。

亀の気持ちを僕がもつことは、きっと、ウサギに対する警鐘にもなるだろう。

明日は休みだ。

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半分になっちゃった心は

なにもそれを埋めることはできない

友の中に入っても

酒を飲んでも

女にかまけても

すべてが色あせ

心の半分を持って行った悪魔を

恐れながら、かつ魅了されながら

ただふらふらと追いかけてゆくだけ

みじめで

もし、人間の心が

生まれた時から半分だったらよかったのに

なぜか人間は、好んで半分を悪魔に奪わせ

そして、それをまた奪い返そうとする

しかし、奪われたものはもう戻ってこない

それでも、また半分奪わせるのだ

奪った悪魔をつかまえたい

奪った悪魔をこらしめたい

そうして人間は復権してきたのかもしれない




(年末までこの記事が先頭に来ます。最新の記事は下にスクロールしてください)

2016年に、私が宮沢賢治の詩に曲を付けた「雨ニモマケズ」をカバーして下さった、伊藤ともんさん。


そんなともんさんが、2017年10月22日、大阪の創徳庵にて「中崎町イーハトーヴ」というタイトルで、宮沢賢治のゆいかりの曲を集めてライブを行いました。その中で、私の「雨ニモマケズ」をカバーしていただきました。

動画は、歌う場面から始まっていますが、ぜひお時間あれば全編ご覧いただければと思います。

ともんさんの歌は、CDよりもさらにグレードアップしている。メロディの意図を、ライブならではの感興で、がっしりと掬い取ってくださって歌われています。それは、自分の賢治解釈にともんさんも共感してくださってることだと思うので、とてもうれしく思います。吉田幸生さんのアレンジもとても素晴らしい。

僕は、歌手というものは、歌が上手ければだれでも名乗る資格があると思っていました。しかし、今回ともんさんのライブを聞いて、それは違うと思いました。

歌手とは、歌の景色を伝える人のことだ、と。

それは、音程があってるとか、声が美しいとかとは、また別の次元のものなのだと。鍛錬すればするほど、そして、歳を重ねれば重ねるほど、それはうまくなってゆくものなのだ、と。

ともんさんの声に、岩手の風土を感じることが出来ました。本当に、賢治のメッセンジャーと化していました。

そして、最後に、こう思いました。「歌っていいな」と。

それは、今まで僕が感じたことのない、歌に対する感情でした。僕の知らなかった世界を見せてくれました。そして、それは、やはり一生をかけてもいいと思えるほどの宝ものなんだと思いました。

とっても素晴らしいライブです。ぜひご覧下さい。

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つねに、アウトサイダーでいたい。

物事との距離が近すぎると、

自分を見失い、自分がもともと何をやりたかったかも

分からなくなってしまう。

そして、物事の方に自分を寄せて行ってしまう。

仕事、趣味、恋愛、すべてがそうだ。

だから、アウトサイダーでいたい、と。

そして、究極には、自分に対してもそう思うようになった。

俺という魂は、自分という入れ物に寄せて行ってしまってないか、と。

自分という入れ物、というのは、外見、脳みそ、内臓、才能・・いろいろがるが、魂以外のすべてを指す。

魂というのは魂だ。

奇麗な声をしている → だから歌手になれるんじゃないか。

奇麗な外見をしている → だから女優になれるんじゃないか。

体がでっかい → 相撲取りに向いているんじゃないか。

それは、みんな、自分という入れ物に、魂を合わせてしまっているのだと思う。

魂もそれを望んでいるのであれば、それは幸せというべきだろう。

nina simoneは、「自分は神に選ばれたの」と言っていたけれど、なんの嫌味も感じない。

魂と肉体が一致しているということが、天才という事なのだろう。

自分という入れ物を、魂が喜ぶように、うまく操作してゆかなければならない。

そういう風に生きてゆきたい。

さて、そうなると、魂がなにを望んでいるかが分からなくてはならない。

それをはじめから知っている人は、とても強い人だと思う。

私は、それすらもわからない。

きっと、今自分にまとわりついてくる雑務をすべて削ぎ落してゆけばいずれはっきりするのだろう。



よし、何もしないで寝る!








たぶん愛、なんじゃないかな。

今年はつくづく来年の準備の期間だったと思う。

むずむずしているが、急いでも仕方がない。

人生は浪費すれば短く、活用すれば十分に長い。

それはきっと病に倒れても、だ。

一日一日を悔いのないように生きてゆく。

それだけできっと何か花咲くものがあるだろう。



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昨日の夜から突然ずきずき痛み始めた、左奥歯。

肺炎の時にもらったロキソニンをのんで、仕事頑張り、

その後、歯医者に駆け込む。

親知らずの痛みかと思っていたが、治療した歯の根っこに膿が溜まっていたとのこと。

わからないものだね。

かぶせものを外して、膿を取り出し薬を詰め、またふたをして。

何もできないような痛みはなくなった。

天国この上ない。

いい歯医者さんでよかった。こういう時こそ自分の運に感謝する。



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Beyond The Missouri Sky (Short Stories)
Charlie Haden
Polygram Records
1997-02-25



最近のCDを。

と言っても、20年前の作品になる。買ったのが1年前くらいだから、自分の中では新しい作品となる。

歳とると、だんだん新しい音楽を受け入れることが難しくなってくる。そんななかで、このアルバムは、とても日常的に聞くアルバムになっている。

主に就寝時に、トラック3から、もしくは5からかけている。

ギターとベースだけの、とても静かなアルバム。でも、ところどころに、薄いシンセサイザーがすっと入り込んできてその瞬間がとても美しい。

乾いた大地にしみこむ、一滴の水のように、非常に印象に残る。

この「必要な時だけ足す」的な発想は、自分のソロアルバムに影響を与えた。このアルバムがなければ、RI:Cycle(リ・サイクル) [CD]はまた違ったアルバムになっていたかもしれない。

作品自体は、昔から知っていて、アメリカの中古屋でテープで見つけたけれど、その時は買わずにいた。

その時買っていたら、きっと、もっと、心と近い距離間でこのアルバムを聞いていたに違いない。
でも、もしかしたら、このアルバムの持つ特殊性というものに気づけなかったかもしれない。

歳をとるということは、いいこともあるが、哀しいことでもある。



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モニターのヘッドフォンは、業界標準の有名なソニーのがあるけれど、僕は、パナソニックの安いRP-HT260を使っている。浦安のジョーシンで買ったんだけど。

もうたぶん10年以上使ってると思う。


偶然、今年解散したnote'n notesの歌姫も同じの持ってて、それでお互い同じ音でモニターしながら録音してた。

結局、同じ音でお互い聞いているというのが、一番大事なポイントじゃねーかなと思う。

で、note'n notesは解散したので、そのヘッドフォンもなくなってしまった。

で、新しいボーカルのために、同じ型番のを買った。

でもね・・・・・・・予想してたけど、音が変わってた。

うーーん、今の型の方が出力がでかくって、すこしこもってる。自分の方は、とてもすっきりした音。正直、昔の方がいい音をしている。

これでは、「同じ音」を聞いてることにならないなぁ。

だから、ヤフオクで、同じ型の古いのを落札してみた。おんなじ音で鳴ればいいんだけどね。まぁ、なかなかそうはいかないかもしれないけれど。





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DTMやっている人で、コード回りがごちゃつかない人はいないだろう。

コンセントが足りない足りない。

今の家探す時も、賃貸の人が「コンセントはここはたくさんあるみたいですね」と覚えちゃうほど、コンセントのことを口にしていたのだろう。

もちろん、コンセントのことは考えてこの家を借りたが、やっぱり、DTMやってると、いくらあってもやっぱ足りないのだ。あとUSB周りとかもね。

さらに、(一応)ボーカリストなので、加湿器でしょ、あと、増えてしまった、タブレットの充電、ケータイの充電と・・・・いくらあっても足りない。

今日は、延長コードや、電源タップや、チョウドイイ長さのUSBケーブルなどで、コード回りをすっきりさせた。

こういう細かいところが整うと、とても気持ちが良くなってくる。素敵な家具よりも、いかにごちゃついてないか、というところがやっぱり僕は大切。

たぶん、頭があんまよくないから、環境くらいはすっきりさせたいのだろう。




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とある理由で、背後からの写真を撮られた。

それを見て、愕然とした。



だれ、このおっさん・・・。



特に、厚ぼったい背中が、とても老けて見える。同僚がそれを見て「伊藤さんおっさんスね」とか何も言わないということは、周りはすでに、このおっさん感を受け入れてしまっているという事だ(ろう)。これではモテない。

その写真をみて、昨日はせっせとハムスターと化してきたのだ。

痩せるというのは、一番簡単なおしゃれだ。がんばって痩せませう。

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